俺のこと好きなんだろ、と言われましても
「おい、いつまで意地を張ってるんだ。……本当は、俺のこと好きなんだろ?」
放課後の誰もいない教室。
夕日に照らされたアルベルト様が、自信満々に真横の壁をドンと叩いた。
彼は学園一の秀才で、公爵家の次期当主。
女子生徒の半分が、彼に恋をしているんだとか。
しかし、私の記憶が確かならば、彼はつい五分前まで別の令嬢と「愛している」「君こそが僕の運命だ」なんて熱烈な愛の言葉を交わしていたはずだ。
私は手に持っていた掃除用具のバケツを床に置き、首を傾げた。
「……はあ。と言われましても」
「なんだ、その気の抜けた返事は。照れているのか?」
アルベルト様はふっと口角を上げ、私の髪を一房掬い上げた。
その陶酔しきった瞳を見て、私は確信した。
この人、私が「彼に捨てられたショックで毎日泣き腫らしている」という学園のデマを本気で信じているのだ。
「いいか? 君が夜な夜な枕を濡らしているという噂は聞いている。……まったく、不器用な奴だ。戻ってきてもいいんだぞ? 俺の『二番目』としてならな」
……いや、誰が二番目だ。
私は深く、深ーくため息をついた。
正直、推しの魔導具職人の新作発表会に遅れそうなので、一刻も早く帰りたい。
「あの、アルベルト様。大きな勘違いをされているようですが」
「勘違い? ふっ、素直になれよ」
「いえ、私が夜な夜な泣いているのは、新作の魔導具の予約抽選に三回連続で落ちたからです。
あと、あなたに振られた(と思い込まされている)あの日、私は皇室御用達イマリー産のステーキを三枚いただきましたが」
アルベルト様の完璧な顔が、ピキリと凍りついた。
「な、……ステーキだと? 強がるのも大概にしろ。
君は俺の婚約者候補として、常に俺の後ろを三歩下がって歩いていたじゃないか。
あの献身的な態度は、愛以外のなんだと言うんだ!」
アルベルト様が声を荒らげる。
壁ドンしていた手がわななき、公爵令息としての余裕が剥がれ落ちていく。
「……献身的、ですか。
あれは単に、『あなたの歩幅が広すぎて、ドレスの裾を踏みそうだったから距離を取っていた』だけです。
あと、あなたの後ろを歩いていると、余計な令嬢に絡まれなくて済むので、歩く防波堤として重宝しておりました」
「ぼ、防波堤……!?」
「はい。あ、それとこれ。ちょうどお返ししようと思っていたんです」
私は、彼がかつて「愛の証」として私に押し付けた、高価な(しかし私の趣味ではない)魔石のブレスレットを彼の手のひらに載せました。
「これ、実は呪物……いえ、特殊な探知魔法がかかっていましたよね?
私がどこで誰と会っているか、逐一あなたの元に通知が飛ぶような」
アルベルト様の顔から血の気が引いていく。
そう、彼はただのナルシストではない。独占欲の塊のような「重い男」だったのです。
「なぜ、それを……。魔導の知識がないはずの君が……」
「先ほども言いましたが、私は魔導具オタクなんです。
この回路、初歩的すぎて逆に目立ちましたよ。……あ、それから」
私は教室の入り口を指差しました。
そこには、先ほど彼が「運命だ」と言い切っていたはずの別の令嬢——エレーヌ様が、顔を真っ赤にして立っていました。
「エ、エレーヌ……!? なぜここに!」
「『二番目なら戻ってきてもいい』……?
