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探偵の白猫は推理を語らない  作者: aoi
王冠の島編
24/45

第2章 仕組まれた晩餐


 第2章 


 1


 料理人の前板清は仕込みのため、一足先に湖に囲まれた孤島のレストラン──王冠の島を訪れていた。


 なんて空気が旨いのだろう──。


 前板は深く息を吸い込んだ。都会の喧騒から隔絶されたこの場所は、疲れきった心を穏やかにしてくれる。湖畔を彩る深い山々と森に囲まれたこの島は、時折吹き抜ける風が冷たく、澄んでいた。


 大槻家の当主、無量様が本日所望したのはフレンチだった。和食一筋の前板にとって、未知なる挑戦だった。だがこの試練を前に、前板は密かに胸を躍らせていた。食べた人の喜ぶ顔を思い浮かべながら、要領よく仕込み作業に取りかかる。


 王冠の島は、調理設備も申し分なかった。手入れの行き届いた道具は、使っていて気持ちが良い──。


 藤堂家を招いたこの会食。素材の味を生かした滋味深い料理が好まれるに違いない。前板は、新鮮な夏野菜を取り揃えていた。完熟したトマトに瑞々しいズッキーニ、艶やかな茄子も用意した。


 リズム良く包丁の刻む音を響かせていると、不意に低く穏やかな声が飛んできた。作業に没頭するあまり、相手が近づいていることに気がつかなかった。


「すみません。作業の邪魔をしてしまいましたね」王冠の島のオーナー、王地が微笑みを浮かべて立っていた。

「どうですか?使い勝手は?」


「ええ。それはもう!素晴らしいです」


「それは良かった」王地は満足げに頷いた。「これから、大槻様たちを迎えに行ってきます。一度陸の方へ戻るので、何か必要なものがあればと声をかけた次第です」


「お気遣いありがとうございます。そうですね……」前板は辺りを見回した。「特に足りないものはありませんな」


「わかりました」王地は言った。


「それでは、失礼します」と言って王地は軽やかな足取りでレストランを出て行った。


 2


 藤堂百助は、後部座席の窓越しに広がる雄大な自然に圧倒され、思わず息を呑んだ。息子の百之助が運転する車に揺られて2時間。ようやく目的地に辿り着いた。


 車を降り、船着き場に行くと、そこには既に大槻家の面々や、取締役の岸菜蒼、そして見慣れぬ髭を蓄えた老人が立っていた。


 周囲に光源がないせいか、月明かりがより鮮明に地上を照らしている。時期が良ければ、ホタルを見ることだってできるかもしれない。


「あら、綺麗……」花純は頬に手を当て、うっとりした声を漏らした。


「ああ。そうだな」


 湖の中央に浮かぶ孤島。そこには小さな建物があり、温かい光を放っているのは、レストラン『王冠の島』だった。


 店の名前を訊いたとき、どんなものかと思っていたが形を見て合点がいった。側面から見ると、綺麗な王冠の形をしている。


「父さん、あれ」百之助が湖の先を指差した。


 百助と花純が視線を向けると、モーターエンジンの音が耳に届いた。音は徐々に大きくなっていく。こちらに近づいているのだ。乗っている人物のシルエットは、月光の下で次第に鮮明になっていく。


「どうも!」船を降りてきた男が、元気良く声をかけてきた。「お待たせ致しました。わたしはレストランのオーナーの王地と申します。メイドの方とシェフの方には、先にレストランの方へ来て頂いてます。先ほどまでいましたが、とても美味しそうな匂いがしてましたよ」


 促されるまま全員船に乗り込むと、先ほどの髭を蓄えた老人が声をかけてきた。


「初めまして、わたしは大槻家の主治医を務めております綴幸助と言います。本日はよろしくお願いします」


 差し出された手を見て、握手を求められているのだと百助は察した。


 応えて手を握ると、綴はさらに続けた。


「これからは、あなたも大槻家に関わる人間だ。何かお体に不安なことがあればすぐに申し付けください。報酬はお気になさらず」


「いえ、そんな。滅相もありません」百助は恐縮して手を振った。


「大事なお体だ。……こう言っては失礼ですが、お互い体にガタが来る頃だ。健康には気を配るべきですよ」


「……ありがとうございます」


 そんな2人の会話の様子を、王地は微笑ましく見ていた。そして彼は進行方向へと視線を移す。


「さぁ、もうそろそろ着きます」


 湖面は穏やかだった。だが、吹き抜ける夜風は、今の百助の体には堪えるほどに冷たかった。


 3


 船を降りた岸菜蒼は、一足先にレストラン『王冠の島』へと入って行く藤堂家の一行を、冷ややかな眼差しで凝視した。


 数年前まで、藤堂という名は業界の至るところで耳にした。貿易業ではトップクラスの業績を誇り、その存在感は圧倒的だったはずだ。それが、どこで道を誤り、ここまで落ちぶれてしまったのか。


