13.指輪
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「わあ…まだこんなに残っているんですねえ」
「やってもやっても終わらん…意味が分からん…」
「私の研修はいつ再開できるの…」
ひと月ぶりに出勤した解除課は依然として、てんやわんやだった。
館から押収された《祝福》がかけられた遺物たちは緊急性の高いものは解除されたり、関係ないものが館に戻されたりしたものの、その後は膨大な管理記録の作成が必要だ。
一つずつ鑑定後に報告書を作成、鑑定印を施して、保管先を確保する。
「誰だよこんなに《祝福》を溜め込んで隠してたやつ!」
「ジョルア伯爵ですね」
悲痛なラグー先輩の叫びに、アンルが淡々と返す。私がいない間に班の団結も高まっているようだ。
因みにアンルはその後も《祝福》の感覚を掴むための訓練は後回しになり、書類の整理や記録係として働いているそうだ。これだけ物があれば仕事なんて腐るほどある。
「誰なんだよジョルアって…!」
ラグー先輩は相当疲れているのか、頭を抱えて机に突っ伏した。見通しの良くなった室内は、全体的に疲労の色が浮かんでいる。
「あんたはもう大丈夫なの?」
「お陰様ですっかり。最新の設備と最良の治癒術の賜物で」
「何よりだわ。例の箱は保留になったままよ」
私が怪我をした原因の箱は、鍵穴に魔法がかけられ、他人が箱を開けようと鍵穴に魔力を通すと爆発するようになっていたらしい。
開けようとしていた先輩たちは、不用意な行動をとったことを課長にこっぴどく絞られたようで、動けるようになってから直ぐに私の寝台に謝りにきた。
お互い怪我を負いながら謝り合うという、謎空間ができあがったのだった。
事件後も箱の方は傷一つなく、頑なにその鍵を閉ざしたままだそうだ。
「何をそんなに隠したかったんだろうな。魔法をかけてまで人に見られたくないもの…?」
ラグー先輩の呟きに、ざわりと腹の底で何かが蠢いた。
「隠したい失敗とかって、誰にでもありますからね」
その衝動に従って、言い訳のようなことが口から出る。
「だったら消せばいいだろ?とっておくのに隠したいってどういう気持ちだよ?」
ラグー先輩は納得ができないらしい。
「あーでも確かに、手放せないけど他人には見られたくないものってあるかも」
こちらの意見に寄り添ってくれたのはアンルだ。
「…例えば?」
「言えないから隠すんですよ、先輩?」
窘めるようにアンルが言うと、ラグー先輩は「何だそれ」と呟いてまた突っ伏してしまった。
「恋文、とかだったりしてね」
ラグー先輩には聞こえないように、アンルは私の耳元で囁いた。
「ありそう…」
何故か私の胸はざわついている。絡まった糸を解いてほしいような、触らないで置いておいてほしいような、どっちつかずの気持ちだ。
「クユイ」
さて何から始めようかと考え始めたとき、イルード班長が入ってきた。
「おはようございます。この度はご迷惑をおかけしてすみませんでした。今日からまたよろしくお願いします」
慌てて立ち上がり挨拶をすると、イルード班長は少しだけ苦しそうに眉根を寄せた。
「ああ…こちらこそすまなかったな。もう身体は大丈夫か?」
イルード班長が私を心配している。先程までの嫌な胸のざわめきが、別のざわめきに変わるのは一瞬だった。
分かっている。あくまでイルード班長は上司として部下を心配しているだけであって、私が特別ではないことを。
しかしそうだったとしても、それを理解していても、イルード班長に心配されるという事実がこんなにも私を喜ばせるのだから、これはもう仕方がない。
「……大丈夫そうだな」
静かに悶えていると、あっという間にいつもの表情に戻ってしまった。いつもの表情もイルード班長らしくてとても好きなのだが、珍しい心配の表情はもう少し堪能したかった。
「返事をしろ」
「眼福です」
間違えた。イルード班長の視線がどんどん冷たくなっていく。
「間違えました、もう身体は大丈夫です!今日からバリバリ働かせていただきます!」
「…しばらくは無理をしないように」
病み上がりの部下に強く言えずに葛藤する姿も貴重だ。しっかりと目に焼き付けなければ。
