佰くんの隠し事/思わぬ再会
9
活字佰は、昼休みに体育館で血相を変えるほどの“何か”を見た。そして自宅では恐怖や不安が増大した結果、狸の置物に姿を変えた。
と言うのが絵本さんの推理だった。
彼女が白猫に化けた理由は未だによく分からないけれど、佰くんに関して言えば、感情の起伏が化ける引き金になっているのではないかと、俺のなかで落ち着いた。
だがそれでも──。
佰くんに関わる狸の怪は、絵本さんの推理で結論付けられた。でも、何かこの胸につかえる不思議な感覚はなんだろう。
「ただいま」伯母の声とともに引き戸が開いた。
「おかえり」
「あれ、ずっと玄関にいたの?」
「あー、うん。絵本さんと話してた」
俺は足元に視線を落とした。先ほどまでいた猫の姿はなかった。「ってあれ、どこに行った?」
「もしかしてわたし、嫌われてる?」
「いや、そんなことないと思うけど」
「ふーん」伯母は言った。「それで、千蔭ちゃんとはどんな話をしたの?聞かせてよ」
俺は絵本さんの推理をいつものように代弁した。やはり、彼女は推理を語らない。
「なるほど……」伯母は指先を顎に当てた。「続きは台所で話しましょう。ここからは大人の会話ね」
伯母は冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出すと、勢いよくコップに注いだ。それを一気に飲み干すと、豪快に唸り声を上げた。
「千蔭ちゃんらしい、良い推理ね。それで、一輝はその話を訊いてどう思ったの?」
「それが……今までは絵本さんの推理を聞いて、スッキリしてたんだ。靄が晴れたような、見えていないものがはっきりとしていくような……」
「でも今回はそれがなかった」
「そう。何かこう、大事なものが見えていないような気がして」
「よかった」伯母は微笑んだ。
「いや……俺、悩んでるんだけど」何で笑顔なんだよ、この人。
「きちんと佰くんに向き合ってるってことじゃない。わたしは安心したよ。いっぱい悩んで、もがき苦しみなさい」
伯母は、考え込むような表情を浮かべる俺を見て、薄笑いでこう続けた。
「そうだ明日、佰くんと図書館に行くようセッティングしておいたから。どうやら、あっちはあっちで夏休みの宿題に苦戦しているみたいだから。一輝、手伝ってあげなさい」
「何勝手に」俺は思わず体が前のめりになる。
「感謝してほしいくらいよ。いろいろ気になること、直接訊いてらっしゃい。この機会を逃したら、千蔭ちゃんに嫌われちゃうわよ」
俺はその提案に乗るしかなかった。伯母は本当に嫌な人間だ。
10
翌日の朝、俺は再び活字さんの家の前にいた。絵本さんは朝から散歩に出ているようで、朝食にも姿を見せなかった。
「それじゃ、行ってらっしゃい」玄関の方から、優しい女性の声が聞こえる──佰くんの祖母だろう。
今日の佰くんは、仏頂面だったが挨拶をしてくれた。伯母か、同居している祖父母に何か言われたのだろう。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしく」俺は中腰になって答えた。「それじゃ、行こうか?」
「はい」
蝉の鳴き声を聞きながら、俺たちは歩き始めた。隣で歩く彼に視線を落とすが、帽子を被っていて表情がうまく読み取れない。背負ったリュックに夏休みの宿題が入っているのだろうと、俺は察した。
最初の言葉が見つからない。俺が小さいとき、周りにいる大人たちにどう声をかけられていたっけ。無理矢理、外に連れ出されていた記憶しかないな。
やがて太い川に架かる橋の前に立った。突き刺すような日差しの中、川の流れる音は、涼やかで心地が良い。この橋を渡っている間だけ、少しだが涼しく感じる。
橋の中ほどまで差し掛かったとき、佰くんがいきなり駆け出した。また消えるのではないかと、心臓が跳ねた。
「佰くんっ」俺は走って追いかけた。「待って!」
橋を渡ってからも彼は走り続けた。振り返ることもせず、何かに取り憑かれているようだった。
やがて立ち止まると、彼は腰に手を当て呼吸を整えた。
「佰くん、何でいきなり走ったの?」
「ごめんなさい。早く図書館に行きたくて」
いつかの俺みたいに佰くんは答えをはぐらかした。彼は一体何を隠しているんだ──。
図書館に入ると、古くなったインクの独特な香りが鼻にまとわりついた。どこか懐かしく、居心地のいい香りだった。
俺が小学生のときに、よく伯母に連れてこられた。今度は俺が誰かを連れていく立場になるなんて思いもしなかった。
昨晩、伯母から夏休みの宿題と、図書館という言葉を聞いてすぐにピンときた。佰くんは、読書感想文に困っているに違いない。
「佰くん、読書感想文で書こうと思ってる本はもう決まってる?」
「えっと、課題図書か自由に決めていいって先生が言ってた」
「そっか。どういう本が読みたい?」
「うーん」佰くんは俯いてしまった。
ここは俺がおすすめの本を見つけてあげるしかないかな。
「あれ、網代くん?」聞き覚えのある声が飛んできた。心臓の鼓動が速くなるのを感じる。
俺は声のする方へ首を動かした。
丸眼鏡に髪を下ろし、水色のワンピースという出で立ちで現れたのは、噂好きの友人──坪内十和香だった。
「坪内さん、何でこんなところに?地元だったっけ?」
「ううん」彼女は首を横に振った。「花火大会を見に来たんだ。混雑を見越して、前日に来たの。前乗りってやつ?」
「花火大会……」
「明日やるやつだよ?網代くんもてっきり見に来たのかと」
「あっ、いや」
佰くんの件ですっかり忘れていた。そうだ、明日は花火大会だ。
「親戚の子?」坪内さんはしゃがみこんで、佰くんの顔を覗き込んだ。
「そう。読書感想文の本を探しに来たんだ」俺が代わりに答えた。
「それだったら、わたしの得意分野だね。お姉さんね、高校で図書委員をやってるんだ。だから、力になれると思う」
佰くんは、コクンと頷くと「よろしくお願いします」と言った。
「承りました」坪内さんは小さく敬礼した。「それじゃ、行こっか。どんな本が好き?」
坪内さんの心の距離の縮め方に俺は脱帽した。俺は考えすぎていたのかもしれない。
彼女は佰くんの手を握り、児童文学のコーナーに入っていった。
佰くんは本を選ぶと、近場にあった椅子に腰を下ろし読み始めた。題名は『消えた花瓶』だった。内容は知っている。俺も読んだことがあるからだ。
まさか、本の趣味まで一緒だなんて。
「ね、網代くん」坪内さんは俺の隣に立った。「ここには、いつまでいるの?」
「うーん、暫くかな。夏休みいっぱいはここにいると思う」
「そう……なんだ」
「ん?どうした?」俺は彼女の方を見た。目が泳いでいるように見える。
「明日の花火大会、一緒に行かない?来れるはずだった友達が、急に来れなくなっちゃって。ひとりだと心細いっていうか……」
「……分かった。俺でよかったら」
ドタキャンするなんて、なんて友人なんだ。許せない。
「ホント?」彼女の声が跳ねた。「それじゃ、連絡先交換しよ?」
「うん」
連絡先を交換し無事、読書感想文用の本を借りると、坪内さんとはその場で別れた。
彼女がいつもよりも元気よく手を振っていたことに、俺はなぜだろうと首を傾げた。




