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後編

 最終的にその日、殿下は「申し訳ない、再考させてくれ」と言って帰っていき、結果として婚約者はミリアになった。

 私が退散した後のミリアの話だけではなく、王子妃教育を担当した講師に詳細な話を聞くなどして、客観的評価を得ることができたのも大きかっただろう。

 改めて彼が婚約の話で公爵家に来た時、その日のからりと晴れ渡る空を切り取ったかのように清々しい顔をしてミリアに婚約を申し込んでいた。公爵家の庭にあるガゼボで……二人が幼い将来を誓い合った日……優雅に咲く花たちに囲まれて、手を取る二人が思い起こされ、私も幸せな気持ちになったのだ。



 そして数ヶ月後。殿下とミリアの婚約が夜会で発表された。


 その日のミリアは美しいモノを見慣れている私でさえ、魅入ってしまう程の輝きを放っていた。

 彼女のドレスは殿下の瞳の色であるわずかに緑がかった濃い青色――宝石で言えばアクアマリンだろうか――を基調としたドレスを身につけている。

 殿下がミリアに懸想していた事は知っていたが、まさかこれ程とは……と両親も私でさえも思うほどに、彼の色を基調にしたドレスを着た彼女は、恥ずかしそうに微笑んでいた。


 殿下がミリアを選んだ理由が一目で分かるであろう装いは更に自信へと繋がっていたのだろう。


 

 彼女の名が呼ばれ、参加者に背を向けていた時にはミリアに対して不躾な視線や小声での誹りなどもあったのだが、殿下の横に並び立った彼女を見た彼らは息を呑む。

 そこに出涸らしの妹、と呼ばれた彼女の姿はないのだから。貴族女性の中の誰よりも品よく美しく微笑むミリアに、周囲の令嬢からは憧憬の念が感じられるようになっていた。


 ミリアは所作と微笑みのみで、敵陣に傾きつつあったこの場を支配したのだ。その勢いは王妃をも飲み込んだらしく、彼女ですら、見惚れてしまっている。

 

 彼らの様子に満足して近くにいる両親を一瞥すれば、二人も幸せそうに笑っていた。王子妃教育を受けたいという私たちの我儘を叶えてくれた両親には、感謝してもしきれない。


 



 婚約発表が終わると、次はダンスである。

 

 踊り始める前の優雅な佇まい、そして踊り始めてからの計算尽くされたミリアの美しさ。初めてとは思えない、二人の息の合ったダンスは会場中を引き込み、完全に空気を我がモノとしていた。


 パーシーズ公爵家派閥の貴族の中には「外見だけ取り繕っても――」と苦し紛れに発言している者もいたのだが、このダンスを見た大部分の貴族は、雑言を撒き散らす者に冷たい視線を送っている。

 その事に気づいたのか、その後声はだんだんと小さく、最終的には聞こえなくなっていき、既に不埒な悪意を垂れ流す者は既に会場にはいないくなった。


 皆気づいたのだ。殿下が愛するのはミリアだけである事、ミリアも殿下を愛しているという事を。この婚約がひっくり返ることなどない、という事を。

 

 彼女はもう準王族として扱われる。今後次代の王妃であるミリアに手を出すものがいれば、どのような立場であっても死は間逃れない。過去に当時の王妃が王子妃を殺害した、という事件が起こってから、王子妃を守るための規律が作られているため、王妃もミリアに手を出すことはできないだろう。

 まあ、嫌がらせはあるかもしれないが、それに屈する彼女ではない。

 

 

 ミリアと殿下のダンスをある程度見た後、私は人知れずバルコニーへと出る。

 バルコニーから改めて会場を見渡せば、パーシーズ公爵と王妃は願い通りに進まなかった婚約を見て苛立ち感じているように見えた。距離が遠いので、気のせいかもしれないが。

 そして彼らの娘であるパーシーズ公爵令嬢は表情ひとつ変えることなく、彼らを見つめていた。その瞳には憎悪や憤怒も感じない。ただ何も感じていない……言って終えば虚無、という感情だろう。


 噂によれば、娘である令嬢も殿下に対し、熱心に働きかける事が多かったと聞いたのだが……。まぁ、彼女がどんな感情であれ、この決定がひっくり返ることなどない事は理解できているはずだ。


 

 私はミリアと殿下が仲睦まじく微笑み合う姿を見て、肩の荷が降りたような気がした。しかしそれと同時に王太子の婚約者として手の届かない遠くにミリアが行ってしまった……置いていかれてしまった、そんな感情が私を支配する。


