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二日間馬車に揺られながら修道院のある湖のほとりに今私はいる。
湖沼地帯らしく様々な湖が点在する土地で、木立と湖というなんとも絵になる構図や、切り立った崖の上の古城跡と湖、他にも様々な素晴らしい風景を堪能しながら、ステラ修道院に辿り着いた。
このステラ修道院はカクラート神を信仰するカクラート教の修道院。
湖にある島に建てられている修道院までは小舟に乗って移動することになる。
橋を架けるとそこから逃げ出す者がいるから、ということで舟が基本らしい。これ、舟を漕いだことがある人間は本気を出せば逃げられるんじゃ? と思ったのは私だけじゃないと思うけど…言わないのが正解。きっとそういうことは対策もされてるでしょうし。
でも、橋を架けるよりは舟のほうがお金がかからなかったのかもしれない、とかそんなこともぼんやりと思ってしまったけど、この修道院が建てられた頃の事情なんて分からないし、やっぱり口にしないほうがいい。
修道院までの道程は辺境伯家の御者と私付きの侍女が付き添ってくれた。でも、船頭以外で舟に乗るのは私と持ってきた荷物だけ。その荷物も鞄一つだけしか許されてない。だから、最低限の衣類と、どうしても手放せなかった刺繍の本を二冊、後は刺繍糸を数種類と刺繍針を少し、それからハンカチや端切れ、日記帳。
それらを鞄に詰め込んで私は舟に乗り込んだ。御者と侍女に手を振り別れを告げた。彼らは泣いていたけれど、私は笑っていた。マージェリーは人前で涙を見せる子じゃないから。
(そうなのね。卒業パーティのあの瞬間…アーヴィン様にダブルブローチのことを問い掛けられた時に、マージェリーは涙が堪えられなかったということは、相当つらかったのかしら。
気丈に振る舞うことが常のマージェリーが涙したのだものね。…がんばったのね、マージェリー。
でも、悪いことをしたのだから償っていきましょうね、私も一緒に頑張るから)
そんなことを思いながら、舟で修道院のある島の船着場に辿り着く。船頭に礼を言い、舟から降りた私を待っていたのは、酷く厳しい表情をさせた年配の修道士と修道女だった。
「マージェリー・マクニール嬢ですね。院長がお待ちです。どうぞこちらへ」
そう修道女に言われ、私は頭を下げた。
「本日より、修道女としてお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
二人は私の態度や言葉に意外だと言わんばかりの態度を見せた。内心、笑ってしまったけれど…でもそうね、きっと「傲慢な貴族令嬢が問題を起こして修道院入りする」という事実があれば彼らが警戒をしても仕方ないと思う。
今の私はマージェリーの形をした別人なのだから、仕方ないわね。暫くは偏見の目で見られるでしょうけど、そこは諦めておくわ。マージェリーだけどマージェリーではない私として動くしかないのだもの。いつか私がマージェリーと入れ替わることがあるかもしれないし。私と彼女がこの先どうなるのかは分からないけど。
でも、今はマージェリーの為にもこの場所でうまくやっていくわ。
修道士と修道女に導かれて、私は修道院の中へと入っていった。
正直な気持ちを吐露するなら、今から始まる修道院という場所での生活に、とてもワクワクしている自分を、どう抑えるかにとっても苦労しそうな気がしていること。
そして、きっと同時に精神的に苦労もしそうだなって予感があって、それにどうやって耐えるか、という問題も…実はワクワクさせてくれているということ。
あら嫌だ。私別にMってわけじゃないと思うのだけど。まぁいいわ。前向きに頑張ろうって思えるのだもの。マージェリーのこと、他人じゃないけど…もう一人の自分なんだけど、妹みたいって言うか…放っておけないの。だから、私がんばるわ。マージェリーのために。勿論自分のためにも。
本当、楽しみ。
⁑ ⁑ ⁑ ⁑ ⁑
修道院に無事辿り着き、修道士と修道女の二人に出迎えてもらって、院長室に案内してもらった私は、早速院長と対面している。
案内してくれた二人も、院長室にいる。ということは、二人はとってもとーっても立場の上の方、ということだと思う。というわけで、私は改めて室内にいる院長と、案内してくれた二人に頭を下げ、挨拶をしているところ。
