16.追想
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あれから一週間、イルード班長は鑑定局に姿を見せていない。ザイ課長はたまにふらっとやってきて、溜まった仕事を片付けてまたいなくなる。具体的に何をしているか、王城がどんな様子なのか、他の班長たちが訊ねても答えなかった。
恐らく戻ってこないということは、その《祝福》が解除できていないのだ。
私も大人しく事務仕事を熟してはいるものの、あの日以来抱いたもやもやを晴らせずに、すっきりしないままだ。
実際にイルード班長に会ったとして、何をどのように訊いたらいいのか、皆目見当もつかないけれど、それでも正面から向き合わないといけない気がしている。
仕事をしていれば否が応でも《祝福》には携わるし、様々な書類を目にしているからには、あの日の夢が頭の隅を過ぎってしまう。
こうして休日を過ごしていても、何となく頭の中にイルード班長と夢の中の男がぐるぐるしていて、何も手につかずに寝台に転がる羽目になった。まったくもって生産性のない休日だ。
考えたって分からない。イルード班長が何かを答えてくれるとも限らない。けれどこのままではいられない。
仮に私が本当にシュリエの生まれ変わりだったとして…あの青い瞳のマキトとかいう男はイルード班長の前世だとでもいうのだろうか。
そんなことを思っては、そんな都合の良い話があるか、と鼻白む。シュリエはマキトのことを大切に思っていたようだが、生まれ変わっても傍にいるだなんて、流石に執着が過ぎる。
万が一気持ち悪がられていたりなんてしたら、既に為す術もないのかもしれない。
否、そう断定するのはまだ早い。まだイルード班長本人からは何も聞いていない。あの生真面目な人が、そんな単純な理由で人を遠ざけるとも思えない。
ごろりと寝返りを打って腹の底から息を吐き出す。しかしどれだけ吐いても、もやもやは出て行ってくれない。
「もうだめだ。はっきりさせたい」
悩んでいても解決しないのであれば、行動するしかない。休日は有効活用して然るべきだろう。
シーツに手をついて勢いよく起き上がった。
仮に私にシュリエの記憶があるのであれば、王城の中も歩けるかもしれないし、ダメだったら帰ってくれば良い。
こうと決めたらやってみるのが私だ。件のネモフィラ畑を見るために、急いで身支度を整えて家を飛び出した。
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王都のど真ん中に聳え立つ王城は、遠くで見るよりよっぽど大きかった。ただ、敷地が広すぎて主城までかなり距離があるところを見るに、真下に行くとさらに大きく見えるのだろう。
外門の様子を窺うと、それなりに人の出入りがありそうだ。
王城は当たり前に厳戒な警備体制が敷かれている。しかし鑑定局の身分証があれば、ある程度なら中まで入ることができるらしいと聞いたことがある。人の流れに乗って身分証を提示した。
受付を済ませてから王城の敷地を歩き始める。クユイとしては初めて訪れたはずなのに、なんとなく足が進むのだからやはりここには何かありそうだ。どことなく既視感があるような気もする。
主城に辿り着く前に、見覚えのある庭園が目に入った。そう確か、バラが植わった生垣の中で、棘が少ない品種がまとまっている場所があるのだ。
周りを見回してから庭園に侵入する。三つ目の角を左に曲がって、突き当りを右。もう一度突き当ったら、足下を確認する。人が通るには狭いが、隙間を見つけた。
「うん、棘なさそう」
近年では棘のないバラなんかも開発されているらしいとはアンルの談だが、クユイとしては品種など全く分からない。
なるべく音がしないよう地べたに手をついて潜り抜ける。棘がないとは言ってもしばらく使われていなさそうな獣道は、枝が少々ひっかかる。
なんとか通り抜けると、また別の庭園に出た。
それからさらに生垣の隙間を縫って道なき道を進み、初めて訪れたはずのそこに、懐かしい一面の青い絨毯が広がっていた。
「うわ…綺麗」
空の青と一体化したように広がる丘。見渡す限り広がる青に、思わず息を呑んだ。
「これ…知ってる」
確かにネモフィラはそれぞれに何かを訴えている。ざわざわと風に揺れながら何かを主張しているのは、花の一つ一つに《祝福》がかかっているからだろう。確かに私はこれを知っているのだ。
「クユイ?…君が何故ここに?」
ネモフィラ畑に見入っていると、ふいに声がかかった。久しぶりに鼓膜を震わせるその声に、嫌でも心臓が動きを早める。
振り向くとそこにいたのは、ネモフィラと同じ青い瞳のイルード班長だ。こんなところにいるはずのない私の姿を認めて訝し気に眉根を寄せている。
「こんにちは。イルード班長に訊きたいことがありまして。まさか本当に今日いらっしゃるとは思いませんでしたけど」
休日は全員一緒だ。イルード班長も当然休日のはずだった。本人がいなくてもネモフィラ畑を確認できればいいやと思いつつ、なんとなくいるような気はしていた。
「こんなところまで来て質問だと?大体どうやってここまで来た。関係者以外の立ち入り許可は降りていないはずだが?」
その青い瞳を眇めながら、イルード班長は私を問い詰める。その刺すような雰囲気に呑まれそうになるけれど、私はぐっと堪えて言葉を返す。
「休日まで大変ですね。私がこれ、終わらせましょうか?」
「…君の仕事ではないだろう」
イルード班長は声を低くして言った。
「私の仕事ではありません…ですが、私、知っています。これの終わらせ方」
正面から向き合って固く告げると、一瞬イルード班長の顔色が変わった。あの時みたいに。
ぶわりと世界が明るくなる。はっきりと視界が開けたように、その記憶が鮮明になった。
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訓練が嫌になり王城を抜け出して辿り着いたのは、一面に広がる青だった。初めてこの場所を見つけたとき、私にはあなたがついていた。
「ねえマキト、あなたの瞳ってネモフィラみたいね」
私がそう言って振り返れば、あなたは不満そうに眉根を寄せた。
「男性を花で例えるのはどうかと思うが」
その反抗的な態度が気に入らなくてわざと下から顔を覗きこんだの。
「気に入らなかった?」
「…否、ありがとう」
少しだけ頬を染めていたのが、腕で口元を隠していてもバレていたわよ。ああなんて、格好良くて可愛い人。
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そうなんだ。これまでの夢はみんな、私の過去の人生だったんだ。大魔女シュリエもフィエロも…全部。
――班長、あなたも…覚えているのですか?