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私が前世の記憶があることをデリックに伝えた日から、よくよく考えれば…違う、よく考えなくてもなんだけど、私とデリックの関係はすっかり恋人のそれになっている。うん。
「あれ? どうしてこうなった?」って感じに戸惑った私がいるけれど、でも答えはすでに出ていて、もう誤魔化せないんだなって、諦めた後でもあって。
(…マージェリーも、ということかしら?)
そんな心の呟きを誰も拾うことはなくて。私もマージェリーもデリックに落ちたんだな、という事実を…どうしてなのか揉み消したい自分がいることは絶対に内緒。
⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑
「はいはいはいはい、そうですよー。デリックのことが好きですよー。間違いないですよー」
と、本人の前で嫌々私が口にすれば、デリックは機嫌良さそうに私を抱きしめる。私はそんなデリックの態度に少しうんざりしながら、やっぱり諦め気味にデリックをねめつけた。
デリックは私のそんな視線を見事にスルーして、周囲を一度見回すと私の頬へとキスを落とした。
「だから! そういうことは、やめてほしいって言ってるでしょ!!」
「誰もいないのをちゃんと確かめたけど?」
「いやいや、いるから」
「…いる」
私の言葉を受けるように、小さく聞こえた声はジーンのものだった。ジーンはもうすっかりデリックへの警戒を解いているし、なんだったら兄として慕ってもいる。以前なら私とデリックを近付けまいと必死になっていたのに、どうやって手懐けたのかジーンはデリックと私を応援すると言って憚らない。
そのジーンが、今、いる。デリックのすぐ横に。私の視界にはしっかり入っているわけで。そのジーンは、自身の両手で自分の目を覆って隠してはいるけど、明らかに見ていたんだろうな、というのが分かる。指と指の隙間からジーンのパッチリと開いた瞳が見えているから。
「ジーン、デリックみたいな悪いお兄ちゃんになっちゃ、ダメだからね?」
「はーい」
ジーンは良い子らしく振る舞い、元気に返事をした。でも、信用できないけど。
「…ジーン、覗き見なんて悪い子だ」
「えー? 見せるようにしてるデリック兄ちゃんがダメだと思うな」
デリックがジーンに注意をすれば、揚げ足を取るように反撃をする。それに対しデリックも答えに窮している。
「……。ほら、だからやめてほしいって言ってるの」
「分かったよ」
降参と言わんばかりに小さく両手を上げたデリックは、少し肩を竦めてみせた。
「でも、婚約者としての正しい距離感は保ってるつもりだけど?」
「…そう、ね。婚約者としての距離感は、間違ってないと思うわ」
まだ婚約したばかりの頃、デリックは本当に距離感を保ってくれていた。手を取るのはエスコートの時だけだったし、決して今みたいに触れ合うことなんてなかった。だから、私は安心してデリックの隣に立てた。
でも、気持ちが寄り添い合えるとデリックが理解してからは、距離感がゼロに近付いてきてると感じる。その距離感は決して婚約者としては不適切ではないらしい、と知ったのは最近の事。
『婚約者同士であれば、簡単な抱擁もキスも問題ないのですよ? デリック聖騎士とマージェリー修道女の二人は慎ましく安心出来るのですけど、もう少し親密であっても問題ないのですよ?』
孤児院の院長様が私にそう仰ったのは、たまたま私が躓きそうになったところを隣にいたデリックに支えられた後の私達のやり取りを見たから、らしい。
その時のやり取りは、デリックが私の頬に軽くキスをしたことが原因だったけれど、まぁ…ジーンの前で見せてしまったようなことを展開させていたわけで、院長様はクスクスと笑ってらして、私はデリックに真っ赤になって怒った覚えがあるし、デリックは涼しい顔で素知らぬ振りをしていたけれど。
院長様からのお言葉のおかげ…というよりも、言質としてという方が正しい気もするけれど、それ以降デリックの態度はとても甘くなったし、私は居た堪れない気分になることが多くて、非常に困っているのは本当だった。だから、せめて人の目があるような場合は、やめてほしいと訴えて約束させたというのに…。
この人は、私が隙を見せれば確実に何かするし、なんだったら人目が私達から離れた瞬間何かするし、当然人がいない二人きりの状況になればもっと色々しようと画策するし。
そういうわけで、私はデリックとの距離をほどほどに、適切なものになるように、努力してるんですけどね! ですけどね、無理…となることが多くて困っているんです。
だって、だってー! 人がいても平気で腰に手を回すし、なんだったら頭にキスとか普通にするし。
前世の私がこういう時思い切り顔を出すから、気持ちの上ではちゃぶ台返しをしたくなるくらいには、居た堪れないとかイラっとするとか、色んな感情で自分でも分からなくなるくらいには、困るんですー!