 その痛みに気づかないふりをして、私は視線をバルコニーの外へと動かす。

 


 頬を撫でる風が暖かい。


 

 その暖かさはいつも満面の笑みで私の心を包み込み、「お姉様!」と慕ってくれるミリアのようだった。

 空を見上げれば今までにない程星が無数に輝き、その光はミリアのドレスに縫い付けられていたアクアマリンの宝石と同じように美しい輝きを放っており、空虚な心が少しだけ洗われているように感じる。

 

 

 ――空を見つめてどれくらいの時間が経ったのだろうか。いつの間にか曲が終わっていたらしく、現在の曲が落ち着きのあるワルツになっていることに私が気づいた頃。彼はやってきた。


 

「マリアーヌ嬢、ここに居たのですね」

「ルーク様」



 彼と声を交わすのは久し振りだ。ルークは私たちが妨害を受けてからも殿下の側近として侍っていたため、その後付き合いがほぼ無くなってしまっていた。

 

 最後に図書館内で議論をした頃は、私と同程度だった背丈。幾分と高くなっており、今や頭を上げなければ顔を見られない程になっている。そして彼の声も大分低い音程に変わっている。だけれど、あの時。私の行動に呆れながらも、私の我儘に付き合ってくれた優しげな瞳はそのままだ。

 ルークは手に持っていたグラスを私に手渡した。ありがたく頂戴して口をつけると、少し甘酸っぱいベリーの味が口の中に広がる。


 その間にルークは私の隣に立った。

 

 

「やはり殿下は彼女を選んだのですね」

「ええ……最初は葛藤があったようですけれど」


 

 葛藤があった、という言葉を聞いて彼はすぐにピンときたらしい。「……そうでしたか」と何か思い詰めているような、そんな表情に変わったが、すぐにその表情は取り繕われた笑みによって取って代わられた。

 

 

「ですが、これで貴女の夢が叶いましたね」



 夢……と聞いて、思い出す。一度彼に「内緒だよ?」と話した事があったのだ。ミリアが好きな人と結ばれる事が私の夢だと。今思えば、彼には心を開いていたのかも知れない。

 

 

「ええ。やはりミリアには幸せな結婚をして欲しい、と思っていますから……王妃、という立場は大変という一言では表せないほどの重圧ではあると思いますが、彼女ならやり遂げる事ができると信じていますわ」

「幸せな結婚ですか……そうですね。あの二人はとても幸せそうですね」



 ルークは私から視線を逸らし、壇上に立つ二人を見つめていた。その瞳には幸せそうな二人が映っているのだろう。だが、何故か顔は強張っている。

 不意に彼の視線が私に戻ると、ルークは私の目をじいっと見つめながら言った。



「ですが、貴女は如何です?」

「え……?」

 


 私は彼の瞳に呑まれてしまったかのように、言葉を紡ぐ事ができなかった。「ミリアが幸せならそれでいい」と言葉にしようとしても……彼の瞳を見ると、その言葉は「本当か?」と心が揺さぶられているような思いに駆られる。


 だが、ミリアは私の可愛い妹だ。彼女の笑顔を見るのが何よりも私の癒しだったのは事実だ。

 そう告げようとした私が顔を上げると、ルークくっくっく、と笑い始めた。



「貴女は本当に可愛らしいですね」



 私はその言葉に目をぱちくりさせる。今まで考えていた事が頭から一瞬で抜けていった。

 ルークが私を可愛いと言った?私を?可愛いのは妹のような子の事を言うのである。


 

「ちょっと、ルーク?もしかして揶揄ったの!?」

「私は事実を言ったまでですよ……ですが、その様子を見る限り、緊張も解けたようですね?」



 微笑む彼を見て肩の荷が降りたとは言え、彼から見てまだ緊張が解けていなかったらしい。貼り付けた笑みによって強張っていた頬に少し痛みを感じたため、私は頬に両手を添える。

 そして彼を呼び捨てにしていた事に気づき、謝罪しようとしたが「昔のよしみですから。むしろそのままでお願いします」と言われてしまった。

 

 そんな私にルークが微笑みながら話を続ける。

 


「先程の話の続きですが……貴女の事だ。自分の事を後回しにして、全てを彼女に尽くしてきたのでしょう?」



 どこの会話の続きだろう、と考えて「貴女は如何です?」の続きだと気づく。

 

