今更後悔してももう遅いという言葉があるが、本当に遅かったなぁと、どうしようもない男が反省する物語
ロイス・アンディレス公爵令息。20歳の彼はいまだ婚約者が決まらず焦っていた。
見目麗しい金の髪、碧い瞳。
それはもう、以前は夜会に行けば色々な令嬢から声をかけられて、モテまくっていた。
だから、令嬢達と浮名を流し、やりたい放題してきたのだ。
甘い声で耳元で囁き、身体の関係を持った令嬢も何人かいる。
子が出来ぬように、薬を飲んでいたから、子は出来た事はない。
だが、身体の関係を持った令嬢達は、舞い上がって、こんな関係になった責任を取ってくれと言ってくる。
それをロイスは冷たく突き放すのだ。
「君とは一晩の関係だ。同意の上で、君も楽しんだはずだ。ん?また、私と寝たいのなら、寝てもかまわない。その代わり、私の婚約者になれると思うな。私はアンディレス公爵家の嫡男だ。そんな私の婚約者が君のような尻軽では困るだろう」
「尻軽だなんて。貴方だからわたくしはっ」
「尻軽でなければ、なんだ?私の誘いに簡単に乗ってきたではないか」
「酷いっ。酷いわ」
そんなこんなで令嬢達をモテあそび、何人も捨ててきた。
悪名が広がり、誰もロイスと結婚したがらないのだ。
それには、父であるアンディレス公爵も頭を抱えた。
「金で令嬢を買うしかないか。金に困っている家に援助をして、お前の妻になって貰おう」
「父上。金で買うだなんて……」
「お前の自業自得だろう」
冷たく突き放されてしまった。
セシア・ミレント伯爵令嬢、歳は18歳。
冴えない容姿のセシアは、ロイスの好みでは無く、夜会で会ったかどうかも覚えていない程の影が薄い令嬢だった。
茶の髪に緑の瞳、白い肌。そんなセシアは伯爵家の援助を条件に、ロイスとの婚約が結ばれた。
ロイスとしては不満だった。
セシアと初めて会った、顔合わせの席で。
「私は沢山の令嬢と付き合って、モテてきた。それなのにお前のような冴えない容姿の女と結婚しなければならないだなんて。私に愛されると思うな」
そう言ってやったのだ。
セシアは頭を下げて、
「申し訳ございません」
泣くでもなく無表情で謝って来た。
可愛くもないなんともないそんな女。何でそんな女と結婚しなければならないんだ。
だから、婚約期間中も、全く無視して、交流もしなかった。
夜会に出ても悪名が広がり過ぎて、ロイスは令嬢達に相手にされない。
だから、娼館に出かけて、色々な女と寝た。金なら母であるアンディレス公爵夫人が出してくれる。ロイスに公爵夫人は甘いのだ。
花一つ贈らず、セシアの顔を忘れかけた頃、セシアが嫁いできた。
結婚式の一つもせず、ただアンディレス公爵家にセシアが嫁いできたというだけの結婚。
セシアの実家、ミレント伯爵家は事業に失敗し、アンディレス公爵家が支援をしないと、生きていけない状態だった。だからアンディレス公爵はミレント伯爵家にまとまった金を出して、事業が再び出来るように支援している。
それでも、セシアの嫁入り道具も連れてきた侍女もなにもなく、小さなボストンバッグ一つで、古びた馬車に乗って公爵家にやってきたのだ。
「半年経ちました。嫁ぐ約束を果たさねばなりません。実家への支援、本当に有難うございます。今日からわたくしはこの家に嫁いできました」
