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半グレ探偵   作者: 菊池烏有
1/1

コインのゆくえ

 東北一の歓楽街を誇る国分町。その一角にある今にも崩れ落ちそうな、おんぼろビルに居を構える探偵事務所があった。

 橘探偵事務所。ある時は猫探し、ある時は浮気調査、また、ある時は飲食店にたかる不逞の輩の追っ払いなど荒事をこなすことも多い。まあ、要するに繁華街のなんでも屋だ。

 その橘探偵事務所の主、橘烏有(たちばなうゆう)はとあることに頭を悩ませていた。

 橘探偵事務所の従業員は経営者兼探偵の烏有とたまに雑用に来てくれる、烏有の妹の橘ひなた。しめて一・五人で業務を回している零細事務所。

 全国広告をでかでかと打つ大手探偵事務所とは違う。地域密着、かゆいところに手が届くサービスが売りだ。

 それはどうでもいい。問題なのは、そう。妹兼お手伝いのひなただ。現在、女子高生にして掃除洗濯料理そつなくこなす、前時代的な表現で言えば嫁として申し分ない妹だ。

 ただし、ひなたには欠点があった。

「お兄ちゃん。コーヒー入れたわよ。うーん。いい香り」

 学校帰りの制服はお嬢様学校として名高い、絢桜(じゅんおう)高校の制服。濃緑のブレザーに大きな赤いリボンがついている。

 艷やかな黒髪は綺麗に姫カットに整えられ、兄の贔屓目なしにも世が世なら一国の姫君かと思うほど可憐で美しい。

 カタン。コーヒーがのった盆がローテーブルに置かれると、筆舌に尽くしがたい悪臭が烏有の鼻を歪めた。くさっ、と思わず喉元まで出かかった言葉を飲み下し、笑顔で妹に対峙する。

 そう。ひなたは極度の嗅覚音痴なのだ。いや、ただの嗅覚音痴なら、わざわざ下水をすくってきたような悪臭ただようコーヒーを出しはしないだろう。

 最初はなにかの手違いかと思ったから、指摘しなかった。だが、事ここに至るとこれは病的な何かではないかと思うようになった。少なくとも無垢で朗らかな笑顔からは悪意の片鱗すらも見出すことはできなかった。

