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4.報告書


 ***


 真っ白な漆喰の壁は、()()()技術で広い空間を実現させたこの部屋を明るい印象にしている。こんな素敵な職場で働けるのがあと少しだなんて、もったいないと思ってしまう。

 後輩の指導もなかなかにやり甲斐があると思い始めたところだ。

「フィエロ先輩、これって何ですか?」

「どうしたの?ナナイ」

 少しばかり表情が乏しい後輩は、私が作成した報告書を一心に見つめながら呟いた。

「『農耕器具はあと一反だけ耕したいと訴えかけてきたので農地を広げると良いと助言』って…これ、正気ですか?」

 つい先日、とある農村から「農耕器具が不思議な動きをするから鑑定してほしい」と依頼を受けた。結果的に農民が予想したとおり、それには《祝福》がかけられていて、田畑がよく肥えるようになっていた。

 村の人手が足りずに農地面積を減らしたことが、器具にとっては不服だったのだ。まだ働けると訴えるほどに。

 鑑定の一環で農耕器具に魔力を通すと感情が伝わってくるからその通り書いただけだ。

「入ったばかりの新人にまで正気を疑われるなんて…哀しいわ…」

 わざとらしく頬に手を添えて憂えば、生真面目な後輩は戸惑いながら質問を重ねた。

「声が聞こえる、んですか…?」

「いいえ、声ではないわね。なんというのが正しいのか、私にも分からないけれど…伝わってくるのよ」

 ここまで言ってしまうことが正解かは分からない。けれど、私に《祝福》を無視することはできないから。鑑定するだけなら要らない情報だったとしても、今後のためを思うと記録には残してあげたかった。

「それって…」

「ほら、私のことはいいから、自分の課題は終わったの?」

 明るく指摘してやると、後輩ははっと青い目を見開いてから慌てて手を動かす。

 彼には直近で鑑定したものの記録の整理をお願いした。事例は知っているだけできっと今後の役に立つ。

 決して自分が苦手な仕事を押し付けたのではない。

 この後輩は多分、()()、何も知らないから。


 ****


 班長の横に立って気をつけをしたまま、沈黙に耐える。心なしか、部屋全体が固唾を呑んで見守っている雰囲気がある。

「……資料を探すのに三時間、報告書をまとめるのに三時間、で、完成度がこれか…」

 イルード班長は眉間に深い皺を刻んで頭を抱えた。何をしていても格好良いとは言えど、流石に申し訳ない気持ちにはなる。私の所為で眉間の皺が取れなくなったらどうしよう。

「全力で頑張ったんですけどねぇ…すみません」

 場を和ませるために一応言い訳の一つでもしておこうかと思ったけれど、イルード班長の視線が鋭さを増したので素直に謝った。

 大魔女シュリエが遺した《祝福》はその特異さ故に国がきちんと子細を管理している。鑑定局は設立から二百年ほど経過しており、これまでに鑑定した《祝福》の情報が全て記録されている。

 《祝福》を解除した場合にはその膨大な記録が眠る資料室から該当の冊子を持ち出し、解除についての一連を報告書にまとめ、一緒に保管するまでが仕事だ。

 つまり私がうっかり解除したガラスペンの《祝福》についても、同様に子細の記録が必要だということだった。本当は練習にまだ使うはずだったと聞いたのは、解除した後のことだったのだから致し方あるまい。

 しかし解除したのは紛れもなく私なので、少し早いが研修ついでに報告書を作成しろと申しつけられ、つい先ほど提出したところだ。

「資料の取り扱いも含めて研修のうちだ。始めは慣れない作業に戸惑うことはあるだろう。だがしかし文書の作り方は学校でも習っただろう?」

 イルード班長はこめかみを揉みながら淡々と詰めてくる。

「そうですね。習いはしました」

 領地を運営管理したり国の政に関わったりする貴族や、帳簿を扱う商人などの家ならともかく、私のような平民は書類仕事など成長過程で触れることはない。

 そのために学校に通い、職業訓練のようなことを受けた。教育課程としては働くようになってから困らないように、一通りのことが学べるようになっていたはずなのに。

「習ったからといって全て身につくとは限りませんよね」

「それは少なくとも君が言うことではない」

 イルード班長は被せ気味に言葉を差し込んでから歪む表情を直した。

「私は未だ嘗てこんなに擬音だらけの報告書を見たことがない。誤字脱字はまだ可愛い方だ」

 可愛いだなんてそんな、と口を挟む隙はなかった。ゴゴゴと音がしそうなほど凄んでイルード班長は続けた。

「報告書の一つもまともに書けないと、どこにいっても苦労する。そして局の保管文書として認められる程度の報告書が作成できるように君を育てるのは、上司である私の役目…」

