和田緋音の奔走
1
千蔭が行方不明になり、1ヶ月が経とうとしていた。
わたしは彼女のような洞察力もなければ、推理力もない──あるのは、彼女の思考の癖をなぞること。わたしの場合、ただの当てずっぽうなのだけれど。
ただ、誰にも負けていないことがある。それは、退屈嫌いで繊細な性格をした相棒のことをよく知っているということ。
彼女なら、失踪先でも事件を解決しているに違いない。わたしは彼女と連絡が取れなくなった日から、図書館に通って、なにか探偵好みの事件が起きていないか、置かれている全紙を読み漁っていた。
『組織的に行われていた強盗事件解決』
大きな見出しに、わたしの目は奪われた。1ヶ月目でようやく見つかった。
記事の内容にわたしは確信した。実行役のみならず、背後の指示役まで、悪を絶対に許さない彼女の手腕なら、一網打尽に追い込むことも可能だろう。
だが、いくら文面に視線を走らせても、絵本千蔭という名前は出てこない。
彼女は名を馳せるような名探偵ではなかったが、数週間前、警察から感謝状を受け取ったときには、新聞に写真付きで掲載された。
思えば、その時だった。彼女の様子がおかしくなったのは──。
「お母さんに怒られちゃった」千蔭が珍しく曇った表情で、わたしの前に現れた。
「どうして?あれだけ貢献したのに……」
「それがよくなかったみたい。どうして目立つようなことをするのって、怒鳴られて──」
「そんなのおかしい」わたしは声を荒げた。親友の功績を怒るなんて、許せなかった。「わたし、お母さんに文句言ってくる。お宅の娘さんは──」
「いいの。今に始まったことじゃないし……」
今にも泣きそうな彼女の横顔を、わたしは見ていることしかできなかった。
2
次の日の朝、わたしはいつものように千蔭が住んでいるアパートに向かっていた。彼女が帰宅しているのではないかという、淡い期待を抱きながら、毎日のように通っている。
だが、この日だけは違った。彼女の住む部屋の前に黄色の規制線が張られていた──事件があったのだ。
アパートの前まで駆け寄ったが、人が多くて部屋に近づくことができない。
鑑識服を着た警察官が部屋を出ていき、刑事と思われる若い男性が入っていった。パトカーの台数や、警官の人数から見て、発生直後の臨場だろう。
わたしは、規制線の前の人だかりの一人から話を訊くことにした。警察官に訊いたところで、事件のことを話せないと追い返されてしまう。それよりも、近所に住んでいるこの人たちなら、情報を知っているはず。
「あの……」わたしは近くにいた女性に、他の野次馬たちと話している途中を遮った。
相手の身長は小柄で、青のカーディガンを羽織っている。年齢は40代だろうか。
女性は振り返ると、わたしのことをなめ回すように見た。ここら辺じゃ見ない顔ねと言いたげな表情を浮かべている。
「何かあったんですか?事件とか……」
「そこに住んでた絵本さん、亡くなったらしいよ」
「え?」
時が止まったような気がした。まさか、千蔭が──。
「娘の方はどっかにいなくなっちゃったみたいだけどさ」
「……それじゃ、亡くなったのは、お母さんの方なんですか?」
「そうよ。あなた、見たことない顔ね。どちら様?」
不謹慎だと分かってはいるけれど、心臓の高鳴りが安堵に変わっていく。
「わたしは、千蔭……その、娘さんの友人です」
「あら、そう」女性は納得したようだ。
女性が他の野次馬と話し始めたので、わたしはこの場を後にした。おそらく、これ以上ここで得られる情報はない。事件の詳細は後から知ればいいことだ。
それよりも、千蔭は今どこで何をしているのか。
わたしはそれが気がかりでならなかった──。
3
数日経ったが、一向に千蔭の母親の事件が記事として掲載されない。事故として処理されたということだろうか。だとしても、お悔やみの欄に母親の名前が出てもいいはずだ。
居ても立ってもいられず、わたしは図書館へ走り、官報を見た。すると、行旅死亡人の欄に絵本千沙都の名を見つけた。死因は心不全となっていた。
「病死……」わたしは座っていた椅子の背もたれに、体を預けた。刑事たちは事件性がないと結論付けたのだろう。
千蔭は母親を殺害し、その後失踪したのではないか、というわたしの邪推は消えた。消えた方が良かったのだ。
その日の午後、わたしは千蔭が住むアパートの最寄りの警察署を訪れた。事件の管轄だと思ったからだ。
それに、この署には以前来ていて、顔馴染みのある刑事がいる。あの人なら、緊張せずに話しかけられる。
目的の人物は署の2階、捜査一課にいた。
1階の受付窓口にいる、女性警官と目が合うと、彼女は笑みを浮かべこちらへ歩み寄ってくれた。安心感を与えてくれる、優しい目をした人だ。
「どうされましたか?」
「あの……すみません」わたしは言った。「捜査一課の係長はいらっしゃいますか?」
「係長……ですか?」女性警官は意外そうに首を傾げた。
もしかすると、責任者を呼んでこいと捉えられたのかもしれない。わたしは慌てて訂正した。
「あっ、すいません。ちょっと用件がありまして。和田緋音が来たと言えば、分かると思います」
「……分かりました。そちらに座って、少々お待ちください」
女性警官はわたしの背後にある、黒い3人掛けの椅子を勧めてきた。
わたしは、はいと言って椅子に腰を下ろした。
程なくして、2階から太い眉が特徴的な恰幅のいい刑事さんが降りてきた。
「やぁ、和田さん。表彰式以来だね」
「お久しぶりです。刑事さん」
ごめんなさい。感謝状を頂いたときに、名前を聞いておけばよかった。警察署に来るなんて、滅多にない経験だったものだから。
「わたしに何か用があるとか……」係長は、わたしと受付の女性警官を交互に見た。
「それが、千蔭のことについて、何かご存知かなと思いまして」
「うん……」
係長は険しい顔を見せた。
「お母さんのことは残念だ。我々としては、病死として結論付けたところだ。千蔭さんについてだがな、さっきまで話していた部下から、友人のところにいると聞いてる」
わたしの心臓が強い鼓動を打った。願ってもない情報だ。
「どこにいるんですか?友人って誰なんです?」
「和田さん、落ち着いて」
係長は両手で制してきた。
「今、その刑事が上にいるから、彼に直接訊くといい」
「ありがとうございますっ」
わたしは深く頭を下げると、階段を駆け上がった。




