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ステラ修道院に入って十日くらいは、周囲に慣れることと合わせることで必死だった。でも、不機嫌顔のジュディが実はとても気さくで優しい女の子だって分かって、毎日が楽しくなった。
私が寝坊しないように気遣ってくれたり、不慣れな奉仕に苦戦しそうだと思えば、手を回して色々と役に立つ方法をさり気なく示してくれたりと、貴族学院にいた頃には気付けなかった人の優しさに心が洗われる思いばかりだった。マージェリーの記憶から気付いたこと。
修道院の中で、神の奉仕者として己を律することはとても必要だし、それが出来るなら誰もが立派な神の御手になれると思う。でも、人間だからそれはとーっても難しい。私に対する風当たりは、やっぱりそれなりにあったの。
マージェリーであれば、その風は酷く強くて翻弄されてしまう程のものかもしれない。でも、私にとってはそよ風だった。だって、口だけだもの。直接手を出されることは一度もなかったし。
それに、私も先輩修道女の皆様の前では、期待されているようなしおらしい態度を見せてたし。
『あなた、貴族学院で問題を起こしたのですってね。しかも卒業取消だなんて、とんだ恥さらし…。それでこの修道院に入ったとも聞いたけど、あなたのような人がこの場にいることが、すでに迷惑だとお分かりかしら?』
『…そう、ですね。お姉様方の仰る通りですわ。もう二度と社交界には戻れませんし…くすん、家にも…居場所がなくなって…しまいました。…もうカクラート神に縋るほかありませんでしたの…くすん』
『分かってらっしゃるのならいいのよ。ここで大きな顔が出来るとはお思いにならないこと、そして、目立たないようにしているのなら…わたくし達もこれ以上はあなたにツラク当たることもありませんことよ』
『お気遣いいただき、ありがとうございます…くすん。皆様、本当に…優しい方ばかりですのね…。私、以前の自分を捨てました。誰にも迷惑をかけないように……くすん、気を付けてまいりますわ』
『殊勝な心掛けね。それでは、お話は済みましたから、お戻りなさい』
『はい。お姉様方…ありがとうございます』
こんな調子で、まーったく心のこもらない言葉を先輩方にお聞かせいたしましたの。あらやだ、マージェリーの言葉使いが出ちゃったわ。コホン。
とにかく、私の評判が良くないことは分かってるし、その評判だけで私の…要するにマージェリーじゃなくて前世の記憶を持つ私という人間を見ようとする人と見るつもりもない人とがはっきり分かるようになった。
そんな中でジュディは私の評判を知ってるはずなのに、そこを全く気にしないで接してくれてる気がするの。院長もそういう方よね。副院長のお二人は、初対面で認識を改めてくださったみたい。実際に、時々すれ違うたびに、優しく御声掛けくださるから。
ジュディとの同室は、院長か副院長のどちらか、もしくはお二人でお決めになったことだと思うの。多分…だけど、ジュディは修道院に入ったばかりの人間のフォロー役なんじゃないかって思う。それが彼女の担当なのかも、と。
だって一緒に行動していて思うけど、ほとんどの修道女と挨拶をして笑顔を向けられてる。この不機嫌顔なのに。
顔のことは…どうでもいいことね。
⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑
今日は修道院に来て十一日目。ここでは十日経つとその翌日は一日休みになるそうなの。なので、私は今日はお休み。一日何をしてもいい日! あ、でも祈りの時間はちゃんと祈るけど。礼拝堂に行かなくてもいいらしいから、自分のペースで祈ることが出来る。敬虔な信者として修道士になった人達は、半日ほど祈り続けるという人もいるくらいには、祈りを大事にしてる。
祈りは、神様へのお手紙みたいなものだもの。祈る気持ち、強さがそのまま神様への気持ちと考えていいの。前世ではそういうふうに思ってた。本当に私に答えが必要なら、何かしらの方法で答えを教えてもらっていた、という感覚もあるの。
それは他の人から齎されたり、聖書や教会の発行してる本の中にあったり、いろいろなところに答えがあったと思う。この世界では、そういうのは…あるのかしら? どうなのかしら?
「今度、ビブリオマンシーしてみましょ」
ビブリオマンシーというのは、前世で聞きかじった程度だけど、聖書の任意の頁を開いて、目に留まった箇所を読み、そこから個人的な啓示を受ける、とかいうような…。定かじゃないけど。さすがに前世の知識は、ここで確かめようもなくて。
要するに本を使った占い、みたいな扱いだったと思うの。
でも、個人的なことで悩みがあると祈ってから聖書を開いて、気になったところから読み始めると、そこに悩みに対するヒントが見つかることが多かった記憶もあるし…嘘じゃない、わよ? ちょっとあやふやなだけで。
ま、気を取り直しましょ。私が出来る最善は、与えられている奉仕できる機会を逃さないこと。そして、その奉仕の一つ一つを丁寧に行うこと。それが一番大事なこと。
だって、私が貴族令嬢だという事実があったのは本当のことだし、それは簡単に言ってしまえば「面倒なこと」は全て他人任せで生きてきた、という認識を周囲に与えているってことだと思う。
まぁ前世の記憶がある私にとっては、他人任せで生きてきた記憶なんて何一つないけど。強いて言うなら母親が食事や洗濯、家の掃除をしてくれていたのはそうだと思う。でも自分の部屋は自分でしていたし、洗濯だって母親が動けない時は私もしていた…ような気がする。ううん? 洗濯機が洗濯をしていたから、違うわね。
私がしたのは洗い終わった洗濯物を干して、取り込むくらいね。確か取り込んで放っておくと、洗濯ものを畳むのが好きな姉が勝手に畳んで、各自の物をちゃんとまとめて置いていてくれてたわね。姉、便利! それはともかく。出来ることを確実に。出来ないことはなるはやで出来るようになる。今の目標はそこかしら。
そうでないと、きっと他の人達から
「ほら、やっぱりお貴族様よね、一人じゃ何も出来ないのよ」
なーんて言われちゃうのだけは、絶対に嫌。本気で嫌。だから、がんばるの。きっとイジメみたいなことは…あると思ってたほうがいい。そんな私の覚悟…って言うのかしら、とにかくそういう悪意のあるものに対しては、状況に応じて対応してくしかないかなって思ってたけど、なんというか…予想外に良い人が圧倒的に多くて、もっと言うと、私みたいに問題起こしてやって来たような元貴族の人達のほうがやっぱり悪意を持ちやすいのかもって感じだったけど、どうにも社交界を渡って行くための社交術の一つを発揮させていただけみたいで、話をしてみたら案外いい人達だったりと、予想外ばかりだった。
だからかな。副院長さまが言ってた
『この修道院は外で言われているほど厳しい場所ではありませんよ』
というのは、この事もその一つなのかもしれないと思う。
(そっかぁ、助かるぅ)
私は前世での記憶が今一番メインになってる人間だから、この世界基準だとちょっと厳しいんだもの。本当助かる。
私のお気楽修道院生活は、こうやって順調に進んでいったの。
本当順調にね、進んでいくのよ。そして、運命の出会いを果たすのも、あと少し。
そう…あと少し…。でも、あれって運命の出会いだったのかしら? そこは…よく分からないわ。