 地を這うような声音で責任感のある理想の上司のような発言をしたイルード班長は、そのまま目を眇めた。背筋に悪寒が走る。

「やり直しだクユイ・ガリネ。添削するからその間にこの報告書を資料課で複写してもらってこい」

「ひゃい…」

 イルード班長の青い瞳は剣呑さを帯びてギラリと光った。

 私は有無を言わさず分厚い紙束を持たされ、解除課を追い出されたのであった。


 ****


 窓から差し込む光はとうになくなり、解除課の執務室は静まり返っていた。

「なのでその感情に合わせてぐっとやるとですね」

「だから『ぐっと』何をするんだ何を」

「何を…?えっと…?」

 イルード班長の机の横に座らされ、《祝福》を解除したときのことを振り返る。

 当時を思い浮かべつつ、解除したとき同じ態勢をとって固まった。物乞いのような姿勢になっているので誰にも見つからないといいな。もうみんな家に帰っているけれど。

「魔力を流すんじゃないのか?」

「魔力を流す…?あれがそういうことなんですかね?」

「君に訊いているんだから、訊き返されても困るが」

 その姿勢のままイルード班長に顔だけ向けると、眉間に皺を寄せて返された。

「解除ってそもそも魔法なんですか?」

 他の魔法が全く使えないので私には感覚が分からない。

「魔法が施されたものを意図的に外すのだから魔法だろう?魔法以外でそれができた事例は聞いたことがない」

 専門機関に訊ねれば、きっと理論がどうとか、物質がどうとか、複雑な高説を聞かされるのだろうけれど、到底私の頭では理解できそうもない。

 ぽけっとアホ面を晒していると、イルード班長は溜め息を吐いた。

「そこからなのか…?一体学校では何を学んだんだ…」

「魔法については一通り習いましたけど、全く使えなかったので理論は身につきませんでした!」

 自信を持って元気よく答えると、イルード班長は再び眉間に皺を寄せ、ぴくぴくと眉を動かしている。

「…そもそも『解除』っていうのが、私にはあまりピンと来なくて…」

 人差し指同士を突き合わせながら上目に主張すると、イルード班長の雰囲気が少しだけ和らいだ。

「どういうことだ?」

「うーん…《祝福》ってそもそも、大魔女シュリエが人々の願いを叶えるというか、幸せを願ってかけたものなんですよね?」

「そうだな。その人に良いことが起こるような魔法になっていることが多い」

 イルード班長の返事を耳に入れながら、私は《祝福》に触れたときのことを想像して目を閉じた。

「それに応えてあげるというか、共感してあげるというか…そんな感じなんです…ほら、親しい人と気持ちを共有したときに、『喜びは二倍に、哀しみは半分に』って言ったりするじゃないですか!」

 なんとか近い言葉を探り当て、再び目を開けるとイルード班長は口元を手で覆っていた。

「…伝わります?」

 また呆れられたかと心配になり首を傾げると、イルード班長は一度視線を外してから慎重に言った。

「願いが成就した…みたいなことだろうか」

「ああ!そんな感じです!流石イルード班長ですね」

 何となくの感覚を最も近い言葉で表現できるイルード班長は何と素晴らしい人なのだろうか。語彙力まであるとは恐れ入った。

 初めて自分の感覚を言語化してもらってすっきりした私とは対照的に、イルード班長は一瞬その青い瞳を揺らした。その感情は動揺、だろうか。その瞳から目が離せず、じっと様子を窺っていると、私の視線に気付いて目を閉じてしまった。

「分かった…取り敢えず、いったん君がやった解除も魔法だと仮定しよう。そうでないと話が進まない。君の感覚は一般的ではないからな」

 イルード班長の様子が気になるが、難しいことを考えるのは苦手なのでその提案には素直に頷く。私には上司に従って仕事を(こな)していくしか、現状の選択肢はない。他人の、ましてや上司のことを気にする言葉を持ち合わせてはいないのだから。

 するとイルード班長は一度ゆっくり瞬きをすると、何かしら抱いたであろう感情を綺麗に隠してしまった。

「今日で終わらせようと思った俺が間違っていたんだ。明日はその仮定から、君のやったことを更に詳細に言語化する。いいな?」

「明日もイルード班長のお時間を…?」

「それが完成しなければ君の扱い方が決まらない。解除ができてしまう以上、他の部署に移すわけにもいかないからには、やれることはやるしかない」

 私のような面倒事を抱えてしまったがために、課全体、もしかすると鑑定局全体に迷惑をかけるのかもしれない。

 しかしまだこの時は、事の重大性を理解してはいなかった。


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