「はは、今日も美味しそうなコーヒーありがとう。ひなたの作るコーヒーは美味しいからなあ。ははは」

 カップを取るとすするふりをしてからカップを置く。

「うん。やっぱり美味しいよ。さすが僕の妹だ。こんな妹に育って僕も鼻が高いよ」

 鼻が曲がるよといいたいところだった

「まあ。良かった。それじゃあ、二杯目も入れておきますね」

「いや、それはいいから他の仕事手伝ってくれないかな。事務仕事がたまっちゃってさ。税理士さんにせっつかれてるんだ」

「そうですか。残念です」

 しょんぼりしたひなたの背中は憐憫を誘うが我慢。

 一瞬の隙をつきコーヒーを全部、植木の土にぶちまける。証拠隠滅。ひなたの笑顔は今日も守られた。できる兄は辛い。

 その時、来客を告げるチャイムが鳴る。

 ひなたと顔を見わせる。

「誰だろう。お客かな」

「私が出ましょうか」

「いや、いい。お客が素行がいい人とは限らないからね」

 そうこうするうちに二度三度とチャイムが連打される。内心これはろくな客じゃないなと覚悟を決めた。

 鍵を回し、ドアを押し開くと予想通りの人が予想通りの顔で立っていた。

「警察だ。緊急査察だ。両手を上げて動くな」

 腰まで届く赤い髪をかき揚げ、眼光鋭く、警察手帳を突きつけた。

 そのいかにも警察官らしからぬ風貌の女は来栖ヒメ警部補、橘兄妹の古い知り合いだった。

 烏有は脱力してため息を漏らした。

 ――この人はいつもこうだ。悪ふざけが過ぎる。僕をおちょくる為には手段を選ばないところがある。悪い人じゃないんだけど。

「いたずらも大概にしてよ。ヒメ姐。だいたい探偵業は組対の管轄じゃないでしょ」

「警察官は常在戦場なんだよ。私がいるところが私の管轄だ」

「そんな無茶苦茶な理屈が通ったら警察もおしまいだよ」

「警察が終わるとき、それは私が死ぬときだよ」

「どんなハードボイルドだよ」

 頓狂な思考に呆れながら来栖を部屋に通した。

 来栖ヒメ。宮城県警の警察官。階級は警部補。組織犯罪対策局に席を置いている。三十路そこそこで警部補に上り詰めた組対のエースだ。

 なお年齢に触れると途端に不機嫌になり、理不尽さが増す。触らぬ神に祟りはない。

 一応名家である橘家とは昔から家ぐるみで交流がある。烏有にとっては姉貴分的な存在だ。豪放磊落、傍若無人なヒメ姐には昔から頭が上がらない。人見知りなひなたもヒメ姐にはよく懐いた。

 どっかとソファーに腰を下ろすなり、猫のように寄ってきたひなたを制し

「コーヒーは飲んできたからいらない」

 さすがに心得ているらしい。ひなたはしおれた猫のような顔で、

「そうですか。美味しいコーヒーなんですけどね」

「この次ごちそうになるよ」

 そういって来栖はひなたの頭を手荒に撫で回した。今にも喉を鳴らして、ごろにゃんと鳴きそうな満足げな顔。

「それより烏有。最近景気はどうだ。今はどこも不景気だ。お前んとこも楽じゃないだろ」

「藪から棒ですね。まあ、ぼちぼちってとこですかね。商売繁盛とは言い難いですが、食うには困りません」

 コクリと小さくうなずくと、

「なら結構。小人閑居して不善をなす、なんて昔の人はよく言ったもんだ。仕事があるうちお前も悪いことはしないだろうな」

「僕が暇になったら悪いことをするような言い草ですね。こんな善良な市民を捕まえて」

「今のお前はな」

 射抜くように目を眇めて言葉を続けた。

「木原はどうかな」

 木原トウジ。元親友。悪友。腐れ縁。そして烏有と袂を分かった男。

 目をつぶらなくても二人の思い出は本流の如く溢れてくるが、敢えてそうした思い出を記憶の奥底に抑え込む。

「トウジはあっち側の人間なんです。僕とは別の道を生きてるんですよ。僕はカタギ。トウジはヤクザ。生きる世界が違いますよ。それこそヒメ姐の領分でしょう」

 膝の上で握る拳に力が入る。

「どうだかな。木原トウジは今現在、お前とは別の道を生きている。それは事実だ。だが、お前らは未だに同じ町で生きて、同じ空気を吸っている。まったく関わりがないということもないだろう。仕事でかち合ったらどうする?」

「旧友として接するのみですね」

「お前はそんなにドライなタイプには見えないがな」

 整った顔で烏有の顔を覗き込む。瞳を通じて心の深淵まで覗くような眼光。真っ赤髪色と相まって、夕焼けに染まった赤い烏のようだ。

 烏有はそんな視線を嫌って、こちらから話を切り出した。

「それで、今日はなんのようなんです? まさか、僕とお巡りさんごっこをしにきたわけじゃないでしょう」

「せっかちな男は嫌われるぞ?」

「そういうことは恋人の一人も作ってから言ってください」

「うちのカイシャには見掛け倒しの男しかいなくてな。警察官といっても一人でヤクザと対峙できるタマを持った奴は少ない。私は弱い男には興味がないんだよ」

「モテない言い訳にしか聞こえませんけど」

「官憲侮辱罪で逮捕するぞ。ガキ」

「すいません。言葉が過ぎました。うっかり本音が出てしまいました。以後気をつけます」

「その減らず口をミシンで縫い付けておけ。次言ったら本当にブタ箱にぶち込んでやるからな」

 空気の悪さを見てとったひなたがタイミング良く割った入った。

「それより、ヒメ姐は今日は用事があって来たんでしょ」

 怒りに赤髪を逆立てた来栖はその言葉に我に帰ると、背をソファーにもたせかかると、

「そうだ。今日はお前に依頼があって来た」

「依頼? 警察が探偵に? ヒメ姐も警察官なら探偵の仕事がどういうものか知っているでしょ」

 探偵の仕事はことさら美化されがちだが、探偵なんて所詮なんでも屋の言い換えにすぎない。なぜなら探偵に警察権も何も特別な権限が付与されていないからだ。

 あまりに悪さばかりするから、警察に届け出を出させるようにしたのが実情である。

 法整備がなされた現在、法に触れずに職務を行うことすら困難を極めるのが現実だ。法律の隙間を縫って商売をしていた探偵が法律のグレーゾーンを歩かなければ商売にならないのが現代の探偵だ。

