2.その人
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「おっはよう!アンル」
「おはよう」
停留所に近づくと、親友の姿を見つけて手を振った。焦げ茶の髪は肩の上でくるんと巻かれ、ぱっちりとした二重が印象的な濃い緑の瞳は誰がみても可愛らしい。真新しいお揃いの制服に身を包んだ親友も、今日は一段と大人っぽく見える。
「今日からもよろしくね」
「こちらこそ。昨日はちゃんと寝られた?」
「ねえ聞いてくれる?またあの夢見た…はっきりは覚えていないんだけど、例の人がそこにいた気がするんだよね…顔を覚えてないのが本当にもったいない」
今朝見た夢の話をすると、アンルは「またか」と呆れたように肩を竦めた。
「またその夢?そんな夢にばっかり縋ってるから恋人ができないんじゃないの?」
家が近所で幼馴染みのアンルは厳しい評価を下す。
「でも!何かの暗示とかかもしれないじゃん。多分、青い瞳だと思うんだよね。覚えてないけど」
「はいはい、そうだといいね。とはいえ、今日から新しい環境だからね。あんたの言っていることも可能性としてはなくはない」
「そうでしょうそうでしょう。だから張り切って、前髪を切ったの」
ばちんと小粋に片目を瞑って前髪を指し示すと、アンルは怪訝そうな表情で私に顔を近づけた。
「何が変わったのよ、いつも通りじゃない」
「君には分からないかね、この微妙な違いが!」
前日の夜にすこーしだけ、切って整えた。私のこの黄色い瞳を際立たせる完璧な長さだ。
「微妙過ぎるんだわ。黙っていればそれなりなんだから口を閉じるのが早いわよ」
「それが一番難しいんだ」
顔は悪くないはずなのに、この愉快な性格のために恋人らしい雰囲気を作れないことは学校の友達みんなに言われていた。けれど、思ったことが直ぐに口から出てしまうのはなかなかやめられることではない。
「精々『大魔女シュリエの祝福があらんことを』祈ってるわ」
「ありがとう…」
アンルは数百年前伝説を残した大魔女に準えた祝福の言葉を口にする。大魔女と評された偉人がたかが小娘の恋人事情なんて、祝ってくれるわけがないだろうとは、お互い口に出さないのが優しさだ。
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「入局おめでとう、諸君。我々『王立魔法鑑定局』はご存知の通り、大魔女シュリエの魔法による《祝福》を授かったものの鑑定や解除を任されている唯一無二の専門機関だ。貴重なその歴史的技術を守りつつ解き明かしていくという使命を負っている。その職務に誇りを持ち、相応しい振る舞いを心がけるように。諸君らの活躍に期待している。『諸君に大魔女シュリエの《祝福》が訪れますように』!」
私たちより装飾の多い制服を身に纏い、口の周りにたっぷりとした髭を蓄えた局長なる人物は、鑑定局の広間で壇上に立ち朗々と挨拶をした。
整列した新人たちはきちっと手足を揃えて伸ばし、真剣な眼差しで話を聞いている。眠くてふらつきそうになる身体を必死に抑えているのなんて、私くらいなものなのだろう。学校に通っているときから先生の長話を聞くのは苦手だった。まさか就職してからもそんな場面に出会うとは。
閉じかける金糸雀の如き黄色の瞳をかっと見開きなんとか耐えていると、ようやく式典は終わったらしかった。入局の試験を受ける際に成り立ちや役割、仕事内容まで詳しく調べさせられているこちら側としては、目新しい情報など無いのだからもう少し手短にしてくれてもいいのに。
「クユイ、大丈夫?」
式典が終わるとそれぞれの所属部署へ移動となる。アンルは後ろから私を覗き込んで背中を押した。
「眠くて死にそう〜」
「しゃきっとせんか。第一印象は大事よ」
就職先が一緒になったのは偶然であったのだけれど、何とアンルとは配属先も同じだと判明したのはつい先日のこと。
「はい先生。気張ります」
アンルはしっかり者で何かと頼りになる。そんな親友が同じ部署に配属というのはそれはもう安心感がすごい。だからといって気を抜いて運命の人を見逃すわけにはいくまいと、顔面に力を入れた。
「否、どんな顔よそれ」
「目を覚まさないといけないと思って」
「お願いだから普通にして」
肩を震わせるアンルに満足して顔を元に戻す。こうやってふざけてばかりいるから恋人の一人もできないのだと分かってはいるが、自分を消してまで作ろうとも思ってはいないのだった。
何故ならば、夢の中の人にはまだ出会っていない自信が私にはあったからだ。顔も性格も声も名前も、何も覚えてはいないけれど、いつかは出会うその日を夢見ることくらいは、私の自由だ。
広間を出て階段を昇り、二階の廊下の奥に、「解除課」と書かれた札がぶら下がっていた。再度強い瞬きをして顔を起こし、ささっと身だしなみを整える。
「よし、行こう」
「ええ」
気を引き締めて半分解放された扉から中を覗き込んだ。
「おはようございます」
部屋の中は執務机と書棚が並び、そこかしこに書類が雑然と積みあがっていた。なんとも「職場」らしいその光景に、それだけで大人になった気がして心が弾む。
漆喰の壁はよく磨かれているが、うっすらと残っている傷に建物の歴史を感じる。学校と比べても大きいこの「鑑定局」は、建設当時の最新技術を使って建てられたそうだが、今見ても十分に凄さが伝わる。
「おや、新人たちが来たな。イルード、頼むよ」
「はい」
部屋の一番奥、一つだけ切り離された席に座っていた男性が立ち上がり、近くの課員に声を掛けた。
落ち着いた低い声で返事をしたその人は、すっと立ち上がりこちらに歩いてくる。その人を目に入れた瞬間、私の全身に衝撃が走った。
ただ歩いているだけなのに、不思議な空気を纏っていて目が離せない。指通りの良さそうな輝く銀の髪に、抜ける夏の空のような青い瞳。鼻筋が通り整った顔立ちは、男女を問わず目を引く容貌だった。
そんな男が出会ったばかりの垢抜けないちんちくりんの相手をするはずがないことなど、私の足りない頭でも理解はできたし、ましてやここは職場であって学校ではない。私はあくまで仕事をしに来たというのも十分に理解しているつもりだった。
そうであったはずなのに、私の口から出た言葉に一番驚いたのは私だった。
「…好きです」
「は…?」
先輩課員はその青い瞳を冬の海のように凍らせ、私を睨みつけた。その瞬間我に返った私は、自分のとんでもない所業を理解したのだった。
それが私と、解除課二班イルード班長との出会いだった。