そう言うセシアに、ロイスの母のアンディレス公爵夫人は、
「あら、貴方の事をすっかり忘れていたわ。部屋を用意するから、そこで暮らして頂戴。貴方はお金で買われてきた嫁。ロイスと仲良くして、子を産んで頂戴。それ以外は貴方は病弱という事にして、屋敷の中でおとなしくしていて欲しいの。家の事はわたくしが仕切っておりますから、貴方が口出しする必要はなくてよ」
「かしこまりました」
セシアは無表情に頭を下げて、そんな様子をロイスは見つめて、
「本当に可愛げのない女だな。お前と子作りなんてぞっとする。だが仕方がない。お前しか私の妻になってくれる女はいなかったのだから。だから今夜、抱いてやる。ああ、つまらないつまらない」
思いっきりそう言って、セシアを貶めた。
それでも、セシアは無表情で、
「かしこまりました。ロイス様」
可愛げのない女でも子作りせねばならない。
さっさと嫌な子作りをすませて、娼館へ遊びに行こう。
その夜、ぞんざいにセシアを抱いたロイス。
さっさと事を済ませるとセシアを放っておいて、娼館へ出かけた。
あれで子が出来れば憂鬱な子作りから解放されるのに。
そう、思ったロイス。
それから、週に一度、いやいやながらも、セシアと褥を共にして。
セシアの方もロイスが嫌なのか、瞼を瞑って耐えているようで、そんな様子が嫌で嫌で仕方がない。
「本当にお前は可愛くない女だ。あああっ。早く子が授からないか。いい加減にイライラする」
「申し訳ございません」
時が過ぎて、セシアが妊娠したと、ロイスは医者から知らされた。
両親は大喜びで、
「男の子が産まれればよい」
「そうね。男の子ね」
ロイスはセシアを睨みつけて、
「男を産めば、お前と顔を合わせなくて済む。跡継ぎさえ、出来れば十分だ」
「申し訳ございません」
ロイスは男の子をと願った。
そして、生まれたのは男の子だった。
公爵夫人は、その子をセシアから取り上げて、乳母をつけて育てる事にした。
セシアはおとなしく、生まれた子を公爵夫人に渡し、じっと窓の外を見つめていた。
ロイスは両親に、
「私の次の跡継ぎも出来たことですから、あの女と離縁したいのです」
母はにこやかに、
「そうね。離縁してもいいわね」
ミレント伯爵家には十分支援した。セシアを買い取った金は払ったのだ。
息子も産まれた。セシアを追い出してもいいだろう。
ロイスはセシアに向かって、
「もうお前には用はない。離縁だ。出ていくがいい」
「かしこまりました。今までお世話になりました」
セシアはボストンバッグ一つでアンディレス公爵家を出て行った。
セシアの産んだ息子レイドはすくすくと育って、10歳になった。
領地に籠って父の手伝いをしていたロイス。
セシアの事をすっかり忘れたロイスが、王都に出てきたついでに、夜会に久しぶりに出席してみれば、見違えるように美しくなったセシアに出会った。
艶やかな茶の髪に、白い肌。薄緑色のドレスは品がよく、セシアに似合っていて。
一人の美しい男性にエスコートされて、幸せそうに微笑んでいた。
セシアか?セシアなのか?見違えるように美しくなって。
あんなに幸せそうに微笑む女だったか?