 探偵にできることなら警察なら百倍楽にできる。警察ができないことを探偵ができるとは思えない。

 思案顔で来栖の顔を見返すと、

「ちょっとワケありの案件でな。うちが直接動くとうまくないんだよ」

「警察が動くと外聞が悪いとか」

「まあ、そんなとこだ。依頼料は依頼主がたんまり払ってくれる。どうだ。乗らないか?」

「依頼者はどっかの金持ち?」

 来栖は皮肉な笑みを浮かべると、

「さて、問題です。外聞を何より気にする人種とは何者でしょうか?」

 心当たりしかない。烏有は直感した。

「政治家ですね」

「御名答」

 パチパチパチと乾いた拍手が室内に響く。

「だいたい話は読めました。政治家のドラ息子がなにか悪さでもしたんですね。それを揉み消せとか」

 ソファーに背を預けて、よりリラックスすると

「当たらずとも遠からずといったところか。ドラ息子なのは間違いないが、問題は別にある。行方不明なんだ」

「政治家の息子が行方不明? 一大事じゃないですか。どうして警察が動かないんですか? 政治絡みの事件に巻き込まれたかもしれないじゃないですか」

 来栖は勢い込む烏有を押し留める。

「そうかっかするな。こっちにも事情があるんだよ」

「政治家の息子ってのが事情でしょ」

「もっと、別の事情だよ。お前は新聞読んでないのか? 来月何がある」

 考える間もなく瞬時に脳裏に浮かんだ言葉を返した。

「衆院総選挙」

「ご名答。さすがは一応大学生。だから、今非常にセンシティブな問題なわけだ。一票が生死を分ける厳しい世界だ。さて醜聞一つで何票票が逃げるかな」

「それでも、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。人が一人いなくなってるんですよ」

「そんなこと言ってる場合なんだよ。政治の世界ではな」

 烏有は泥水を飲んだような胸糞悪い気持ちになった。父親の顔が思い浮かんだからだ。烏有の父親。それは……

「お前がそっちの世界を嫌うのはわかる。それこそカタギの世界じゃない。私も正直、政治は好きじゃない。だが、政治に首輪はめられているのが警察官なのも事実。その辺は私も折り合いつけるのは楽じゃない。だけど、それが大人ってもんだ。私はお前にも大人になって欲しいんだ」

 大人になる。

 烏有は一応探偵業で自活してはいるが、同時に大学生でもある。子供と大人の狭間。いや、子供にも大人にもなれない半端ものか。烏有は自嘲する。

「それとも、私がお前を大人にしてやろうか」

 来栖は烏有の首に腕を回すと、押しつぶされていてもわかる豊満な胸部を烏有に押し付ける。

 嘘とも本気ともわからない視線を交えたまま、唇が烏有のものに触れそうになる。

「キャーッ。何してるんですか」

 ひなたの絶叫が耳をつんざく。とてとて、駆け寄ってきて烏有の頬に一撃ビンタを放つ。

 烏有は来栖の腕から弾き飛ばされる。

――理不尽だ。なんで、僕の方を殴るんだ。

「何してるんですか。卑猥です。わいせつ罪です」

「いや、殴るならひめ姐の方を」

 来栖は飽きたのか烏有を開放すると、ドサッと捜査資料を机にぶちまけた。失踪者と思われる写真がこぼれた。金髪にピアスの女。どうやら代議士の子息のイメージに反し、遊んでいるタイプのようだった。

