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探偵の白猫は推理を語らない  作者: aoi
王冠の島編
27/45

第5章 “あの日”の追憶


 第5章


 1


 倉持万尋が突き立てた刃は、間一髪のところで藤堂百助の手によって止められた。


「藤堂様!」棚垣は万尋の手首を掴み、ナイフの柄から彼女の手を引き剥がした。


 万尋はその場で力なく、膝から崩れ落ちた。床に流れる血液に彼女は激しく動揺した。


「どれ、診せてください」綴医師が駆け寄り、傷口を見た。

「よかった……深くはないようだ。消毒をするので、一旦椅子にお掛けてください。さぁ、こちらへ」


「わかりました」


 2人がテーブルの方へ歩く様子を、岸菜は目で追った。刃を突き立ててこちらに走ってくる彼女の表情は、本気で人を殺める目だった。


 その恐怖に岸菜は、テーブルにあったウイスキーボトルをグラスに荒々しく注ぐと、一気に飲み干した。酒ですべてを忘れさせようとしたのだ。


 綴は手際よく止血処置を施すと、「少々沁みますぞ」と断って消毒液を傷口に注いだ。


 百助は奥歯を食いしばり、鋭い痛みに耐えた。やがて包帯が巻かれると、焼け付くような痛みは幾らか和らいだ。脈を打つごとに鈍い痛みが走るが、耐えられる範囲の痛みだった。


「身を挺して岸菜様を守ってくれたこと、心より感謝します」綴は頭を深く下げた。


「いえ、あの時は無我夢中で、気づいたら体が動いてたんです。でも良かった。わたしの傷だけで済んだのですから──」


「藤堂百助様」そこへ、岸菜がやって来て言った。

「先ほどは助けていただきありがとうございます。無量様の件、疑って申し訳なかった」


 岸菜が手を差し出してきたので、百助はその手を握った。和解ということだろうと、百助は心の中で思った。


「藤堂様、わたしからも感謝を伝えさせてください」棚垣もまた、静かな足取りで百助のもとへやって来た。彼の瞳は穏やかなものになってい


「あの……メイドの方は?」百助は尋ねた。


「2度と刃物に近づけぬよう、後ろ手に拘束いたしました。今は料理人の前板が見張っています」


「……そうですか」百助は安堵した表情を浮かべ、深く息を吐いた。


「こんな時に蒸し返すのもなんだが、毒の件は、あのメイドが嘘をついているとしか思えない。皿の交換はあったにせよ、最初から2人を狙っての犯行だったんだ」岸菜は乱れた息のまま、まくしたてるように言った。


「彼女の話を聞く限り、そうは思えません。嘘をつくにしても、具体的すぎます」


 棚垣の冷静な分析に、綴は深く頷いた。


「同感だ。あの子の話している表情を見たとき、とても嘘をついているようには見えなかった。あれは心からの言葉じゃったよ」


「それじゃあ、他に無量様を狙っていた人物がいるっていうことになるじゃないか」岸菜は頬を赤らめ、吐き捨てるように言った。口からアルコールの香りが漂っていた。


 2


 一頻り議論が交わされたが、結局、もう1人の毒を盛った人物の特定には至らなかった。


 やがて泥酔した岸菜が場をかき回し始め、議論が立ち行かなくなると、綴医師が「少し休憩を入れよう」と提案した。棚垣と百助はそれに同意した。各々、重苦しい沈黙の中で休憩を取ることにした。


 数時間が経った頃だった。レストランの出入り口で仮眠をとっていた棚垣は、外から近づくモーター音を聞き逃さなかった。


 棚垣が外へ出ると、オーナーの王地が操縦するボートが波を切ってこちらに向かってくるのが見えた。東の空から黎明の光が差し込んでいた。突き刺すような冷たい風に、少しの肌寒さを覚えた。


「朝食の食材をお届けにあがりました」ボートを降りた王地が、爽やかな表情を浮かべて言った。


「来てくださり助かりました。至急、警察に通報していただけますか?」


「何があったんです?」王地から笑みが消えた。


 棚垣は、端的に状況を王地に報告した。前菜の直後、大槻家の夫婦が毒によって命を落としたこと、犯人として疑われたメイドが拘束されていること。他に毒を盛った人物は未だに判明していないことを伝えた。