セシアをエスコートしている男性は、あれは……
「ディセル王弟殿下。私はロイス・アンディレス。アンディレス公爵家の嫡男です。そちらの女性は……」
ディセル王弟殿下はにこやかに微笑んで、
「私の妻のセシアだ」
「あら、お久しぶりでございます。アンディレス公爵令息様」
「セシア。王弟殿下と結婚したなんて、お前は私の元妻で、子までいるではないか」
「あら、わたくしと貴方は離縁が成立しておりますのよ。それに子がいる事は王弟殿下も知っております」
「セシアの事は全て知っている。それでいても私はセシアに惹かれて、結婚を申し込んだ」
思わずロイスは叫ぶ。
「この女はにこりともせず、愛想もなく、つまらない女ですよ。王弟殿下っ」
ディセル王弟殿下は愛し気にセシアの手を取って、
「そうか?私にはとても魅力的な妻だぞ。にこにこ笑って、私を癒してくれる」
セシアが頬を染めて、
「ディセル様が、わたくしを大切にして下さるから、わたくしは幸せで微笑んでしまうのですわ」
ロイスは思わず、
「息子にっ。息子に会いたくはないのか?」
セシアがスっと表情を無くして、
「アンディレス公爵家の、ですか?かつて、息子を産みましたが、今はわたくしの子は娘のマルガリーテ一人だけですの。会ってどうなると言うのです?アンディレス公爵家の跡継ぎに。わたくしには関係ないですわ」
ディセル王弟殿下がセシアに向かって、
「さぁ、そろそろ帰ろう。娘が待っている」
「そうですわね。ディセル様」
ショックだった。
あんなにつまらない女があんなに魅力的になって。
自分は何を間違ったのか。あんなに魅力的な女だったら、離縁なんてしなかったのに。
その夜から夜会にロイスは出席するようになった。
ロイスの悪名は貴族達の間で有名なので、令嬢達は近づきやしない。
それでも、ロイスは、夜会にディセル王弟殿下とセシアが出席するのを待ち続けた。
二人が出席すると、すかさずセシアに近づいて、
「息子が君に会いたがっている。一度、公爵家に来ないか?」
息子にセシアに会いたいかと聞いたら、10歳の息子レイドは、
「解らない。私に、母はいないから。今更、会ったって……」
ロイスの母のアンディレス公爵夫人は、
「そうよね。レイドにはわたくしがいればいいわよね」
すっかり母に懐いて、セシアの事はどうでもいい感じだった。
セシアはディセル王弟殿下の傍に寄り添いながら、
「わたくしはディセル様の妻ですわ。いかに貴方との間に息子がいるとはいえ、今更、会いたいとは思いませんの」
ディセル王弟殿下は不機嫌に、
「私の妻に付き纏うな。アンディレス公爵に苦情をいれようか」
ロイスはディセル王弟殿下に向かって、
「それでも、セシアはレイドの母なのです」
セシアは呆れたように、
「だから何なのです。いい加減にしてほしいわ。言わせて頂きますけれども、わたくし、アンディレス公爵家で一度も笑ったことがなかったですわ。ミレント伯爵家の援助の代わりにわたくしは買われたのですもの。妻として扱われず、ただ子を産むだけの道具。わたくしは陰で泣いておりましたのよ。こんな地獄から早く抜け出したい。辛くて辛くて。孤独で。だから、離縁した時はほっとしましたの。息子の事は心残りでしたけれども、それでも、わたくしは貴方と別れられた方が嬉しかった。どれ程、嬉しかったか……その後、ディセル様に出会って、わたくしは本当の幸せを知ったわ。今のわたくしはとても幸せ。貴方といた時は地獄で今は天国だわ。だから二度と、息子の事は言わないで。アンディレス公爵家の事は言わないで。貴方なんて顔も見たくない。ええ、顔も見たくない程、大嫌いっ」
ロイスはショックだった。
そんなにも嫌われていたのか。
ふらふらと夜会の会場を出て行った。
考えてみたら、女性の気持ちなんて一つも考えたことがなかった。
快楽だけを求めて、それはもう、適当に生きてきた。
人を愛して大事にするなんて事、考えた事も無かった。
自分といた時は無表情だったセシア。
今のセシアは感情豊かで。自分に対して怒っていた。
人の心……
人の心……
ロイスはじっくりと考えるのであった。
アンディレス公爵は爵位をロイスに譲って、隠居すると言い出した。
ロイスは爵位を継承すると、仕事にしばらく追われていたが、ふと、12歳になるレイドにちゃんとした婚約者を決めないとと思い始めていた。