「これが資料だ。これだけあればお前なら探せるだろう。リミットは三日。報酬は言い値でいい。できるか? まさかノーとは言わねえよな」

 挑発するような視線。

「わかりましたよ。こちらも経営が厳しいんでね。色々気になることはありますが、その以来受けさせてもらいますよ」

「そういうと思った。じゃあ、あとはまかせた」

 席を立つと来栖は去り際に、

「そういえば烏有。たまには二人で飯なんかどうだ? 最近、ご無沙汰だろ」

「なんかヒメ姐が言うと卑猥に聞こえるんですよね。まあ、別にいいですよ。仕事上の情報交換もしたいですし」

「お前は良い男だよ。私が男にしてやっただけある」

「一方的にいじめられただけですけどね」

「すべては愛ゆえよ。じゃあ、期限だけは守れよ」

 来栖は嵐の如く去っていった。

 その赤い髪はヤクザも道を開ける、組織犯罪対策局のエース。数々の武勇伝で本部長賞を数々受賞。文武に秀でて才女。キャリアにもなれたらしいが、官僚は性に合わないとノンキャリとして現場一筋に生きている。

 豪放磊落の親分肌。その美貌に反して婚期に恵まれないのは職業だけの問題ではないだろう。部下からは姐さんと呼ばれ慕われている。

「それじゃ仕事を始めるか」


 閑静な住宅街、仙台市X町。豪奢な家が立ち並ぶ町の一角に一際大きな家がどうやら依頼者の家のようだった。張り出した庭木は綺麗に整えられていて、庭の維持だけでも相当な費用がかかりそうだ。