「出勤してそうそう申し訳ないんだが、君には解除の方を手伝ってもらう。会議室に移動してくれ」
「はい!」
休んでしまった分、取り返さねばと意気込んだ。
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次の《祝福》を手にしてからふと疑問が湧いた。いつだって人の気持ちというものは、複雑で難解だ。近くを見回して同じ様に作業をしているイルード班長が一段落ついたところを見計らってそっと近づく。
「イルード班長、今いいですか?」
「……」
作業が終わったばかりの《祝福》を見つめて何かを考え込んでいるようで、返事がない。邪魔しては悪いかと思いつつ、しかしながらどこか思い詰めたような表情が気になる。
「イルード班長?」
もう一度呼びかけるとはっと顔を上げた。
「ああ…君か。どうした?」
「相談に乗ってほしいことがあるんですけど今いいですか…?」
「どんなことだ?」
厳しい表情を一瞬で整え私に向き合ってくれたが、やはりどことなく顔色が悪い。
「…具合悪いですか?」
「俺が?問題ないが」
心底意味が分からないというように眉根を寄せられてしまった。差し出がましいことを言ってしまったかとも思うけれど、問題ないようには見えなくて…とはいえ今は仕事中だ。余計なことを言っている場合ではないと判断して、心配は飲み込むことにした。
「そうですか……」
「相談は」
納得がいっていない私を綺麗に受け流してイルード班長は本題に戻そうとするので、今しがた抱いた疑問を投げかける。
「…怒りと喜びって両立すると思いますか?」
「また随分と突飛な相談だな…」
魔力を通して流れてきた感情は、一見相反する二種類の感情だった。
「このイヤリング、相手を思って嬉しいとか楽しいとか、前向きな気持ちが大きいんですけど、その裏側に怒りというか…狂気じみた何かがあるというか」
《祝福》がかかった小ぶりなイヤリングを見せると、イルード班長はその青い瞳を僅かに細めた。それから一つを手に取り観察する。
「可愛さ余って憎さ百倍という言葉もあるくらいだしな」
「確かに」
自分でそういった感情を抱いた経験はないにしろ、その慣用句くらいは聞いたことがある。つまりは、一般的には珍しくもない感情ということだ。なんとか咀嚼して理解をしようとしていると、イルード班長は言葉を続けた。
「例えば…好きだからこそ、振り向いてもらえなかったときにそれが憎しみに変わったり、相手を愛しているからこそ、何もできない自分に苛立ちを覚えたり…そういうことはあるんじゃないのか?」
遠くを見るようにイヤリングから視線を外した後、ゆっくりと瞬きをしてからイヤリングを私の手に乗せた。それは、やけに実感の籠った言い方だった。だからこその説得力を感じて、手に置かれたイヤリングを再び見遣る。
「好きだからこそ…」
イルード班長の言葉を繰り返し、伝わってきた感情を整理する。ただ好きで居られたら良かったのに、色んな葛藤があったのだろう。またその感情に寄り添いそうになってはっとした。危ない、このままではまた《祝福》を解除してしまう。
改めてイルード班長にお礼を言おうと顔を上げると、イルード班長は虚空を見つめたまま、左手の人差し指に嵌った指輪を触っていた。
イルード班長が装飾品を付けているところを初めて見た気がする。素朴な金属の指輪はよく見ると細やかな彫りがあって、無骨さの中に繊細さが紛れているところがイルード班長らしいという印象だ。
じっと観察していると、ふいにその指輪から何かを訴えているような気配を感じる。
「イルード班長…それ、《祝福》ですか?」
びくっとほんのわずかにイルード班長の肩が揺れたのを、私は見逃さなかった。ゆっくりとその青い瞳がこちらを向く。その奥に潜む感情は、一体なに――
「イルード、ちょっといいか」
その一瞬の緊張を遮ったのは、ザイ課長だった。会議室の入り口でイルード班長を手招いている。
「はい」
イルード班長は慌ててその場を立ち去る。ほっとしたような、名残惜しいような、言葉では言い表し難い感情をその場に残して。