佐藤伊吹「最後の会話」
第一章第十三話「隠したはずの本音」の菜乃葉が去った後と、伊吹と菜乃葉の中学生時代最後の会話のお話です!
「……」
教室では地獄みたいな空気が漂っていた。
菜乃葉が琴葉を突き放した。
かなりキツイ言葉を使って。
菜乃葉を恨む者、琴葉を励ます者、それぞれが何かしらの気持ちを抱いている。
しかし、多くの人間は菜乃葉を恨んでいるだろう。
琴葉は学園でも人気だからだ。
「セシリア、ギディオン、話がある。ついて来てくれ」
俺はとりあえず二人を教室から連れ出すことにした。
この世の終わりみたいな顔をしている琴葉は、何も言わない。
柚木は平然としているように見えるが、内心かなり焦っているだろう。
今までの菜乃葉の行動も予想外だったが、琴葉をここまで突き放すなんて。
菜乃葉の目的が見えない。
俺達は王家専用の休憩スペースに入った。
「琴葉、大丈夫か?」
「……」
返事はない。
俺は柚木と顔を見合わせた。
少し琴葉を放っておくことにした。
そのほうが琴葉も落ち着けるだろう。
「柚木、今回の事どう思う?」
「少なくともあの顔、菜乃葉の本心ではないだろうけど……」
菜乃葉が琴葉に「大嫌いなあなたが不幸のどん底に落ちる瞬間がずっと見たかったわ!」そう言った時、菜乃葉は傷ついたような顔をしていた。
でも、言っていいことと悪いことがある。
「本心じゃなかったとしてもやりすぎだと思う」
「あいつの目的が読めない。前世から自分の気持ちを言うことはあんまりなかったけど、今世はもっと言わなくなった。人が傷つくことを嫌っていたのに……、一体どうしたんだよ」
「……」
沈黙が続いた。
琴葉が落ち着くのを待つ間、俺は菜乃葉と最後に話した時のことを思い出していた。
◇◆◇
「伊吹、ここにいたのか」
「……柚木」
俺が川沿いで空を寝転んで眺めていると、柚木が俺の顔を覗き込んで来た。
今は一人になりたかった。
来てしまったものは仕方がないか。
俺は姿勢を正すことをせずに空を眺め続けた。
「伊吹、いつまで逃げているつもりだ?母さんだってお前に会いたがっていたぞ」
少し前に母親は交通事故に遭って入院した。
原因は多分俺だろう。
母親が交通事故に遭ったその日、俺は母親と喧嘩した。
母親は反抗的な俺にキレた。
――あんたなんか産まなきゃよかった。
そう言った。
本気の顔をして。
産んでほしいなんて頼んでないし、勝手に後悔されても迷惑だ。
勝手に産んで、勝手に失望して、勝手に後悔する。
本当に自分勝手だ。
それから二週間経ったけど、俺は一度も見舞いに行っていない。
「『産まなきゃよかった』なんて言った相手が見舞いに来ても嬉しくないだろ?」
「まだいじけてんの?」
「うるさい、どっか行け」
柚木は少しイラついたような顔をして、「勝手にしろ」と言って帰って行った。
正直俺は柚木と仲が良い訳ではない。
不愉快だな。
そう思い、俺はため息をついた。
「おやぁ、こりゃまた大きなため息だね。幸せが一生分なくなったんじゃない?」
今度は菜乃葉が俺の顔を覗き込んでいた。
「よっ、卒業式ぶり」
いつもと変わらない笑みを浮かべた菜乃葉は珍しく私服だ。
カッターシャツにエプロンみたいなワンピースを着ている。
まるで貴族のお嬢様みたいだ。
菜乃葉は俺の横に座った。
「何だよ」
「ん〜?なんにも〜。なんだか浮かない顔をしてるなって思って」
「そうかもな」
俺は体を起こした。
横で膝を抱えながら俺を見る菜乃葉は、まるで俺の考えていることを見透かしているかのような顔をしている。
「何かあった?最近ずっとそうだよ」
「……」
全く無関係な菜乃葉に話していいものか。
俺は少しためらった。
「菜乃葉」
「ん?」
「お前は親に『産まなきゃよかった』って言われたことある?」
俺はそう言ってから、ハッとした。
なんてことを聞いてしまったんだろう。
菜乃葉にこんなこと聞いても困らせるだけなのに。
俺は愛想笑いをした。
「なーんて……」
「あるよ」
「……え?」
菜乃葉の顔を見ると、切なそうに空を見上げていた。
そんな様子は見たことがなかった。