 ここが代議士の邸宅か。インターホンを押すと、しばらく時間を置いて応答があった。

「はい。斎藤です」

 女性のやわらかな声だった。

「こちら橘探偵事務所のものです。娘さんの件でお訪ねしました」

 一瞬の間があり、

「わかりました。今開けます」

 がたごと音を立てながら自動で門扉が開いた。

 来客室に通された。一つ一つの調度が高価だとわかる豪勢な部屋だった。代議士もここで要人と会うこともあるだろう。

 正直、烏有の趣味ではなかった。誰かの趣味に似ているからだ。

 依頼者、娘の母親が正対して座った。何かどこかぎこちなく、作り物めいた母親だった。

「わざわざ、ご足労いただきありがとうございます」

 深々と頭を下げる。

「いえいえ、探偵なんて足を使ってなんぼですから気にしないでください」

 さっそく本題に切り込んだ。

「娘が失踪したということで聞いているのですが間違いありませんね」

「はい。間違いありません。もう一週間になります」

「警察には?」

「それは……」

 眉間にシワを寄せて渋い顔をする。

「やはり、選挙絡みの関係ですか」

 いいづらそうに、

「はい。お恥ずかしい話ですが。選挙は一票が勝敗をわける厳しい世界です。どんな些細な醜聞が結果に影響するとも限らないのです」

「でも、娘さんが心配じゃないんですか?」

「それはもちろん心配です。ですが……」

 彼女の顔からは深い苦渋が読み取れた。これは母親ではなく代議士の方針なのだろう。

 代議士も選挙に落ちればただの人とはよく言ったものだ。選挙に落ちれば生活、地位、名声のすべてが崩れ落ちる。

 そう簡単に決断できないのやむを得ない。しかし……

「何か書き置きとかはなかったんですか」

「ありました。ただ、探さないでください。と一言」

「探さないでください、か。なんとでも取れますね」

「ただ、ちょっと遊び呆けてるだけだと思うんですよ。今までもなんどかこういうことありましたし」

 それはどこか自分自身に言い聞かせているような口ぶりだった。

 組んだ手が震えている。心配が漏れ出ているようだ。

「わかりました。それじゃあ、ちょっと部屋を見させてもらってもいいですか。何か手がかりが見つかるかもしれない」

「わかりました。こちらへどうぞ」

 案内された部屋、一般的なリビングほどもある広い部屋だった。シックにまとめたカラーリングと、どこか残り香を感じさせる女性らしい匂い。

 一見、家出の予兆を感じさせるものはなかった。

 勉強机は整然としていて、勉強熱心だったことが窺える。

「勉強は真面目だったようですね」

「はい。主人がそういう面は厳しかったですから。これからは女も勉強をできなきゃいかんって」

 なら、それが家出の一因としては考えられるか。

「机を開けてもいいですか?」

 一瞬の逡巡のあと

「はい。どうぞ。ただ必要以上には探らないでください」

「もちろんです」

 引き出しを上から一段一段開けていく、何の変哲もない中身だ。

 しかし、一瞬きらりと視界に光がまたたいた。机に手を突っ込み引っ張り出してみると、どうやらコインだった。

 コイン。ゲームセンター? しかし、ゲームセンターのコインにして重量感がある。

「お母様はこれに見覚えがありますか?」

 依頼者はコインを手に取り矯めつ眇めつコインを眺めるが、首を振った。

「いえ、わかりません。ゲームセンターのコインではないでしょうか」

「そうですか。ちょっとこれお借りします。何かの手がかりになるかもしれませんので」

 それから部屋を一通り見てまわったが、これといった手がかりはなかった。

 帰り際。

「何かわかりましたら、いの一番にお知らせします」

「どうかよろしくお願いします」

 深々と下げた頭は疲労の色が感じられた。


 木原トウジはいらいらしていた。

 場所はバー、ヴォルテール。トウジの率いる半グレ集団ホワイトダリアの本部だ。

 ホワイトダリアはトウジが烏有と一緒に高校時代に作った愚連隊で、当時国分町を支配していた、組を追い出し、高校生にして独自の島を築いた。烏有=黒鬼、トウジ=白鬼と恐れられ、その狼藉に手を焼いたヤクザが自ら手を引いた事実は伝説として語り継がれている。

