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目指せ、強欲の悪女! ②

 いざ執務室の前まできて、エリスは扉を開けることを少し躊躇った。

「いきなり押しかけたりして、ご迷惑ではないだろうか」

 カリプソがそんな彼女を嗜める。

「ほら、言葉」

 だが、エリスの質問に答える様子はない。

 だからエリスは今一度、子どもっぽい口調で同じ質問をしてみた。

「いきなり来ちゃったら、お仕事の邪魔になっちゃうんじゃないかな」

 カリプソは「あー」と軽く呟いてエリスの姿を上から下まで眺め回した。

 見てくれ12歳のエリスは、実に少女らしいあどけない姿をしている。

 そもそもの容姿が少し垂れ目で童顔気味であり、褒め言葉としては“美人”ではなく“かわいい”と言われることの方が多い。

 特に今日は屋敷内で過ごしているということもあり、なんの飾り気もないフワッとしたワンピースを着ているのだから、ますます幼く見える。

「いやいや、俺がパパなら、こんなかわいい娘がおねだりに来てくれたら嬉しいけどねえ」

「悪魔なのに娘がいるのか?」

「たとえ話だよ、あと、言葉遣い、戻ってるぞ」

 カリプソは「よいしょ」としゃがみ込んで、エリスと目線の高さを合わせた。そのまま彼女の瞳の奥を、じっと覗き込む。

「ちょっとパパの前に行ってさ、おねだりするだけじゃん、何をそんなビビってんだよ」

「そもそも、父のことをパパなんて呼んだことないし」

「ああ、そっか、貴族だもんな、でもパパって呼んでやったら喜ぶと思うぜ〜」

 悪魔の目が怪しく光る。

 その光から目が逸らせずに、エリスは立ち尽くす。

「パパ……とは……十年ぶりに顔合わせるわけだし……」

「ああ、人生2回目だとそういう感覚になるわけね、そりゃ気後れもするか〜、なるほど〜、でも……」

 悪魔はさらにエリスの心の奥底に入り込む、ぬるんと。

「ああ、見える、見えるぞ、もっと深いところにある、その怯えの正体が」

 悪魔の瞳に映ったのは、今よりも幼い、5歳ぐらいの少女の姿をしたエリスの姿だった。


 エリスは母親を産褥熱で失っている。

 母の顔を知らないのだから寂しいと思ったこともないし、きちんとした乳母がつけられて身の回りの世話をしてくれたから、母がいない不自由という物を感じたこともない。

 それに父が――公爵として忙しかったはずなのに、父は毎晩エリスに添い寝して、絵本を読んでくれた。きっとそれは、母親の分までエリスに愛情を注いでくれようとした、そうした父親としての愛情だったのだろう。

 だが、高位貴族の子育てとしては少し異例のことであった。エリスがそれを知ったのは5歳の時、同い年の公爵令嬢に招かれて茶会ごっこに参加した時のことだった。

 ごっこ遊びとはいえ、羽振りもよく貴族家として名門でもある公爵家の主催する茶会である、招かれたのはいずれも高位貴族の令嬢ばかり。

 ホストである侯爵令嬢は9歳、他の令嬢たちもそれに年の近い者ばかりが三人ほど。エリスは一番年下であったが、公爵家と少しでもお近づきになりたいという侯爵側の思惑と、年上の子供たちならば小さな子供に対して手加減してくれるだろうというエリスの父との思惑が図らずも一致したための参加だったわけだ。

 確かに小さな令嬢たちはエリスに優しかった。ちょっとお姉ちゃんぶってお茶会の作法を教えてくれたり、おもちゃをいくつも持ってきて遊び相手になってくれたり、エリスがまるで“小さな妹”であるかのように親切に面倒を見てくれたのだ。

 やがて遊び疲れた子供たちはガーデンテーブルに並べられた菓子を食べながら、自分の父親について話し始めた。ある伯爵令嬢は自分の父親がいかに領民から愛されているかを自慢したし、また別の公爵令嬢は父親が城づとめで国王陛下直々にお言葉を賜ったこともあることを自慢した。

「エリスちゃんのお父様は?」

 そう聞かれたエリスは無邪気に答えた。

「お父様はね、ご本を読んでくれるの、毎晩」

 少女たちが「えっ」と驚いた顔をした。

「ご本を? 乳母ではなく、公爵様が?」

「うん」

「それは何かのお勉強のご本?」

「ううん、普通の絵本だよ、お姫様とか、魔法使いが出てくるの」

「それは……ねえ……」

 みんなが言いにくそうに口籠る中、赤毛の少女だけが一際大きな声を上げた。

「それはおかしいよ!」

 彼女は公爵令嬢とは幼馴染だが身分は子爵家令嬢で、だからこそ畏れ知らずでもあった。

「うちにも小さな妹がいるけれど、お父様もお母様もご本なんか読んであげないよ、そういうのは、ばあやの仕事なんだって!」

「そうなの?」

「そうなの! お父様やお母様は他のお仕事で忙しいんだから、甘えちゃダメなの!」

 これを聞いたエリスは屋敷に戻ってすぐ、父に「もうご本を読んでくれなくてもいい」と訴えた。父はこれを「エリスもお姉さんになったんだね」と少し寂しそうに肩を落として聞き入れてくれたのだが……


 パチンと目の前で指を鳴らす音が聞こえて、エリスは現実に引き戻された。

 目の前には悪魔のニタニタ笑いがある。

「なるほどね、父親の愛情を拒んだことがトラウマになってるのか〜」

「人の心を勝手にのぞくんじゃない」

「言葉遣い! でもま、いいんじゃないの、人間らしい、実に人間らしい感情じゃないか、複雑で、美しい!」

 カリプソはぐいっと、鼻先が触れるかというほどにエリスに顔を寄せた。

「でも、君は悪女になるんだよね、そうだろ?」

「でも……」

「まあ聞きなよ、悪女になるってのは、何も悪いことばっかりじゃない、君みたいにわがままの一つもいえない子には特に、ね」

「わがままなんか言ったら、嫌われない?」

「あーあー、パパに嫌われるのが怖いのか、かわいいねえ、健気だねえ、でもさ、君のパパはわがままの一つや二つくらいで君を嫌ったりしないと思うんだよね」

「そうかな」

「試してみれば?」

 カリプソはスッと立ち上がり、執務室のドアに手をかけた。

「ま、もしパパに嫌われてもさ、俺がいるじゃん、俺は君のこと嫌いにならないって約束するよ」

 彼に背中を押されて、エリスは執務室の中に入った。


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