なので、きっと私はデリックが今以上に私に対して甘々に接してくることになったら、逃げ出すんじゃないかと思うくらいには無理…。
こういうところで、前世日本人の控え目だったり奥ゆかしい性質だったりが顔を出すから、デリックの態度が徐々に溺愛っぽくなってきてる気がして、正直気が重いです。ええ、本当に。
マージェリーであれば、多分…大丈夫だと思う。家族からめちゃくちゃに可愛がられて育った人だから、きっと溺愛も問題なく受け入れそう。だけど、私は違うから。ごく普通の日本人の感覚だから。無理! 本当無理!
ただ…なんとなくなんだけど。デリックの実のお父様とお兄様があれから定期的に、デリックに会いに来ていて、未だに関係は…距離が遠いままなんだけど、それでも互いに会話はするから、それなりにどういう人間なのかというのは少しずつ理解している状況。で、デリック父なんだけど…私はデリック母の肖像画を見せてもらって、それを刺繍に出来ないか? と依頼をされた。どこまで出来るかは分からないけど、どうしてなのか刺繍にしてみたいと思った私は、その依頼を受けることにした。
短期間にはなるけど、肖像画もお借りすることになるから、不都合があるなら別の姿絵で、とか色々お話をして、肖像画のものがいいということだったし、こちらで肖像画の模写、そこからクロスステッチ用にデザインを起こして色を考えて、方眼紙に色を刺繍糸を並べて色指定もして、色々思考錯誤? 試行錯誤?(どっちもかしら?)しながら図案を完成させることになったんだけど、人物画を、しかもその人物の表情が分かるように刺繍をすることになったから、苦労しましたよ。正直依頼を受けなければ良かった、と思ったこともありました…。
ま、それはともかくとして。そんなデリック父のデリック母へ向ける愛情は、どの海の海溝よりも深い…と思う。非常に重い。そして、デロデロに甘い。私にはつらいくらいの溺愛なのだと知った。
だって、依頼されたデリック母の刺繍は、肖像画とは別に飾ってくださってるらしいんだけど、デリック父の部屋に飾られてるらしい。…うん、なんか…もう重いしツライ。
その溺愛はそのままデリックにも受け継がれている気がしてならない。ので、せめてデリック兄くらいは…違うといいな、と遠い目になった。まぁ、デリック母が亡くなっているから、そこは量れないところだけど。もしかしたら、デリック母のほうがよりそういう…溺愛体質かもしれないし。肯定も否定も出来ない状況だけど。
そういうわけで、私はこのまま流され続けていると、知らずデリックの溺愛を当然のように注がれ続けることになるのかも、と気付いて眩暈がしたことは…デリックには内緒にしている。
とりあえず、私は溺愛されたいわけではない。普通でいい。普通に愛されて、普通に愛して…。でもね、普通って言っても、前世日本人の感覚の普通も怪しいなって気付いた。
確か、友達の彼氏さんが溺愛する人だったなと思い出したし。私は相変わらず自分のことを思い出せないままなので、恋人がいたのかどうかもさっぱりなのがつらい。前世の自分の経験値がほぼほぼ偏り過ぎてて、他が分からない辺りが本気でツライ!
それはともかくとして。
将来的な…デリックと私の人生設計は、多分デリックにほぼ確実に溺愛されるような悪寒しかしない。本当、加減して、と…言いたい。
お願いだから、ほどほどに放置してー! と言ったら、泣かれそうなので言わないけども。
溺愛されることが嫌というのではなく、多分溺愛されることで多少の束縛があるのが予想できるから、マージェリーさんは嫌だなぁと思ってる。




