3.祝福
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大魔女シュリエの《祝福》が通常の魔法と違うのは、術後何百年と経った今でもその効果が持続し続けていることだ。ものにシュリエの《祝福》がかけられているかどうかを鑑定するための機関として、この「王立魔法鑑定局」は始まったのだそうだ。
ただし、《祝福》は持ち主が変わるにつれその効果に不和が生じるらしく、それをどうにかするために解除課という部署が後からできたという。
「改めて、解除課二班のイルード・ベリテだ。しばらくの間、君たちの研修を担当する」
そう名乗った男は厳しい表情で私たちを見た。二十代後半くらいの見た目なのに班長という役職を任されているらしく、生真面目がその硬い表情に現れている。
硬い表情の理由の一つは私のうっかり発言であることは自明の理だ。
「これは仕事だ。学生気分はさっさと忘れるように」
ギロリとした冷たい視線を向けられ背筋を伸ばす。大失言は無かったことにしたかったのに、新人である私の言葉は部屋にいた人ほぼ全員に拾われていたらしい。あっという間に大注目を浴びることになってしまった。
こちらが運命だと思った瞬間に、相手には要注意人物認定されるなんて思わぬ誤算だ。取り戻し方が分からないので真面目そうな表情を作っておく。
「いいか、君たちはこれまで学校で基礎的なことを習ってきたと思うが、これからは実践で使える知識と技術を身に着けてもらう」
しかし目の前のその人が説明を始めるだけで思考は横に逸れていく。
イルード班長が年季の入ったガラスペンを机上に置くその動作が既に格好良い。指先まで洗練された優雅さがあるし、表情はきりっとしているし、落ち着いた声は耳から脳に染み渡る。
「真面目に聞いているのか、クユイ・ガリネ」
イルード班長に名前を呼ばれた…!耳が幸せ…!ちょっと溜め息混じりなところが最高!
「呼吸の一つも聴き漏らさないように集中しています」
「そこまで聴けとは言っていない」
両手を組んで悶えつつも真剣に返した私に、イルード班長は顔を歪めた。それでも整った美貌は損なわれないのだから凄い。
隣に座るアンルは静かに頭を抱えた。しかしながら私はいたって大真面目だ。
「学校の授業で取り扱っていたのは擬似的な《祝福》がかかったものだ。何故なら大魔女シュリエが施した《祝福》という魔法は今の技術をもってしても謎が多い。完璧な再現は不可能と云われている」
イルード班長は顔を引きつらせながら説明を再開した。授業でも習った内容なので自信を持って大きく頷く。
「だから今日は特別に本物の《祝福》を用意した。先ずはこれで《祝福》の本質を探るところからだ」
机上に置かれたのは一見すると普通のガラスペンだ。それに特別な魔法がかけられているかどうかを調べることから、《祝福》に対する解除課の仕事は始まる。
「やってみろ」
そう言ってイルード班長は先ずアンルにそれを手渡した。
アンルは両手にガラスペンを乗せ、目を閉じて集中する。僅かにガラスペンが光を帯びる。
「シュリエの魔法は一般的なものと違ってどこか一点に集中している。何重にも覆っている魔法の層のようなものの中に、その核が見つけられるかどうかか鍵だ」
イルード班長はアンルの手元をじっと見つめながら言葉を続ける。その青い瞳はアンルが対象物に通している魔法を見極めている。
「分からなければ角度を変え、速度を変え、魔力の反射を掴め」
「……」
アンルは普段からは考えられないほど険しい表情でガラスペンに魔力を通し続ける。本来は丸く愛らしいその緑の瞳を鋭く眇め、手元のガラスペンをほとんど睨みつけていた。
「そこまで」
ややあってから班長はアンルを止めた。
「……ふぅ」
額にうっすらと汗を浮かべたアンルは、強張っていた表情を緩めて大きく息を吐く。私なんかより優秀なアンルの必死な姿は滅多に見かけない。何もしていないはずの私まで息を止めていたことに後から気付く。
「最初はそんなものだ。しばらくはこうして核を見つける訓練をする。次」
班長は淡々と説明を続けながら、ガラスペンをアンルから私の手に移した。相当使い込まれているのかペン軸には細かい傷が見られる。くるりと一周観察してから改めて両手の上に乗せた。
深呼吸してからそっと魔力を通す。このガラスペンは何を私に教えてくれるだろうか。
ガラスペンはぽうっと柔い光に包まれる。それと同時に、手元からじわりと温かい感情が伝わってくる。嬉しいような、泣きたいような、そんな気持ちだ。
「ふふ…持ち主はとても、感情豊かな人ですね」
「…何が見える」
私がそっと呟くと、イルード班長はぴくりと眉を跳ね上げて問いかけてきた。
「何も。このガラスペンで綴った恋が実ったみたい」
私はただ、その想いを見届けるだけ。
――良かったね。あなたが手にした愛がいつまでも続きますように。
そう祈ると、ガラスペンは一際大きく光を放って、そしてしんと静まり返った。
「《祝福》を解除したのか…?」
私の手の上でただのガラスペンに戻ったそれを見て、イルード班長は言葉を詰まらせながら目を瞠った。
「これが…まさか本当に…」
口元で小さく呟きながら、イルード班長は何かを思案している。
「毎回毎回どうやっているのよ。本当に不思議だわ」
アンルは半目で私を見遣りながら、肩を竦めた。
私には小難しい理論が分からない。ただ、《祝福》がかけられたものに魔力を通すと、不思議と持ち主の思念のようなものが伝わってくる。
言葉でも景色でもないそれは、恐らく喜怒哀楽の感情そのものだ。
それが周りと違う感覚だということを知ったのは学校に入ってからだった。
「クユイ・ガリネ、君は過去にも《祝福》を解除したことがあるそうだが、それも今と同様の方法か?」
入局試験では身辺調査が行われ、私の能力についても情報が行っているのだろう。勉強が得意でない私が入局できたのは、間違いなくこの能力があったからだ。
「同様の方法…まあ多分、そういうことだと思います」
首を傾げながら曖昧に返事をすると、イルード班長は更に怪訝な顔をした。
そもそも考えて解除をしているわけではないので、詳細な手順を訊ねられても返答に困る。私は伝わってくる感情に返事をしているだけなのだ。
「君は今から…正式に観察対象だ。《祝福》と対峙するときは必ず私を同席させるように」
イルード班長は眉間に深い皺を刻んで、半ば睨み付けるように硬く告げた。
…つまり、それって、仕事中はイルード班長とずっと一緒にいられるってことですか!?
口は噤んでいてもうっかり表情を明るくした私に、イルード班長の眉間の皺はさらに深まった。