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探偵の白猫は推理を語らない  作者: aoi
猫と狸の化かし合い編
35/42

【閑話】嘘つき彼女の七変化(前編)


 1


 格子戸の隙間から、温かな灯りが漏れている。俺はその重みに手をかけ、静かに戸を滑らせた。


「ただいま」俺は少しぼんやりしたまま敷居を跨ぐと、靴を脱いだ。


「あら、おかえりなさい」居間の方から伯母が出迎えてくれた。「花火、どうだった?」


「うん……まぁ。よかったよ」


「え?もしかしてフラれちゃった?」


 思わず俺は伯母──万菜花さんの顔を二度見した。「フラれるも何も、俺は行けなくなった友達の代わりで行ったのであって──」


「はいはい、話を聞くから。中に入りなさい」伯母は俺の話を遮って、首で奥を示した。


 伯母に付いていく形でダイニングへ行くと、冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出してグラスに注いでくれた。


 ありがとう、と言ってグラスを受け取ると、一口で飲み干した。乾いた体に染み入るようだった。


 ふと、伯母に目を向けると、すでに椅子に腰を下ろし、テーブルに頬杖をついていた。


 彼女の柔らかな眼差しが、対面の空席を静かに指し示している。


 これは話さないと部屋に帰してもらえないパターンだな──。


「まず、最初に言っておくと」俺は伯母と向かい合うように座った。「一緒に行った人は、坪内十和香さんっていう人。クラスメイトで……友人なんだ」


「この前言ってた、噂好きの友達でしょ?」


「そう。だから、その人と何かがあったとかはない」


「だったら何でさっき、歯切れの悪い返事をしたの?全部吐き出しちゃいなさい。溜め込んでいても、何も良いことなんてないんだから」


 俺は伯母の言葉に同意するように頷くと、大きく溜め息を吐いてから答えた。


「万菜花さん、実は──」


 2


 ──2時間前。


 下駄の乾いた音が俺の前で留まると、手元のスマートフォンの画面に影が落ちた。


 おもむろに顔を上げると、茜色に染まった頬が見え、親しげな笑みを浮かべた女性と、至近距離で視線がぶつかった。


 年齢は同世代か、あるいは少し年上だろうか。


「あの……ど」どちら様ですか、と言いかけたそのときだった。


「網代くん、わたしだよ。分からないの?」女性は小首を傾げた。


 この聞き慣れた、温かみのある高い声。記憶の中にある彼女の輪郭が浮かび上がってきた。


「えっ、もしかして坪内さん?」


「そうだよ……もう」


「ごめん、分からなかった」


「いつもわたし、眼鏡だからね。今日はちょっとコンタクトに挑戦してみちゃった」


 どうかな。似合ってる?── 


 上目遣いで覗き込まれ、俺は目のやり場に困った。


 いつもは後ろで無造作に束ねられている髪が、今日は柔らかなお団子にまとめられ、うなじが夕闇に白く浮いている。


 視線を落とせば、涼やかな青地に白い花が映える浴衣姿が、普段の彼女を感じさせない装いだ。


「ねぇ、網代くん」坪内さんは帯に両手を当てながら言った。「見入ってないで、ここは感想を言うところだよ?」


「うん……すごく似合ってると思う」


「思う?」


「……すごく、似合ってるよ」


「よろしい」彼女は頬を緩ませた。「それじゃ、行こっか?」


 俺も笑顔で頷いた。


 並んで歩いていると、辺りには恋人同士と思われる男女が多く見受けられる。この場にいるのが場違いかと思うほどに。


「ごめん、坪内さん。俺が代わりで」


「うん?謝ることないよ。誘ったのはわたしなんだし。それよりさ」


 彼女は弾むような足取りで俺を追い越し、くるりと正面に回り込んだ。後ろで手を組み、いたずらっぽい笑みを浮かべている。


「知ってる?この花火大会には、ある噂があるの。それはね──」


 彼女の唇が、小さく形作られた。


 ──次の瞬間。


 鼓膜を震わせる轟音と共に、夜空を明るく照らすような大輪の花が咲いた。


「え?ごめん、今なんて言った?」


 周囲の歓声のなか、俺は必死に彼女の唇の動きを追った。だが、彼女は照れたような表情のまま首を振るだけだった。


「いいの。もう叶ったから、大丈夫」


 結局、噂の内容を教えてはもらえなかった──。


 3


それから俺と坪内さんは、めこま橋の方へ向かった。


 無機質な三角形が連なるトラス構造の骨組みが、夜空を切り取っている。俺はその巨大な骨組みを見上げた。


 その先で、立て続けに多くの花火が打ち上がっている。赤や緑が混ざった鮮やかな色が多くの見物客の目を奪っていた。


 河川敷沿いに、屋台が軒を並べていた。


「網代くん、たこ焼き屋さんもある。見て」坪内さんは、俺の肩を軽く叩いた。


「あぁ……美味しそう」ソースの香りが鼻をくすぐった。お腹が大きく鳴るのを自覚する。


 たこ焼きと記された幕の前で立ち止まると、頭に鉢巻きをした男性店主が、活きのいい声で言った。


「へいらっしゃい。そこの彼女さん連れのお兄さん。1つどう?」


 店主と視線がぶつかり、俺は隣の坪内さんを一瞥した。だが、彼女は鉄板の上で転がるたこ焼きに夢中で、俺の動揺など気づいていない様子だった。


 坪内さん、お腹空いているんだな──。


「それじゃ、1つ……ください」俺は人差し指を立てた。


「はい、たこ焼き一丁」


 代金を支払い、舟形の容器を受け取った。


 手に、たこ焼きの熱さが伝わってくる。俺は辺りを見回して、落ち着いて食べられそうな場所を探した。


「あっちに公園があるから、そこでたこ焼き食べよう」


「うん!」坪内さんは目を輝かせていた。


 河川敷から道を挟んだ反対側に、小さな公園がある。そこからだと花火はよく見えないが、空腹なのだ。空腹には勝てなかった。


 公園に着くと、木製の小さなベンチに腰を下ろした。辺りはすっかり薄暗くなっていて、ここからだと屋台が唯一の光源だった。


「よし、じゃあ食べよう。いただきます」


「いただきます。網代くん、払ってくれてありがとね」


「いや、別にいいよ。俺も食べたかったし」


「それじゃ、お言葉に甘えて」


 彼女は店主が付けてくれた串で、たこ焼きを頬張った。やがて、口を小さく開けると、何度も息を吸い込みながら言った。


「……あふい」


 熱いと言っているのだろう。飲み込むと坪内さんは言った。


「うん、美味しい。網代くんも食べて」


「……いただきます」


 口に入れると、たしかにすごく熱かった。だが、出汁の旨味が口いっぱいに広がってとても美味しい。タコも大きくて、食べ応えがある。


 食べ終えると、俺たちは再び橋の方へ歩みを進めた。


 ここまでは良かった──。


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