 

「今の彼女(ミリアーヌ嬢)を見れば分かりますよ。確かに外見も美しいですが、それだけで彼女が周囲を魅了できるとは思いません。彼女の根本的な輝きは、絶対的な自信からくるものでしょう。それは貴女たち家族……特に貴女の愛に支えられてきたからこそ、あれだけの自信を持つ事ができたのだと思います」


 

 そんな事はない。私は勉強が好きだったから……本を読む事が好きだったから、元々知識を得る事が好きだったからミリアに付き合えただけだ。彼女が自分自身で努力したからこその結果であり、私の協力など微々たるモノだ。

 声に出して言おうとしても、喉が震えて言葉を紡ぐ事ができない。心なしか、体も震えているように思えた。

 

 

「貴女はきっと『そんな事はない、全て彼女の力だ』と言うでしょうが……少なからずも貴女の影響は多分に受けていると思いますよ。ミリアーヌ嬢の幸せのため、よく頑張りましたね」


 

 ルークは私の頑張りを認めてくれているらしい。その言葉で少し目が潤んできてしまった。

 

 ……だが、彼に私の心を見透かされていたとしても、私は王太子妃ミリアーヌの姉だ。こんなところで彼に涙を零す姿を見せるわけにはいかない、と潤んでいた目に力を入れて、気丈に振る舞った。

 

 

「ルーク、ありがとう……ええ、私は彼女の姉ですからね」

「その意気です。ミリアーヌ嬢も貴女も、ここで終わりではありませんからね。むしろここからが始まりではありませんか。貴女は女公爵として彼女を支えなくては」

 

 

 彼の言葉がすうっと心に染み込んでいく。ぽっかりと空いた心の隙間を少しずつ埋め、先程感じていた痛みも同様に軽くなっていくのを感じる。


 その言葉でふと気がついた。私の夢は「ミリアを王子妃にする事」だった。それが叶った今、私がどこを目指すべきなのか迷子になっていたのだろう。それが胸の痛みの原因だったのだ。


 でも、もう私は迷わない。女公爵として領地を治め、妹と殿下の治世をより良くするために生涯をかける、そう決めた。

 

 決意を込めた目でルークを見れば、彼の瞳にはいつもの私が映っていた。もう胸の痛みはない。

 そんな私を見て、ルークはふっと笑う。


 

「貴女はやはり強いお方だ」

「……そんな事はないわ。先程まで腑抜けていたのは事実だもの」

「貴女の夢が叶ったのです。その時くらいは、気を抜いたって良いと思いますよ?」

「そうね。今日は彼女の旅立ちを思う存分祈るわ……ルーク、気にかけてくれてありがとう」

「いえいえ。この役目は私だけのモノですからね」



 昔馴染みの流れで、いつものように気にしてくれたのだろう。春の陽だまりのように心が温かくなったが、その事が何故か照れ臭く思えた私は、慌てて話を逸らした。


 

「だけれど、少し心配だわ。私は公爵家を継ぐ力があるのかしら?」

「貴女ならできますよ。ミリアーヌ嬢と共に王子妃教育に加え、領地の事も勉強されてきたと聞いています。今までの努力は今後実をつけ、貴女でしたら花すら咲かせる事ができるでしょう……それでも心配であれば、私が貴女の側に居て生涯手助けしますが、如何ですか?」

「え?」



 ……私はその言葉の意味をすぐに理解する事ができず、突然の出来事に面食らった。だが時間が経つにつれて、その言葉を理解し始めた私は、驚きながらも顔が熱くなる。

 私の表情に満足したのか、手応えを感じたのかは分からないが、彼は嬉しそうに微笑んでいる。

 

 なんだか私がやり込められたようで、悔しい。何か言おうと思って口からついて出た言葉は、「貴方、そんな性格でしたっけ?」だった。



「まあ、私も成長しましたからね。それに……」

「それに?」

「ここまで直接的に言わないと貴方は気づかないでしょう?……本当に自分の事については疎いのですから。むしろ私があなたの事を追っていた事など気づいていませんよね?」

「え?え?」



 追っていた?私を?いつの話だろう、と思ってルークを見れば、彼は「やっぱり」と言いたげな顔で額に手を当てている。



「貴女方が登城していた頃の話です。殿下とミリアーヌ嬢を二人きりにするために、貴女は図書館に入り浸っていましたよね?あの時です」

「へぇ?!あれは私を探しにきてくれたのではないの?」

「貴女には護衛や侍女が付いているではありませんか。彼らが大抵貴女のいる場所を知っていますから、別に私が追いかける必要はないと思いますが。それに殿下とミリアーヌ嬢を二人っきりにするなら、私は貴女と別の場所に居たっていいと思いませんか?」