「それは大変でしたね、もう大丈夫です。わたしの方で通報いたします」


「ありがとうございます」棚垣は王地の言葉に、緊張の糸が切れたように、安堵した表情を浮かべた。


 レストランに足を踏み入れた王地は、惨劇の跡を目の当たりにして絶句した。開いた口が塞がらないといった様子で、その場で呆然と立ち尽くしている。


「では、通報をお願いします」


「……はい」


 次の瞬間、棚垣のみぞおちに凄まじい衝撃が走った。事態を受け入れる暇もなく、意識が遠のいてその場で崩れ落ちた。


 岸菜は大口を開け、醜く、呑気にいびきをかいていた。綴医師は椅子に深く腰掛け、首をコクンと落として眠り込んでいる。


 メイドと料理人の姿は見えない。厨房の奥に行くと、2人とも壁にもたれかかって眠っていた。


 藤堂家の一行は、広間の片隅で互いに寄り添うようにして眠りに落ちていた。王地の口元がわずかに歪み、冷ややかな笑みを浮かべ家族の元へ歩み寄った。


 中心で寝ている百助の耳元に、王地はそっと声をかける。


「お時間ですよ、藤堂様。──準備は整っております」


 王地の首元にかかるペンダントには、藤堂家の娘──百花と王地が仲睦まじく寄り添う姿を刻んだ写真が納められていた。


 3


 お父様、お母様、百之助へ。


 わたしは、取り返しのつかない罪を犯してしまいました。


 目の前の復讐という欲に駆られ、1人の女性を殺めてしまったのです。


 わたしはもう、良心の呵責に耐えられません。


 ごめんなさい


 ──百花



 自室の机に残された遺書の傍らで、最愛の娘は息絶えていた。駆けつけた検視官によれば、服毒自殺ということだった。


 百助はその場で立ち尽くし、妻の花純は泣き崩れた。


 その後、花純はひとり暮らしをしている息子の百之助に電話をかけた。午前2時のことである。


 妹の死を知った百之助は、電話口で長い沈黙を続けた。あまりの衝撃で絶句していたのかもしれない。


 翌日、大槻無量と名乗る男性から電話があった。


「百花さんと連絡がつかないものでして、こちらにご連絡を差し上げました。ご融資の件で──」


「融資?一体どういうことですか」


 百助にとって、それは初耳の事実だった。


 無量の話によれば、経営が立ち行かなくなっている窮状を案じた百花が、自ら大槻家に融資を願い出たというのだった。


 話は既にまとまっており、後日設ける会食の場で、資金を準備する手はずになっていた。


 担保もなく、返済の保証もない藤堂家への融資など、本来なら不可能に近い。百花はどんな手段を用いて、大槻無量に近づいたのか──。


 数ヶ月が経ち、百花の恋人だと名乗る男が現れた。彼は王地政伸と名乗った。


 自宅に招くと、百助と王地は向かい合うように椅子に腰を下ろした。王地は口を切った。


「百花さんが亡くなったのは、大槻無量という男にあることを頼まれたからなんです」


「何を頼まれたんです?」


「ある女性が住む部屋の鍵を盗むようにと言われたそうです。鍵を盗んだ日に女性は亡くなりました。その日から、百花さんは思いつめたようになってしまって……」


 百助は、娘が残した遺書の内容を思い出していた。 


 わたしは、取り返しのつかない罪を犯してしまいました。

 目の前の復讐という欲に駆られ、1人の女性を殺めてしまったのです──。


 百助は王地の話に得心した。


「それで、藤堂さんにお願いしたいことがあるのです」


「何でしょう?」


「百花さんが、大槻家との会食を取り付けたと言っていたのですが、その話は本当でしょうか?」


「ええ、まぁ」


 百助は断りの手紙を書こうと、筆をとっていた。娘の遺志を継ぐべきだろうか、一体自分はどうすべきなのかで心が揺らいでいたのだった。


「場所が決まっていないのであれば、ぜひとも『王冠の島』を指定していただけませんか?わたしがオーナーを務めるレストランです」


「それは構いませんが、なぜそのようなことを?」


「百花さんの気持ちを追い詰めたのは大槻無量です。復讐したいと思いませんか?」


 王地の力強い瞳に、百助は怯んだ。確かに娘を追い詰めた大槻無量は許すことはできない。だが、無量に近づくきっかけを作ったのは百助自身なのだ。


 百助はこの数ヶ月、自分を責め続けていた。無量への復讐など、考えていなかった。


「復讐……ですか」百助は肩を落とした。


「場所を提案していただくだけで結構です」


 百助はその場で返事することができなかった。


 王地が去った後、花純が2階から降りてきた。


「あなた……今の話、本当なの?」


「分からない。でも、百花が書いた遺書と、王地さんが話していた内容の辻褄が合ってる。本当かもしれないな」


「それならやりましょう」隣に腰を下ろした花純が、百助の腕を掴んだ。

「百花の仇を取るの!」


 王地と花純の熱意に、百助は負けた。


 翌日、百助は大槻無量に電話をかけた。場所を『王冠の島』という名のレストランにしたいと提案すると、二つ返事で快諾した。


「王地さん、『王冠の島』に決まりました。次は何をしたらいいですか?」


「ありがとうございます。それではですね──」


 次に王地に会ったのが、無量が亡くなる日──今日だった。


 ウイスキーを用意したと王地が言った時、目が合ったような気がした。気づけば百助は「手伝います」と申し出ていた。


 王地がグラスに氷を入れ、百助が酒を注いだ。


 氷が半分ほど溶けた頃、大槻無量は毒殺された。


 4


 王地が藤堂家の一行を起こすと、ボートに乗せ、『王冠の島』を後にした。


「他の人たちはどうするんですか?」百之助が王地に訊いた。


「あそこにいるのは、大槻家とそれに関わる者たちです。到底許すことはできない」


 レストランから十分距離を取ると、王地はポケットからスイッチを取り出した。迷いなく、それを押す。


 『王冠の島』は爆発した。建物は跡形もなく吹き飛んだ。


 衝撃でボートは大きく揺れた。乗っていた一行は膝をついて目の前の惨劇を見届けた。


 百助は、立ち昇る黒煙を見届けていた。


 その後、通報で警察が駆けつけ、百助たちに事情聴取が行われた。

『ガスが漏れ始めているのに気が付き、逃げている最中に爆発が起きた』と口裏を合わせた。


 百助の手についた傷もその際についたものだと話した。


 消防もガス漏れだと結論付けた。見つかった遺体に事件性がないことから、事故として処理された。


 もしあの時、メイドの刃が誰かに刺されていたら、刺し傷があったとして、事件になっていたのかもしれない。そうなっては計画が瓦解してしまう──。


 岸菜という男を守ったのではない──百助は完全な計画を守ったのだ。


 ここで起こった真相を知る者は、わたしたち以外、どこにもいない──。





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