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探偵の白猫は推理を語らない  作者: aoi
絵本千蔭編
14/46

暴かれた密室


 4 永田兆治郎 捜査一課 警部補


 運転していた車を駐車場に停めると、永田は目の前の建物を見た。


「ここが絵本千沙都が亡くなったアパートか」


「はい」助手席に座っていた佐久間巡査が言った。


 彼女と行方不明の娘が同居していた部屋は、2階の左端にあった。建物の色は白を基調としていてシンプルな造りだ。永田は事件現場の写真で見た部屋の様子を思い出していた。掃除が行き届いていて綺麗な部屋だった。


 2人で車を降りると、近くに停まっていた車から1人の男性が出てきた。頬が痩せこけていて、髪がどこか寂しげだ。年齢は70代のように見えた。


「どうも」男性は強張った表情で会釈してきた。


「いきなりの連絡で申し訳ありませんでした」永田は頭を下げた。


「いや、いいんです」男性は手を振った。「確かめたいことがあるとかで」


「はい」


 先週のことだった。佐久間と非公式の捜査を始めると決めて、最初に思い立ったのが事件現場の再検証だった。何か見落としがないか確かめたかったのもあるし、永田自身も直接現場を見たいという思いがあった。


 非公式の捜査であるため、服装は私服だ。この日も永田と佐久間の非番が重なる日だった。


 改めて自己紹介が行われた。男性は長田と名乗った。このアパートの管理人をしているとも言った。


「遺体の第一発見者の方でもあります」隣にいた佐久間が情報を付け足した。


 長田は決まりの悪そうな顔を浮かべ、コクンと頷いてから手を小さく挙げて示した。


「それではこちらです。部屋へ案内します」長田の足取りは重かった。年齢のせいもあるのかもしれない。


 鍵を開けてもらって中に入ると、部屋は家具などが綺麗なまま残されていた。こもったような暑さでどこか不快に感じる。


「まだ片付けてなくてね」長田は眉毛をハの字にした。「一緒に暮らしてるお嬢さんと連絡がつかない状態で、困っとるんです」


 永田にとっては好都合だった。現場の保存ができているからだ。


 間取りは2LDKで、絵本千沙都が倒れていたのは奥にあるリビングだった。玄関からリビングに向かう間に浴室やトイレ、洋室が2つあった。手前側の洋室が娘の部屋だと佐久間が歩きながら言った。


 リビングに近づくにつれ、微かに腐敗臭を感じた。カーテンが閉められていて、薄暗い。


「電気まだつきますか?」永田は振り返って訊いた。


「ええ」長田は頷いた。「まだつきますよ」


 永田が電気をつけると、佐久間はリビングと隣の洋室のカーテンを開けた。光が差し込んで、少しほこりが舞った。


 窓ガラスについている水垢の斑点はそのままだ。


「この斑点を見つけたと言っていましたね?」永田は窓ガラスを指差しながら、長田に視線を向けた。


「はい。まぁ、目についただけなので特に意味はありません。今考えてみたら、ただの掃除のし忘れでしょう」長田は後頭部を掻いた。「関係ないこと言って申し訳ない」


「いえいえ」永田は片方の口角を上げた。


 それから永田と佐久間は部屋を見て回った。写真で見ていた通り、部屋の掃除は行き届いていた。窓の拭き忘れが、どうにも引っ掛かる。


 永田はリビングに戻り、ふと壁紙を見た。水の垂れた痕のような筋がある。


「これは……」壁に水滴ができて、垂れたのか。その瞬間、頭の中で何かが光ったような気がした。


 永田は目を見開き、他の壁紙を見た。所々だが、同様の状態になっている。


「すみません」佐久間がシャツで扇いだ。「暑いんでエアコンをつけていいですか?」


 我慢しろと思ったが、長田の表情を見るとつけてほしそうに見える。 


「わかった。つけていいぞ」


「ありがとうございます」


 佐久間はテーブルの上にあったリモコンを手に取り、冷房のボタンを押した。


「あれ」佐久間は言った。


「どうした?」永田は彼の隣に立った。


 リモコンの温度表示にこれまでの謎に合点がいった。冷房の設定温度は18度だった。


「佐久間、絵本千沙都さんの死亡推定日の気温を調べてくれ。俺の推理が正しければ、これは殺人事件だ」


「え」佐久間の目が大きくなった。「あっ、分かりました」持ってきていた捜査資料を開いて調べていた時だった。


「殺人事件?どういうことですか?」長田は目をひん剥いた。


 しまったと思った。永田はすぐに「可能性という話です」と言った。


 病死から殺人事件となると、この部屋を事故物件として取り扱わなくてはならない。管理人の長田にとっては重要な問題だ。


「困ったな」と言って長田は、ポケットからスマートフォンを取り出しながら部屋から出ていってしまった。


「永田さん」佐久間が近くまで来た。「絵本千沙都が亡くなった日は7月の11日で、気温は31度でした」


「やっぱりな」これで説明がつくはずだ、と永田は頷いた。


「やっぱりってなんです?」


「外の気温は高く、部屋の温度は18度だった」永田はエアコンを指差した。「ガラスの水垢の斑点と、壁紙の水の垂れた痕。どちらもこの部屋が結露していたことを示している」


「確かに」佐久間は部屋を見渡し、永田が言った箇所にそれぞれ視線を移した。「でも、その結露と殺人にどんな関係が……」


 彼は考え込んだ表情に変わった。永田は説明を続ける。


「部屋の掃除が行き届いていた被害者が、掃除をし忘れたとは考えにくい。どちらも死後についた痕跡だと考えるのが妥当だ。ということは、結露が起きる前に被害者は亡くなったことになる」


「ええ。まぁそうですね」佐久間は顎に手をやりながら、数回頷いた。


「被害者の当時の行動はこうだったはずだ。暑い外から帰宅し、戸締まりをした後、リビングに行った。すると部屋が極端に冷やされていて、急激な体温の変化に耐えられず……」


「……心不全になった、と」


「そうだ」永田は佐久間を見据えた。「被害者はヒートショックによる心不全で亡くなった」


「それだと、殺人事件じゃなくて事故ではありませんか?」


「いや、これは殺人事件だ。誰がこの18度という温度設定にしたのかが今回の焦点だ。悪意があれば、殺人になる」


「となると、同居していた娘が怪しいですね。娘なら合鍵を持っているでしょうし、内側から鍵がかかっていたというのも説明がつきます」


「そうだな」


 絵本千沙都の娘、千蔭は行方不明になっている。彼女から話を訊けば、事件の全容が分かるかもしれない──。永田は一通り調べ終えると、部屋を後にした。


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