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5.偶然と必然


 *


 日が沈んでからどのくらいの時間が経っただろう。《祝福》をかけるためだけに用意された部屋には、要望が書かれた申請書とともに対象物が山となっている。もう随分と長い間、この部屋に閉じこもって《祝福》をかけるだけの生活を送っている。

 持っていた本を置くと、後ろに控えていた騎士が声をかけた。

「王妃陛下、今日はもうお終いになさってください」

 丁寧な言葉遣いはいい加減慣れたけれど、受け入れるかどうかは別の問題だと思う。 

「あと五つはできるわ」

「そう言って先日もご体調を崩されましたよね。陛下の魔力は無限ではないのです」

 ああ言えばこう言うんだから、長い付き合いというのは良いことばかりではない。

「どうせ私には《祝福》しか価値がないのだから…」

「陛下」

 小声でそっと落とした声も、マキトはしっかりと拾い上げて厳しく呼びかけた。顔を見なくても分かる。きっと私より苦しい顔をしているのだ。

 私は振り向かないまま、次の書類を手に取った。

「陛下…っ」

 マキトは声を詰まらせながら再度その敬称を口にした。

「これが私の存在意義よ。幸せを願う人の分だけ私は力を使う。困っている人の分だけ、《祝福》はあるべきなの」

 目の前に置いた書類を眺めながら、なるべく声を揺らさないように告げる。誰かの幸せが、私の幸せ。そうあるべきで、そうでなければならない。

「あと五つで…絶対に終わってください」

「分かったわ」

 もう後どれくらい、無理を通すことができるか分からない。ずるずると生きながらえるくらいなら、私は潔く《祝福》をかけて死んでやる。


 ****


 翌日、イルード班長の机には難しそうな分厚い本が積み上がっていた。

「なんか、すごい…頭の良さそうな本ですね」

 報告書を持って挨拶代わりに雑談の一つでも展開しようかと思ったのに、作戦は失敗に終わった。頭の悪そうな感想しか出なかった自分を、流石に責めたい。私にもイルード班長のような語彙力があったらよかったのに。

「誰かさんの所為で基礎から洗い直しだ」

 そんな私の薄っぺらい感想を顰めっ面で受け流し、イルード班長は分厚い本から何かを書き留めながら顔を上げた。

 そして細かい字がびっしりと書かれた紙を差し出す。

「魔法を使うときの感覚についてまとめた指南書や研究結果から、事例を抜き出した。君が《祝福》を解除するときの感覚に近いものに印を付けてくれ」

「わあ…いっぱい文字が書いてある」

 読むだけで頭痛がしそうで、うっかり視界が狭まった。

「その間に私は別の角度の資料を探してくる。それは午前中に済ませてくれ」

「はぁい…」

 私のためにやってくれているので文句が言えるはずもない。ただイルード班長の生真面目さに泣きそうになった。

「おう、イルードちょっといいか」

 離れ小島からこちらに近づいてきたのは恰幅のいい壮年の男、ザイ課長だ。

「なんでしょうか」

 イルード班長は呼ばれて直ぐに立ち上がり、課長に向き合う。

「近いうち案件を振るから確認しておけ」

「承知しました」

 課長から書類を受け取りさっと目を通す。真剣なその表情にまたどきりと心臓が跳ねる。今日も顔が良い。

 書類の形状を見るに過去に局が鑑定した《祝福》の資料のようだ。解除課に来る案件ということは、その《祝福》を解除してほしいという依頼だ。

「次から次へと依頼が来る。新人が可愛いのは分かるが研修もほどほどにな」

 課長がニヤけながらイルード班長の背中を強めに叩いた。その音が課内にパシーンと響いて、イルード班長はまた顔を顰める。

「今後の自分の仕事のためです。可愛くはありません」

「か、可愛げくらいはあると思いますが!?」

 その顔のままあんまりなことを言うのでつい口を挟んでしまった。迷惑をかけているのは百も承知だが、年頃の乙女の心情として「可愛くない」と断言されるのは納得がいかない。

 必死に講義すると課長はがっはっはと豪快に笑う。その課長を見ながらイルード班長は更に重ねた。

「本当に可愛げがあるやつは自分からそんなことを言わない」

「何にせよ、案件は溜めるなよ。《祝福》の所為で困るなんてことは本末転倒だからな」

 私たちのやり取りをさらりと流して、課長は言いながら自分の席に戻っていく。

 その言葉に僅かに胸がざわりと揺れた。

「まーそれにしても、《祝福》ってやつは次から次へと出てくるなぁ。どんだけあるんだろうな」 

「「困っている人の数だけ、《祝福》はあります」」

 後頭部を掻きながらボヤく課長の言葉に私が反応したのは、ほとんど無意識のことだった。言い切ってから後頭部に手をやったまま顔を上げる課長と、口を開けたままこちらを向いて目を瞠るイルード班長の様子で、それを口にしたのが自分だけではないことを知った。

「何だ?お前ら、仲良いな」

「……」

「…?」

 言ってしまえば偶然の事故のようなものだろう。まさか私がイルード班長と同じことを同時に言うなんて、狙ったってできるはずがない。

 だからそんなに恐い顔で見られても、私には弁明すらしようがなく、ただ心底分からなさそうな顔をして首を傾げるしかなかった。

「報告書はあと二日で方を付ける。覚悟しておけ」

 イルード班長が背中に黒いものを背負って凄むので、私は必死に頭を上下に振った。


 *


 人気(ひとけ)の無い王城の外廊下を、湿った風が通り抜けた。少し後ろを歩く専属の騎士は大層機嫌が悪そうだ。

「マキト、だめよ?無闇に喧嘩を売ったら」

 最前の出来事を反芻し、静かに告げた。

「無闇に売っているのではありません」

 本人のためを思って言ったのに、当のマキトはまるで関係ないことのように言った。

「もう、ちゃんと聞いて?《祝福》は私がやったことなんだから、きちんと私に報告しなさい」

 振り返りつつ腰に両手をあててびしっと注意すると、マキトは溜め息を吐いた。まったく可愛くない男である。

 人々の幸せを願ってかけた魔法による予期せぬ事態の報告が上がるようになったのは、ここ数ヶ月のことだ。

 国王陛下の配偶者という地位を得てからもう何年経っただろうか。

「みんな陛下の有り難みを忘れているんですよ。受けた恩恵に感謝もせず、都合の悪いことばかり責め立てる。あまりに理不尽な世の中ですね」

 気難しい表情のまま淡々と言葉を並べ立てる。マキトが私の代わりに腹を立ててくれることに仄暗い悦びを覚えた。顔が緩みそうになるのを堪えて再び歩き出す。

「それは…仕方がないわ。前例のあることではないのだから。私がしたことに私が責任を持つのは当たり前よ」

「あなたはそう考えるでしょうね。だから俺が代わりに文句を言っているんです」

 ああ、悦んではいけないって、分かっているのに。

「だからってマキトが傷付くのは嫌よ…」

「陛下の優しさが正しく評価されないことの方が傷付きます」

「……」

 マキトの真っ直ぐな想いに、ついに言葉を返せなくなってしまった。いつだって、そうして私の心まで守ってくれるのは、この男だけだ。

「人の願いなんて自分勝手だ。他人に頼った結果、ちょっと別の問題が起きたところで何なんだよ。そんなことまでシュリエが請け合う必要ないだろ。実際シュリエ以外で解決できることが分かったんだし」

 私の頑なさにマキトも耐えきれなくなったのか、言葉を崩して小声で囁いた。

「マキト…ありがとう。私は大丈夫よ」

 ようやく口にできたのは、それだけだった。


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