アルベルト様、私との結婚は、お父様の事業を助けるための単なる『妥協』だとおっしゃいましたわね?」
「それは……! いや、彼女を焚きつけるための嘘で……」
「と言われましても。
今の会話、全部この『広域集音・拡声魔導具(試作型)』で、中庭まで筒抜けですわよ?」
私はスカートのポケットから、キラキラと輝く小さな拡声器(自作)を取り出し、にっこりと微笑みました。
「……あ、あの、アルベルト様? 顔色が土壁のようですよ」
私は極めて事務的に、心配しているフリをして付け加えました。
エレーヌ様は怒りに震えながらも、ドレスの裾を翻して去っていきました。
彼女、実は隣国の公爵家とも繋がりがある超お嬢様なんですよね。
アルベルト様の家、今期で支援打ち切り確定じゃないかしら。
「……は、ハメたな。アリス、貴様……っ!」
「人聞きが悪いですね。
私はただ、新作魔導具のテストをしていただけです。
それよりアルベルト様、そこをどいていただけますか? 先ほどから言っている通り、私、本当に『発表会』に遅れるんです」
「ふざけるな! 誰がそんなゴミのような玩具の発表会に——」
彼が私の自作拡声器を叩き落とそうと手を振り上げた、その時。
「——誰の作品を『ゴミ』と呼んだのかな? アルベルト・フォン・カステル公爵令息」
教室のドアが、今度は静かに、けれど圧倒的な威圧感を持って開きました。
そこに立っていたのは、銀髪を緩く結び、眼鏡の奥で冷徹な光を放つ美青年。
現国王の弟君にして、この国の魔導研究の最高責任者——ゼノス・エル・グラン・バルト殿下。
アルベルト様は、上げた手を中空で止めたまま硬直しました。
「ゼ、ゼノス様……!? な、なぜこのような場所に……」
「決まっているだろう。
わが研究所の『特別外部顧問』であるアリス嬢を迎えに来たんだ。今日は彼女が開発した『新型魔力エンジンの制御基板』の最終プレゼンだからね。国を挙げてのね」
「……え、特別、こもん……?」
アルベルト様が、壊れた人形のように私と殿下を交互に見ています。
そう。私が夜な夜な泣いていた本当の理由は、この殿下の「無茶振りな発注」の締め切りが厳しすぎて、情緒が不安定になっていたからでもあります(抽選に落ちたのも事実ですが)。
「アリス、行こうか。
君を二番目などと呼ぶ愚か者の相手をする時間は、一秒も無駄にしたくない」
殿下は私の手を取ると、驚くほど自然に指先にキスを落としました。
その瞬間、廊下から「キャーッ!」という悲鳴が上がります。
どうやら、野次馬の女子生徒たちも集まっていたようです。
「あ、アルベルト様。最後のアドバイスです」
私は殿下にエスコートされながら、呆然と立ち尽くす元・婚約者候補を振り返りました。
「私を落とそうとしていたその壁ドンの角度、15度ほどズレていて威圧感が足りませんよ。
計算し直してから、別の『二番目』の方にでも試してみてくださいね。
さようなら」
「ま、待て! アリス! 俺が悪かった、今の話は——!」
背後で聞こえる情けない声を、私は殿下が用意してくださった豪華な馬車の扉で、シャットアウトしました。
◇◇◇
その後、アルベルト様はエレーヌ様の実家から婚約解消と多額の違約金を請求され、さらに殿下直々の「再教育」を受けることになったそうです。
一方、私はというと——。
「遅い。待ちくたびれたぞ、アリス」
王宮の研究室。
重厚な扉を開けるなり、不機嫌そうに、けれどどこか嬉しそうに私を見上げる人がいた。
この国の魔導研究の頂点に君臨する、ゼノス殿下。
「殿下の無茶振りが原因です。
あの演算式、徹夜で三回組み直したんですよ」
「だが結果は出した。……だろう?」
「当然です。誰に頼んだと思っているのですか」
私は手渡された紅茶に角砂糖を二つ放り込み、一息つく。
新型制御基板のプレゼンは大成功。
その場で追加の依頼が十三件も飛び込んできた。
……しばらく、大好きな新作魔導具の発売日に並ぶ時間もなさそうだけどね。
「働き詰めだな。少しは休みを取れ。……私と一緒に、な」
「殿下、それは『新作の公開実験』という名の休日出勤ではありませんか?」
「ふっ、バレたか。だが、君を独占する名目としては悪くない」
殿下は立ち上がり、私の手から空になったカップを取り上げると、そのまま私の頬を優しく撫でた。
かつて、アルベルト様が私に向けたあの陶酔しきった瞳とは違う。
私を「自分を引き立てる道具」としてではなく、一人の人間として、技術者として、そして一人の女性として射抜くような、熱く静かな視線。
「アリス」
「はい?」
「君の代わりは、この世界のどこにもいない。……私の隣に並び立つ資格があるのは、君だけだ」
その言葉に、私は少しだけ笑ってしまう。
角度がズレた壁ドンよりも。
「二番目」という恩着せがましい慈悲よりも。
こうして徹夜明けのひどい顔を晒していても、なお「唯一」として扱われるのは——。
「……光栄です。では、次の開発予算、今の三倍にしてくださいね」
「欲張りだな。だが、君の価値に比べれば安いものだ」
差し出された彼の手を、私は今度はしっかりと握り返す。
恋も、魔導具も、妥協は一切なし。
私の物語は、ここから加速していくのだ。
めでたし、めでたし。




