7.オルゴール
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書類整理が一段落した頃、私は呼び出された。
「本来なら私一人で済む案件だが、ザイ課長が試しに連れて行けと仰った」
イルード班長は大変不服そうに腕を組んで言った。
課長…!なんて神采配を!いつも適当なおじさんだなと思っていましたが認識を改めます!
明らかに喜色を示した私に、イルード班長はぐっと顔を顰める。
「あくまで君の能力が実践に向くかどうかを試すものであり、訓練の一環だ。勘違いはしないでほしい」
「もちろん分かっています」
できるだけ殊勝な態度に見えるよう、私は頬の内側を噛み締めて神妙な面持ちを作った。
本当はイルード班長と外でお仕事できるのが嬉しくて仕方がない。だがその気持ちが漏れてはいけないことは当然のこと。
イルード班長の物言いたげな視線に反応しないことがコツだ。
「事前にこれに目を通しておけ」
手渡されたいくつかの資料は、日付の範囲がかなり広い。保管資料を管理している資料課で報告書は閲覧用に複写されているため、紙自体は新しいものも多いのに、内容は古いもので百年単位遡る。
加えて手書きの報告書は人によって字の癖が凄い。それはもう、凄い。読めるかどうか怪しいものまである。
「こ、これはなかなかあれですね、なんていうか」
「まさかとは思うが君が他人の報告書に意見をしようとしていたりなど、しないな?」
「まさかそんなことあるわけないじゃないですか!まともな報告書が作成できない私が、文句をつけるなど…!」
これでもかと首を左右に振って否定すると、イルード班長は疑いの目はそのままに説明を補足した。
「今回の依頼は過去に局で鑑定したものの解除だそうだが、鑑定書が見つからないとのことだ。可能性のある資料を集めたがそれ以外も考慮して頭に入れておけ」
「分かりました」
ざっと全ての資料に目を通すと、描かれた素描は全て四角い箱だ。つまみのようなものがあるので恐らくオルゴールだろう。
初めての実践にわくわくしながらも、資料の解読には不安しかない。一先ず読めそうなものから手を付けることにする。
再び一枚目から順に資料を捲っていくと、唐草模様の彫刻が美しい箱の絵が目に入る。どことなく既視感を覚えるそれは、凡そ百年前に鑑定されたらしい。当時の鑑定者の署名は「フィエロ・ランドル」と「ナナイ・イグラ」という二人だった。
その報告書にはオルゴールの入手経緯やそれを手にした家族に纏わる余話が記載されており、《祝福》の背景が分かりやすく説明されている。
大魔女シュリエが何を願って《祝福》をかけたのかが分かれば、個人的には解除もよりしやすくなる。
しかし渡された資料はそんな分かりやすいものばかりではない。中にはほとんど背景が記録されていないものもあり、他人に伝わらないと報告書の意味が無いのだと客観的に理解した。
理解したからといってそう書けるようになるかどうかは、また別の話である。
***
赤い煉瓦の家は、素敵な玄関ポーチに飾られた、栗鼠を象った銅の細工板が可愛らしい印象を与えた。通された応接室には年代物の飴色の家具が並び、落ち着いた色の小花柄の壁紙がやはり可愛らしかった。庭も綺麗に手入れがされており、窓から見える景色が目に楽しい。
「これが、私が祖母から譲り受けたオルゴールです」
依頼者は白髪が混じった茶色い髪の、優しそうな老婆だった。薄い灰色の目を細め、女中がそっとそのオルゴールを卓に置くのを視線で追った。
「どうぞ」
「失礼します」
私はそのオルゴールを手に取り、外観を隈なく眺め、それからほんの少しだけ魔力を通して反応を見た。
──ああ、あのときの少女はたくさんの家族に恵まれたのね。これからも、この家族が楽しく暮らせるといいな。
手早く確認してから隣に座る自分より後輩の男にそれを渡す。この後独り立ちさせる後輩が検分する間に、私は必要な情報を引き出しておく。
「素敵なオルゴールですね。お祖母様はいつ頃からこちらをお持ちなのでしょうか」
「祖母も先祖から受け取ったとしか…実際にいつから我が家に受け継がれているかは分からなくって…だから一度鑑定を受けてみようと思ったの」
依頼人は心配そうにオルゴールを見つめ、頬に手をあててふうと息を吐いた。鑑定の瞬間はどの依頼者にも緊張感が漂う。
後輩はオルゴールを両手で持ち、膝の上で慎重に魔力を通した。オルゴールが仄かな光に包まれる。青い瞳は光の中の一点を見つめた。
「分かった?」
不安そうな依頼人に笑顔を向けてから、隣の後輩に話し掛ける。
「本物、ですね」
一頻り検分してから後輩はこちらに視線を寄越した。
「正解」
「まあ本当に?」
私が頷くと依頼人は両手を組んで頬を蒸気させた。
「ええ。間違いなく大魔女シュリエの《祝福》がかかっています。一度お預かりさせていただいて、鑑定書と共にお返しするようになりますがよろしいでしょうか」
手元の書類にいくつか必要事項を書き留め、手続きを進めるための準備をする。
「勿論です。それにしても大魔女の存在は真実なのですね。何百年も前の魔法だなんて、正直眉唾物とばかり思っていましたわ」
そう思うのも無理はない。大魔女シュリエが《祝福》をかけたと云われているのはもう三百年近くも前のことだ。
「なかなか信じられることではありませんよね。けれど、物が壊れてしまうと《祝福》も消え、反対に《祝福》がかけられた物は、それだけ長持ちするんですよ。今もこうして動いていることこそ、《祝福》がかけられている証拠に他なりません」
私が語れば横で後輩はじりじりと焼けつくような視線を向けている。それに気付かない振りをして、依頼人にそっと契約書を差し出した。
「それではお預かりするための確認事項を説明しますね。実は私、今週で辞めることになっているので、以降は隣の彼、ナナイが対応させていただくことになります。続きはお願いね」
そう言ってから言葉を引き継ぐと、後輩は練習した通り説明を始めた。真面目な後輩は私が教えた通りに順を追って話を進める。
全ての手続きが済み、オルゴールを預かって家を出ると、後輩は深刻そうな顔で呟いた。
「フィエロ先輩は…まるで過去を見てきたかのように語るんですね」
「そうね。この仕事もそれなりにやってきたから」
そこまで言うと後輩は急に足を止めた。不思議に思って振り返ると、その青い瞳がギラギラと燃えている。
あなたはまだ、そんな瞳で見つめてくれるのね──