アクマミーツガール ①
「おい、そろそろ起きろよ」
誰かに呼びかけられて、エリスは目を開けた。
いや、“目”を開けたというのは正しくない。
なぜなら今のエリスは首だけになって門の前に晒された“死人”なのだから。
エリスは自分が魂だけの存在となって、苦悶の表情を浮かべる己の死に顔を見下ろしていることに気づいた。
「私は、処刑されたのか……」
エリスは己の首から離れて、彷徨い出した。街には未だ処刑後の熱気が満ちており、街角では人々が口々にエリスを罵っていた。
「随分と贅沢な女だったらしい、宝石やらドレスやらを買い漁って、そのために革命軍の金を使い込んだらしい」
「それって、俺たちが寄付した金だろ、こっちはカツカツの生活の中から捻り出したものを寄付したってのに、あの女に使われて終わりかよ」
違う、そんなことはしていない――エリスは革命軍の中枢にあって、その財源も人員も全てを自分の享楽のために使った悪女として処刑された。
だがこれは真実ではない。
確かにエリスは王政を覆さんと目論む革命軍に籍を置いていたが、それは末端の一兵卒としてであり、なんの権力も有していなかった。
時に戦場で戦い、その手を人の血に染めたこともあるのだから、なんの罪もないとは言わない。だが、群衆の眼前で首を落とされ、死後も尊厳を弄ばれるほどの大罪など犯してはいない。
「随分と男好きだったらしいじゃないか、革命軍のお偉いさん方全員と寝たんだって?」
「それだけじゃないわ、自分の好みの男を見つけると、革命軍への勧誘って形で声をかけて、愛人にしていたらしいわよ」
そんなこともしていない。
エリスの悪評を捏造し、市井に流布させたのは革命の敵である王家側の仕業だ。
彼女は出自が少々特殊であり、これに目をつけた王家は革命軍の正当性を挫くプロバガンダのために彼女を利用したのだ。
「結局革命に参加したのも、自分の家を取り戻すためだったんだろ、つまり革命軍の私物化ってやつだ」
「なんだっけ、元は高位貴族だったのにおばさんに家を乗っ取られたんだっけ?」
「だよなあ、結局、お貴族様が俺ら庶民のために本気で戦ってくれるわけがないってことだな」
ついにエリスは頭を抱え込み、道のど真ん中で絶叫した。
「違う、違う! 私は本気で民衆を救おうと……!」
だが、魂だけの存在となった彼女の言葉は誰にも届かない。
「私はっ!」
絶望に膝を折るエリスに、たった一人だけ、話しかける者があった。
「なあ、人間って愚かだと思わない?」
振り向いたエリスが見たものは、一匹の若い悪魔だった。
爬虫類に似た鱗に覆われた肌、ツノの突き出した頭、背中に生えた羽根は蝙蝠に似ている。そして口は耳まで裂け、それがニタリといやらしい笑みの形に歪んでるのがなんとも不快だ。
それを見たエリスは、一気に感情が冷めるのを感じた。
「なるほどな、悪魔か」
悪魔はこれが不服だったらしい。
「え〜、もっとワーとかキャーとかさ、そういうのないの?」
「ないな、自分の首が落ちるという地獄を見たんだから、悪魔ぐらいは想定の範囲内だ」
「ひゃー、かっこいい〜」
随分と軽薄な悪魔だ、とエリスは思ったが、それは言わずにおいた。
「それで、何の用だ、私をあざ笑いにきたのか?」
「違う違う、手を貸してあげちゃおうかなと思ってさ。ね、どう、君の死を嘲笑う愚かな人間たちに復讐してみない?」
悪魔は今までこのやり方で何人もの人間を堕としてきた。
だから自信があった。
彼はエリスが人間の薄情さを嘆き、怨嗟の言葉を吐き出すだろうとワクワクしながら待っていた。
しかしエリスは、悪魔が思う以上に高潔であった。
「悔しいと思う気持ちはある、人間だからな。だが私の犠牲を礎に同胞たちは必ずや革命を成し遂げてくれるであろうと思えば、この死も誇らしいものである」
「あー、そういう感じ〜?」
これはもちろん、悪魔の望む答えではない。
だから彼は軽く手を振って、その手の中に金色に輝く魔法の書を呼び出した。
「わかった、やり方を変えよう」
「なんだそれは」
「これ? 君ら人間にわかるようにいうと、アカシックレコードってやつ?」
悪魔はその本をパラパラとめくり、そしてニヤリと笑った。
「あー残念、その革命、失敗するね」
「なんだと、見せろ!」
「だーめ、こういうのは人間には毒だからね」
悪魔は金色の本をパタンと閉じる。
「まあ教えられる範囲で言うと、2年後にあんたの死を旗印にして一斉蜂起するけど、その情報が王様側にバレてて、全滅っていうね」
「全滅……ダレスは? ダレス・ローレンという男はどうなる?」
「あれあれ、必死になっちゃって、まあ……」
悪魔は、これは面白くなってきたぞとほくそ笑む。
「なになに、その男が何? あんたの恋人とか?」
「まあ、そうだな……」
「でも残念、全滅だって言ってんじゃん、当然……ねえ」