 確かにそうだ。



「でも……貴方も本が好きだったでしょう?」

「そうですね」

「だったら……」



 図書館に毎回訪れても不思議ではない、と言おうとしたところで、彼の言葉に遮られた。



「まぁ、読書が好きな事は事実ですから認めましょう。ですが……仮にですよ。読書をするために図書館へ来たのなら、静かに読書をすればいいとは思いませんか?毎回、貴女に話しかける理由はないと思うのですが」

「あ……」


 確かにそうだ。毎回「貴女はまたここですか?」なんといういうやりとりはしなくても良い。



「あれは私が話したくて、毎回貴女に話しかけていたのですよ。それに気づきませんでしたか?貴女が読む本の依頼表全てに私の名前があった事を」



 そう、それは本当に印象に残っていた。彼の名前がない本を読んでみたい、その想いが読書を頑張っていた理由のひとつでもあったのだ。あれになんの意味があったのだろうか、と考えていると、ルークは私の耳元で囁く。



「あれは私がマリアーヌに頼って欲しくて、貴女と話したいがために……必死に読んでいたのですよ」


 

 ――僕の愛、分かっていただけましたか?

 


 彼の色気に当てられ、顔を真っ赤にした私は首を縦に振ったのだった。




 


 

****


 


 その後、どう帰ってきたのか記憶がない。

 いつの間にか私はタウンハウスの自分の部屋のベッドに座っていた。服を見るとドレスではなく、部屋着になっている。きっと侍女が脱がせてくれたのだろう。


 そのままルークの言葉を頭の中で反覆していると、不意に扉がノックされる。入ってきたのはミリアだった。



「お姉様、何かあったの?馬車の中でずっと上の空だったって聞いたわ」


 

 なんでもあの後、ルークが私を両親の元へ連れてきたらしいのだが、両親は頬が紅潮していたため体調を崩したのかと思ったらしい。

 両陛下と殿下への挨拶をした後、すぐに馬車に乗せられ帰ってきたという。


 

「両陛下と殿下とは普通にやり取りされていたのに、顔が赤いままだったから、殿下も心配されていたのよ?」

「……全く覚えていないわ……変な事言っていないといいけれど……」



 両陛下への挨拶を覚えていないなど、失態の極み。その言葉にミリアは目を見開いて驚いている。

 

 

「ええ?!あのお姉様が?覚えていないなんて事があるの?!熱があるのではなくて?!」



 と言って、彼女は私の額に手を当てる。

 

 

「うーん?熱くはなさそう。念の為、濡れ布でも持ってきてもらおうかしら」

「大丈夫よ、ミリア。本当に熱はないから気にしないで?」

「でしたら、お姉様がこのようになった原因はなんですの?」



 問い詰められて、隠し通すのが無理だと思った私は、ルークとの間にあった事を話さざるを得なかった。しどろもどろに話す私の言葉を遮る事もせず、ミリアは最後まで聞き続ける。

 どれくらいの時間が経ったのか分からないが、話し終えた私が顔を上げると、ミリアは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。

 そして開口一番。

 

 

「ええ?!お姉様!気づいていなかったの?!てっきりお姉様とルーク様は相思相愛かと思っていましたわ!」


 

 だから途中から図書館で逢瀬を重ねていたのかと思っておりました、と言われた時には声も出せなかった。


 

「どうしてそう思ったの?」

「だって、お姉様。よくルーク様のお話をしていましたし」


 

 てっきりお姉様もルーク様の事が好きなのかと思っていました、と言われて私は初めて恋心を自覚した。


 


 

 そしてこの後、ルークの事を好きだと自覚した私が、ルークと顔を合わせる事ができず逃げ回る事になるが、それを分かっていたルークに捕まってしまうのだった。


 

 拙作を読んでいただき、ありがとうございました。

 

 今回のざっくり大まかなテーマは、「目標に向けて頑張る姉妹」です。

ふと仲が良い姉妹の小説を執筆したくなって、思いついたのがこの話でした。

マリアーヌのミリアへの愛が伝われば作者冥利に尽きます。


宜しければ、ポイントやブックマークもお願いします。今後のモチベーションに繋がると思いますので。

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