いつも明るくて、謎にクラスメイトから嫌われていてもヘラヘラしている菜乃葉が、切なそうな顔をしている。
それだけで新鮮なのに、声のトーンがその本気さを現している。
「なの……」
「お母さんかお父さんにそう言われたの?」
菜乃葉は俺に聞いた。
「まぁね」
曖昧な返事をした俺に、菜乃葉も呆れるかと思った。
けど、菜乃葉は「なにそれ」と笑うだけだった。
菜乃葉には話してもいいかな。
俺は心に決めて、菜乃葉を見つめた。
「母さんが交通事故に遭ったんだ。でも、俺はまだ見舞いに行ってない。母さんが事故に遭ったのは多分俺のせいだから」
「……何で?」
「俺が母さんに反抗して怒らせたから、母さんはあの日予定もなく家を出た。母さんは家を出る時に俺に『産まなきゃよかった』って言った。だから行きたくないんだ」
「もしかして、進学の話?」
「うん」
「そっか、相変わらず認めてもらえてないんだ」
「まぁ、強引に行くことにしたからな」
菜乃葉は立ち上がって、俺を見た。
その瞳は真っ直ぐ俺を見ていた。
そして、菜乃葉は真面目な顔をして俺に言った。
「私は『産まなきゃよかった』って思っている人の行動を私は知ってる。断言するよ。いっくんのお母さんは本心で『産まなきゃよかった』って言ったわけじゃない」
どうしてそんなことを知っているのか。
俺はそれが聞けなかった。
菜乃葉は自分の心には踏み込むなと言わんばかりの目をしている。
俺はそれに負けた。
「いっくんは怖いだけでしょ?お母さんにまたそう言われるのが怖いだけでしょう?」
「……」
正直分からない。
自分はどうして母親の見舞いに行かないのか。
行かないといけないという気はしている。
でも、体が動かない。
「勇気を出して話し合おう。きっと、いっくんが欲しい言葉がもらえるから」
菜乃葉はそう言って笑った。
その表情はなぜか苦しそうだった。
◇◆◇
俺は病室のドアの前で立ち尽くしていた。
二週間も放置していた俺がこのドアを開けていいのだろうか。
やっぱり帰ろう。
俺は病室に背を向けた。
――きっと、いっくんが欲しい言葉がもらえるから。
菜乃葉の言葉が俺の頭に響いた。
「……」
俺は覚悟を決めてドアを叩いた。
中から母親の声が聞こえた。
「どうぞ」
俺はドアを開けて中に入った。
母親から俺の姿が見える位置に来た時、母親が息を呑む音が聞こえた。
包帯がぐるぐる巻きの母親は目を見開いて俺を見ていた。
「伊吹……」
その声は震えていた。
俺は母さんのそばに行って、椅子に座った。
その間、お互いに声を発することはなかった、
「その……。見舞いに来なくてごめ……」
母親は俺の言葉を遮って、俺を抱きしめた。
温かくて、落ち着く。
「ごめんね、伊吹」
「……」
「お母さん、本当は『産まなきゃよかった』なんて思ってないの。ごめんね」
俺の首筋に温かい水が流れた。
母さんは泣いているのだろうか。
俺は母さんを抱きしめかえした。
「東京に行くのに反対したのは、不安だったからなの。東京は大阪よりも治安が悪くて怖い。だから心配なのよ」
「大丈夫だよ。俺は小さい子供じゃない。社会をちゃんと知りたいんだ。もしかしたら辛いこともあるかもしれないし、嫌なこともあるかもしれない。でも、俺は自分でなんとかしたいんだ。大人になりたい。だから東京に行かせてほしい。折角受験に受かったのに。行かないなんてもったいないことをしたくない」
俺はまっすぐに母さんを見た。
母さんは俺の覚悟を受け止めてくれたようだ。
「分かったわ。でも、辛いことがあったらすぐに相談してちょうだいね」
そして俺は東京の高校に進学した。
菜乃葉が行くと言っていたから東京の高校に進学したのに、菜乃葉は入学式の日、その場にいなかった。
結局あれが最後の会話となった。
あのときの表情は何だったのか。
もしかしたら、あいつはあの時すでに知っていたのかもしれない。
あいつが東京の高校に受かった事実が消されていたことを。
◇◆◇
「琴葉、落ち着いたか?」
「うん、ごめんね。でもちょっと辛いかなぁ……」
琴葉は落ち着いたらしい。
俺達は琴葉のそばに行って、琴葉と話をすることにした。