「どうされましたか?」背後から棚垣が低い声で訊いてきた。


「いや、何でもない」


「本日は、百花様はいらしてないようですね」


 棚垣は、岸菜の胸のうちを見透かしたような視線を向けてきた。


「棚垣」岸菜は眉をひそめると、振り返って彼を睨みつけた。

「百花?誰のことを言ってる?」


「百花様は藤堂家の長女です。藤堂家が無量様に近づけたのも、彼女の尽力があってこそ。てっきり今日も来るものと思っておりましたが……」


「おっと、口が滑りました」と棚垣は感情のない声で言い残すと、無量と詩織のもとへ、音もなく歩み寄っていった。


 4


 倉持万尋は、並べられた料理を前に表情を強張らせると、思わず唾を飲み込んだ。


 メイド長から言い渡された重要な役割──それは、食事の毒味だった。


 寸胴で煮込まれたポトフからは、野菜の甘みが凝縮された豊かな香りが漂っている。


 事前に料理人の前板に、献立の説明は受けていたが、聞き慣れないカタカナに、万尋の耳は拒絶反応を示していた。


 前板は口角を上げると、万尋に声をかけた。


「倉持さん、安心して。毒は入れてないよ」


 万尋は顔を上げると、料理人に向け大きな目を見開いた。


「……冗談だよ、もう」


「冗談でも、そんなこと言わないでください!」


「ごめん、緊張を和らげようと思って」前板は苦笑しながら後頭部を掻いた後、瞳に真剣な色を宿らせた。

「わたしが作っているんだ。そんなこと、絶対にあり得ない」


「わかっています。ですが、メイド長のあの恐ろしい形相を見ると、ただ事ではない大役な気がして……」


 万尋は、いつも首筋に血管を浮かせて話すメイド長の顔を思い浮かべた。


「まぁ、先々代の当主が料亭で、毒を盛られたという前例があるからね。それ以来、外の会食は必ず大槻家の料理人が同伴するという決まりができたんだ」


 前板は穏やかな口調で、さらに続けた。


「先代は用心深い性格でね、念には念をって、メイドに毒味役を頼んだんだ。メイド長がちょうど、その頃から大槻家に仕えているから、性格が移っちゃったのかな……」


「まぁ、毒味役は大槻家にとって重要な役割だから、メイド長は倉持さんのことを認めて頼んだんじゃないかな。信頼してくれてるんだよ。応えなきゃ」


「そう……なんですかね」万尋は首を傾げた。


「さぁ、そろそろ無量様たちが来られる。今日はよろしく頼むよ、倉持さん」


「はい!」


 万尋は気持ちを引き締め頷くと、前板は満足げな表情を浮かべ、早足で厨房の奥へ消えていった。


 5


 全員がレストラン『王冠の島』へ足を踏み入れると、オーナーの王地が通る声で一同を歓迎した。


「本日は、『王冠の島』をご利用いただき、誠にありがとうございます。お近づきの印として、国産の上質なウイスキーをご用意いたしました。食前酒として、あるいは前菜と合わせてお愉しみいただければ幸いです」


「ほう」大槻無量は渋みのある声で唸った。

「早速いただくとしよう。ロックで頼む」


 無量は酒に目がないことを、王地はあらかじめ熟知していた。


「わたしも同じものをいただこうかしら」隣に座った詩織が、遠慮がちに小さく手を挙げた。


「ありがとうございます。では、ただいま準備いたします」王地は微笑みを浮かべ、勢いよく頭を下げた。


 長く重厚なテーブルに、大槻家の夫婦に藤堂家の一行、そして岸菜と綴が椅子に腰を下ろした。屈強な体格の護衛──棚垣だけは、少々距離を置いて、大槻家の夫婦の背後に直立している。


 純白のテーブルクロスに、アンティークの椅子。『王冠の島』の名に恥じぬ、異国の王室を思わせる雰囲気に、王地は密かな自負を抱いていた。


 無量と詩織に倣い、他の面々も酒を所望する。当初は「職務中ですので、結構です」と言っていた棚垣も、無量からの「一杯付き合え」という鶴の一言に従わざるを得なかった。


 そこで、藤堂百助がおもむろに立ち上がると、王地に向かって声をかけた。


「わたしもお手伝いします」


「それならわたしも……」と妻の花純が腰を浮かせたが、百助はそれを手で制した。


 王地と百助は、アイスペールからトングで氷を拾い上げ、グラスにカランと音を響かせて置くと、そこへ黄金色のウイスキーを静かに注いだ。


 王地は藤堂家一行と、綴の前に、そして百助は大槻家夫婦と、岸菜の前にそれぞれグラスを置いた。


 グラスを手に取った無量は立ち上がると、一座を見回して口を開いた。


「今日、この佳き日を迎えられたこと、大変嬉しく思う。藤堂家の皆さんの益々のご発展を祈念して……乾杯」


「乾杯」一同は唱和してグラスを掲げ、ウイスキーを口に含んだ。


「うーん」無量は笑みを浮かべ唸った。「舌触りが滑らかだ。鼻に抜ける芳醇な香りも素晴らしい」


 王地の方を見て満足げに礼を述べると、そのまま腰を下ろした。


 笑顔を浮かべて会釈で返すと、頃合いを見計らって王地は言った。


「それでは、わたしはこの辺で失礼致します。後は皆様、ごゆっくりとお過ごしください」


 王地は付け加えるように言った。「このあたりは、大変電波が届きにくいので、護衛の棚垣様に衛生電話を預けておきます。何かご用があれば、それを使ってご連絡いただければと」


 彼は棚垣に端末を渡すと、電話番号を告げた。改めて一礼しレストランを後にした。


 ボートに乗り込むと、首にかけたペンダントを強く握りしめ、エンジンをかけた。


 オープニングアクトは終わり。わたしの役割はもう終えた──。


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