「そうか……」
「あ、でも、俺がいれば、未来を変えることも可能だね」
「そうか!」
「あー、でも残念、君もう、死んじゃったね」
「そ、そうか……」
魂だけの存在となったのに、エリスは実にいい反応を見せる。
これが悪魔の興味を強く引いた。
「その、ダレスだっけ? あんたの恋人? あんたが処刑される時に助けにも来なかったわけじゃん? つまり切り捨てられたわけよ? 恨んだりしないの?」
「しないな、あの状況ならば仕方のないことだ」
「ふーん、あんた、本当に善人だね、どうやったらそんな善人に育つわけ?」
悪魔は再び手を振って、今度は黒い本を手の中に呼び出した。
「それは?」
「これはあんたの一生だけを抜き出した本、アカシックレコードの外伝みたいなもんだよ」
悪魔はそれをめくる。
「へえ。面白いね、あんた、公爵令嬢だったんだ?」
「子供の頃はな、家は伯母に乗っ取られて、今は平民だがな」
「それがなんで革命軍になんか入ったのか……」
「伯母から身を隠すために出奔したからだ。街で行き倒れていた私を拾ってくれたのがたまたま革命の志士だった、それだけの理由だよ」
「なるほど、なかなかに波乱万丈ね」
悪魔は黒い本をパラパラと流し読みする。
それは悪意の塊である悪魔にとっては非常に興味深い善人の物語であった。
「これってさ、典型的な“善人ゆえに損する人生”ってやつだよね」
「そうなのか?」
「そうなのよ、あんたおばさんに家を乗っ取られてるけどさ、これ、最初っからおばさんを追い出せばよかった話じゃん」
「だがな、伯母は子供もいるのにご夫君を亡くしたばかりでな、出ていってもらうのは、その、申し訳なかったというか……」
「それがもう、善人の考え方なのよ、普通だったら自分に害なしそうな相手は、まず家に入れないね」
「それは君が悪魔だからだろう」
「いやいや、人間でもタチの悪い奴は、悪魔よりエグいからね?」
「そんなことはない、それは育った環境や、社会が悪いんだ。純粋無垢な赤ん坊の頃から悪人である人間なんていないだろう?」
「あー、性善説ね、はいはい」
一事が万事この調子——エリス・エバートンの人生は、その善性ゆえに損ばかりをする人生であった。
「うん、これはいい、とても面白い」
悪魔は黒い本をパタンととじてエリスの魂を見た。
真っ黒い悪性の塊である悪魔から見たエリスの魂は。その高潔さを体現するかのように白く光り輝いて見えた。
(いいねえ、実に面白い)
永遠に等しい寿命を生きる悪魔は、ともかく娯楽に飢えている。
そして悪魔であるからこそ、気軽に他人の人生を弄ぶ、悪魔とはそういうものだ。
「あんたさあ、もう一回人生をやり直してみるつもりはない?」
悪魔の提案に、しかしエリスは、わずかに眉を顰めた。
「そんなことをしてなんの意味がある?」
「意味ならあるさ、あんたが1回目の人生とは違う選択をするならばね」
悪魔は手のひらの中で黒い本を弄ぶ。
「あんたの人生を一冊の本だと思ってごらんよ、つまりさ、この本を最初の1ページから書き直して、全く違う新しい物語を作ってしまおうっていうわけさ」
「なるほど、つまり、一度目の人生とは違う選択をして、人生の結末を変えることができる、というわけだな」
「そうそう、そしたらさ、革命を成功させるでも、公爵令嬢の身分を守るでも、なんでも好きにできるわけよ」
悪魔にとっては、ここからが本題だ。
「で、物語を変える手っ取り早い方法ってさ、主役を変えることだと思うのよ」
「つまり、私の物語なのに私が主役ではない……?」
「あー、違う違う、そうじゃないんよ、1回目のあんたの人生は“善人令嬢エリス・エバートン”の物語だった、これをさ、“悪女エリス・エバートン”の物語に書き換えるのはどうかなって話なんよ」
「つまり、私が悪女になればいいんだな」
「そういうこと」
「なるほど、実に興味深い提案だ」
悪魔がニタリと笑う。
「っても、あんた、悪女に詳しくなさそうだからさ、特別サービスで俺が指導してやるよ」
悪魔はひょいと身をゆすって人間に姿を変えた。
黒髪で、目鼻立ちの整った、長身痩躯の男だ。
ツノもなく、羽も隠して見た目はまったく人間の若い男の姿だったが、鋭く釣り上がった冷たい目つきは少し悪魔的である。
「俺はカリプソ、この格好であんたの物語を一番近くで楽しませてもらうからさ、楽しませてくれよな、“悪女”さん」
「ああ、よろしく頼む」
「さて、じゃあ早速、この“物語”は、もういらないよね」
カリプソの手の中で、黒い本が黒い炎をあげて燃え上がった。
「さあ、始めよう、新しい“物語”を」
そのまま大きく燃え上がった炎がエリスの魂に燃え移る。
炎はさらに大きくゴウゴウと天をこがさんばかりに燃え上がり、エリスの魂はその中に消えた。