 特に二人の頭である烏有とトウジは薬物に手を出さない、女に手を出さない、など独自のポリシーで世間にも一目置かれていた。

 しかし、その双頭体制が崩れるときがやってきた。烏有が大学に行くと言い出したのだ。

 それはトウジにとって青天の霹靂だった。

 トウジにとって、この世界こそパラダイスであり、その世界の外は未知といって良かったからだ。

トウジの再三の引き止めを振り払って出ていった烏有。

 それは愛憎相半ばする存在となっていった。

「ああ、いらいらする」

 トウジはタバコをくゆらせた。

「ヘッド。そんなにいらいらするなら、ナンパでも行きましょうよ。ヘッドと一緒なら十人二十人かんたんにつかまりますよ」

 平のメンバー良太が軽口を叩く。

「そういう気分じゃねえ。行くなら勝手に行け」

 トレードマークの白髪を掻きむしる。

 あれからホワイトダリアもかなりでかくなった。下手なヤクザが到底手出しできないくらいには。

 だが、何か足りない。肌がひりつくような渇望感。闘争本能とでも言うべき、暴力への憧憬。

 そして、何より烏有。あいつさえ居てくれれ何か違った。そう思った。

 カランカラン。ドアベルが鳴った。

 一瞬、誰かわからなかったが、そこに立っていたのは烏有だった。

「やあ。悪党の皆さん。こんにちは」

 人を食った烏有の笑顔。スーツの下に押し隠したその隠された暴力性。

「誰だおめえは。ここがどこだかわかって言ってんのか」

 新入りが烏有に詰め寄り、胸ぐらをつかむ。

 やめろ。トウジが止める間もなく、新入りの身体が宙を舞った。

 烏有得意の柔道の内股だ。烏有は打撃だけではなく、投げ技のスペシャリストでもある。

「わー。ごめん。急に胸ぐらつかむもんだから、反射的に投げちゃったよ」

 新入りは白目を向いて倒れている。

「それより、トウジ。教育がなってないよ。怪我したらどうするんだよ」

 トウジは苦笑いを浮かべ、

「お前が怪我なんかするかよ。誰かこいつの手当してやってくれ」

 下っ端が新入りソファーに運んでいった。

「烏有。それで何しに来やがった。裏切り者が」

「裏切り者ってご挨拶だな。ただ、大学進学しただけだろ。まあ、休学中だけどね」

「政治家がこんなこと言ってたな。人は三種類に分けられる。敵か味方か使用人。お前はどれだ?」

「使用人じゃないことだけは確かだね。今はしがない貧乏探偵さ」

「それでその貧乏探偵が俺に何のようだ」

「用がなくちゃ旧友に会いにきちゃ行けないってのかい」

「いけないね。裏切り者なら尚更な」

 烏有を前にすると沸き起こるこの黒い感情。いらいらするような不安感。待ち焦がれたものを前にしたときの焦燥感。そして、どす黒い憎悪。

 自分でも自分の感情が抑えられなかった。

「なんだ、ひなたがお前に会いたいって言ってたのに」

 ひなた、かつて恋情を抱いた少女。しかし、それも終わった話だ。

「どうでもいい話だ」

「うわー最低だ。ひなたに言いつけてやろう」

「そんなバカ話をしに来たわけじゃないだろう。なあ。烏有」

 紫煙を烏有に吹きかけた。

「そうなんだちょっと話を聞いてくれよ。昔のよしみでさ」

 烏有は依頼内容をトウジに打ち明けた。もちろん、守秘義務に違反しない範囲で。

「家出人か。どうせダチんちで泊まり込んでるんだろ」

「それはそうかもしれないけど、こっちも仕事だからねえ。ところでこのコインに見覚えない?」

 斎藤サクラ宅から回収してきたコインを見せる。

 トウジは矯めつ眇めつコインを見るが、

「見覚えはないな。でも、何か思い出したら連絡してやるよ。昔のよしみでな」

「さすがは親友。恩に着る」

 親友。その言葉がちくちくとトウジの心を苛むのだった。


 東北大学、部活棟。烏有は休学中だけに尋ねるのは久しぶりだった。

 倒壊寸前のその建物の一角にかまぼこ板のような板に推理小説研究会との文字。通称ミス件。

 ノックするも反応がないので、勝手に戸を引くと、女の荒ぶった声が耳朶を打った。

「役満狙いが裏目に出たか。負けだ負けだ。負けた分をつけとけ」

「そりゃないっすよ。前回の分もまだもらってないんすから」

「無い袖は触れない。名言にして至言。昔の人はよく言ったもんだ」

 ガハハ。と豪快に笑う。金髪こそこのサークルの主桜庭京子だ。年齢不詳のサークル棟主のような人だ。

「あれ、よく見れば烏有じゃねえの。久しぶりじゃねえか」

「まあ、休学中ですからね」

「家庭の事情って奴ね。わかるわかる。それでものは相談なんだけどよ」

「金は貸しませんよ」

 露骨に落胆の色を見せる。

「情報をください。内容によっては報酬を払います」

「お安い御用。情報屋にお任せあれ」

 人払いをして部室内で、対座する。奥から出てきた泥のようなコーヒーをすする。

「最近、ミステリー読んでるか?」

「話題の本格物はひと通り」

「ハードボイルドじゃないんだな」

「ハードボイルドは現実だけで十分ですよ」

「違いねえ。ミステリーはありえないからこそ面白い。現実に起こってしまったらただの悲劇だ」

 烏有は本題を切り出した。

「このコインに見覚えありませんか?」

 コインをテーブルの上に置いた。

「これがお前の仕事と関係あるのか。まあ、多分」

「心当たりはある」

「本当ですか」

身をの出して聞く。

「ああ。ただ、最近ツケがたまっててな。頭の血の巡りが悪い。ツケがなくならないと思い出せそうにない」

 わざとらしく頭を掻きむしる。

「いくら欲しいんですか」

 あきれ半分に問うと、手で数字を指ししめた。烏有は吐息を漏らす。

「いいでしょう。必要経費です」

「さすが烏有。今度から私のことをお姉ちゃんって呼んでいいぞ」

「結構です。姉貴分はもう一人いるんで。それでどんな情報なんです」

「まあ、焦るなよ。これは裏カジノのコインだ」

「裏カジノ?」

「ああ。どこだかはわからんがな。特徴がそうだ」

「ありがとうございます。参考になりました」

 素早く頭下げて席を立ち去る。

「報酬の件忘れるなよー」

 





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