レイドはロイスの母に甘やかされて育っていたが、家庭教師をしっかりとつけていたので、まともな令息に育っていた。
セシアに似た茶の髪に緑の瞳。
女性関係では悪名が高かったが、公爵となったロイスに近づく貴族は多くなって。
その中で、ビレド公爵家の二女、イレーヌとレイドが婚約を結ぶことになった。
その時、ロイスはレイドを部屋に呼んで、じっくりと話をすることにした。
「私は過去の事を反省している。色々な女性達と遊んで、悪名を広めてしまい、結婚相手がいなかった。だから、お前の母であるセシアを、伯爵家への援助という金で買ったのだ。
嫁いできたセシアに、子を産む道具としてしか接してやれず、冷たい言葉を投げつけて。辛い目に遭わせてしまった。お前を産んだセシアを身一つで叩き出したのは私だ。お前から母を奪ってしまった。申し訳ない」
レイドに頭を下げた。
レイドは、
「お祖母様が私の母はどうしようもない女だから出て行ったと言っていましたが、違っていたのですね。母は確か王弟殿下に嫁いでいると聞いたような」
「ああ、今はディセル王弟殿下と結婚して娘がいる」
「私の妹に当たる訳ですね。ああ、会いたいなぁ。お母様と私の妹か。でも、会えないんだろうな」
「すまない。本当に」
息子に頭を下げる。
そして、
「お前がこれから婚約を結ぶ、イレーヌ嬢。同い年だ。大事にしてやって欲しい。彼女の立場になって、彼女の心を察して、笑顔にしてやってくれ。私はセシアを笑顔にすることが出来なかった。私と同じ過ちは犯さないでくれ。イレーヌ嬢を大事にして、可愛い子を作って、愛溢れる家庭を作って欲しい。勿論、貴族の結婚はそれだけではない事は解っているが」
「有難うございます。父上。肝に銘じます」
息子がまともに育ってくれてよかった。
レイドがイレーヌと婚約をして、互いに18歳になった時に結婚式を挙げた。
王都の教会での結婚式。
ダメもとで、ディセル王弟殿下とセシアに招待状を送った。
二人は祝いを持ってきてくれた。
ロイスはセシアに向かって深々と頭を下げて。
「本当に申し訳なかった。今更、謝っても許されることではない。ただ、今日はレイドの結婚だけは祝ってやって欲しい」
セシアは微笑んで、
「祝いたいからこそ、わたくしは来たのです。娘のマルガリーテも連れてきましたわ」
マルガリーテはディセル王弟殿下に似た顔立ちの少女で、にこやかに微笑んで、
「マルガリーテです。おめでとうございます」
レイドがイレーヌと共にやってきた。
セシアがレイドに向かって、
「おめでとう」
レイドもセシアを見下ろして、
「有難うございます」
二人はそれ以上、声を掛け合う事はなかった。
マルガリーテが近づいて、
「お兄様。マルガリーテです。おめでとうございます」
レイドがマルガリーテに、
「君がマルガリーテか、今日は有難う」
ディセル王弟殿下にレイドは頭を下げて、
「今日は有難うございました。私には二人に会えたことが何よりのお祝いです」
「そうか。それならばよかった」
レイドにイレーヌが寄り添い、幸せそうだ。
ロイスはそんな様子を微笑ましく見つめるのであった。
後のロイスは、一生、誰とも結婚しなかった。
今までの行いを反省し、事業の傍ら、女性を支援する教会や、団体に寄付を惜しまなかった。
ふと、今でもロイスは思う。
結婚していた時に、セシアに対して態度を改めていたら、どうなっていただろう。
一人でこうして過ごすこともなく、隣ではセシアが笑っていたのではないか。
なんて過去の自分は愚かだったのだろう。
結婚していた時、あんなに嫌っていたセシア。
もう、二度と手に入らないと思うと、余計に思いが募る。
セシアの微笑みを、セシアの優しさを、セシアの全てが欲しい。
でも、自分はセシアの何を知っているのだろう。
セシアの好きな物、嫌いな物、何もセシアの事を知らないのだ。
知ろうともしなかった。
今更後悔してももう遅いという言葉があるが、本当に遅かったなぁと、窓の外を眺めながらそう思うロイスであった。
とある教会に来たロイス。
そこにいた聖女マリアに、
「貴方、危なかったのよ。とても美男じゃない?そして屑だったわよね。屑を更生させるとか言っている、とある団体が狙っていたらしいわよ」
「とある団体?」
「まぁ知らない方がよかったわね」
嫌な予感がしたロイス。
さすがに今は真面目に生活しているから大丈夫だと思うが、
確かに知らなくてよかったと思うロイスであった。