「本日よりこの修道院に修道女として加わることとなりました、マージェリー・マクニールと申します。
色々不慣れですので、ご迷惑をおかけすることになるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
私が頭を上げると、院長からソファへ座るよう手で示され、ソファへ座った。その後は、院長から修道院のことを説明してもらうことになった。
「丁寧な挨拶、ありがとう。私がこのステラ修道院の院長で、カクラート教修道司祭のエイベル・リグリーです。ここは修道士、そして修道女と男女共に暮らす場所ですが、基本的に朝の祈りと食事の時以外は、同じ場所で過ごすことは一切ありません。
また各自割り当てられる居室は基本二人部屋です。一人で過ごすことも出来ないので、プライベートなどないと思ってください」
院長はずっとにこやかに笑っている人だった。穏やかな空気がとても心地よいと思えたけど、この場所でトップに立つ人だから、それだけなはずがないと思った。
修道院での一日の過ごし方を簡単に教えてもらい、後は修道女達が主にいる場所を教えてもらった。秘かに興味があったのは、修道院の食を賄っている野菜のほとんどを修道院内で育てているという部分だった。つまりは、畑があるということ。その畑でどんな野菜が育てられてるのか興味深々というわけ。
野菜園は修道士の仕事だと聞き、ちょっと残念だと思ったけど、修道女はハーブや花を育てているということを聞いて、滾ったわ。正直言うと、とーっても滾ったわね。これはもう、ハーブでポプリが作れないかしら? って。後は…野菜くずから染物用の染料を作れないかしら? とか。そういうのはただの私の欲求だから、しばらくは修道院内で真面目に奉仕をがんばって、それからの話だわ、とはやる気持ちをとりあえずは落ち着けたの。
院長からのお話が終わると、修道士と修道女が副院長だということを教えてもらった。なるほど、修道士と修道女の代表として、それぞれの副院長なのね、と。
「私は院長と同じく修道司祭のブレット・カードです。副院長です。彼女が…」
「ホリー・ミアーと言います。カード副院長と同じく私も副院長です」
「よろしくお願いいたします」
初対面では、お二人共厳しい雰囲気だったけれど、今は少しだけそれがやわらいだ気がする。ともかく、がんばりましょう、と改めて心の中で決意をしたわ。
その後はミアー副院長に連れられて、修道女達のいる場所へと移動したの。
ミアー副院長は寡黙な方のよう。でも、厳しい空気は纏ってらっしゃっても、決してそれだけの方じゃないのは感じられる。…きっと優しい方だと私は思った。どうしてなのか、こういう勘を外したことがないの。だから、副院長を頼っていいと思う。そんなことを考えていた時だった。
「マージェリー修道女、あなたはここへ来たばかりです。きっと慣れない生活で、苦労をするはずです。自分のことは自分でしなくてはいけないですし、誰にも頼れないこともあるでしょう。
けれど、それを恥だとは思わなくていい事です。誰でも初めてのことは上手くできないものですからね」
「はい」
「もし、困ったことがあったら、同室の修道女か、奉仕で同じ担当になった修道女に相談なさい。それでもどうしても難しいことや、無理だと思うことがあれば、私に相談を。
相談したからと言って、全てが叶うわけではありませんが、解決策が見つかるかもしれませんからね」
「はい!」
「…あなたは、話で聞いていた人とは少し違うようですね。まぁ、このステラ修道院は外で言われているほど厳しい場所ではありませんよ。ですが、慣れないうちは大変には違いないでしょう。
早く慣れるために、多くの修道女達と話をし、意思の疎通が取れるように努力をなさい」
「はい、分かりました」
「いい返事ですね。期待していますよ」
「がんばります」
副院長はやはり優しい方だと私は思う。気付けばこじんまりとした扉が並ぶ一角に辿り着いていた。もしやこれは、割り当てられているという修道女の居室のある場所かしら?
「ここ、“35”号室があなたの居室になります。同室はジュディ修道女です。彼女とは年齢が近いですから、気楽に過ごせるかもしれません。
後のことはジュディ修道女から聞いて、この場所に早く馴染めるよう努力してください」
「分かりました。ありがとうございます」
「それではね」
「はい!」
私は副院長を見送ってから扉を叩いたのだった。