ロベリアの薔薇
色とりどりの花が咲くフラワー大陸の大国であるバラ王国。
四季があるこの国は今は春であり、桜が咲いていて人々は平和な日々を過ごしていた。
そのバラ王国の城内の広場に国軍である黒い制服を着た少年が現れる。その少年は、白い髪に赤いドレスを着ている姫のようないでたちの少女を無機質な瞳で見つめていた。
少女は儚く散る桜を愛でるように見つめている。
そして、少年の唇が動く。
「……お前を殺す」
黒髪の少年は腰にあるナイフを取り出し、何の躊躇いも無く投げた。同時に姫のような少女の透き通る真紅の目は少年を見据えた。同時に、春風が地面に落ちる桜の花弁を舞い上げ、その場の時を止めた。
『……』
その桜の嵐にも動じない二人は微かに微笑む。少女は桜の木に刺さるナイフを見ると、一匹のクモがナイフの下で驚いていた。そのクモはようやくそそくさと逃げ出す。
「……」
ムッとした顔で姫は近づいてくる少年の言葉を聞いた。
「クモはバラ王国のエーステ姫に近づく権利は無い。そして、殺してもいない」
「バリス。殺していないのは評価しますが、毒グモはエステバリス王国にはいませんよ」
「毒グモでも人間の毒グモならわんさかいるだろう。だから俺は姫の護衛任務に就いている」
「この三カ月間で貴方は口が達者になりましたね。護衛任務当初の貴方とは大違いですわよ」
「人を殺めない事を強要された事で、ストレスが溜まってるんだろう。それに、俺のような暗殺を生きる仕事として来た人間に護衛などやらせる方が悪い」
「どれだけストレスが溜まろうと殺しはダメです。人を殺して得られるモノなんて有りませんからね」
「なら今日のパーティーで何も問題が起こらない事を祈るさ。何かあれば殺す者と殺さない者の区別を守れるかわからないからな」
「そう、無用な殺しはせずに諸悪の根元になる者だけを始末すればいいのです。それが今の貴方には見えているはずです」
そのエーステ姫の曇りなき瞳から目を逸らすバリスは青空を見上げて話す。
「時代を濁らせる全てを消す。それが俺の生きる目的だ」
言うなり、バリスは敬礼するとエーステ姫の前から去った。冷たい春風がエーステ姫の白い髪を揺らし、地面にいたクモは潰れて死んでいた。
※
バラ王国城内の大広間では、近隣のクローバー国貴族との舞踏会が開かれていた。クローバー国は小国家ではあるが、バラ王国領土でも最高の兵を保有している国である。
「……」
エーステ姫の護衛であるバリスは様々な貴族とダンスをする姫の護衛として警戒中だった。会場内で全ての人間の顔と動作をチェックしつつ、姫自身に変化が無いか確認する。
(変化しているのは……俺か)
ふと、この三カ月での自分の変化を感じた。
そして、それから逃れるようにこの世界の事を考えた。
フラワー大陸は10年前の国家間の領土問題から勃発した大戦以降、大きな戦争は起こってはいない。
平和な世が訪れてはいるが、それは各国が外交重視政策をしている冷戦になっているだけであった。主だって戦闘行為をしているのは王国に依頼されて他国を調査する小国家だけだ。
その為、武具を売る死の商人達は小国家に対して利益を上げ、表立って戦闘をする小国家群は大国からの金を自国に使えないまま疲弊していた。
(……そして、俺は小国家の暗殺者や工作員として最前線で戦って来た)
バリスは自分の過去を振り返っていた。
エーステ姫の護衛中は余計な事を考えないようにしているが、敵を見つけ次第始末するという感覚から抜け出せない自分の苦悩が余計な事を考えさせてしまっていた。
(この王国に来る前は任務中にこんな事を考える事は無かった。あの女に出会うまでは……)
バリスは結局、エーステ姫の事を考えている自分にイラついた。
敵意すら向けるバリスの視線に気付いているのか、クローバー国の貴族とダンスをするエーステ姫は紅い瞳で笑っていた。
複数の人間達がダンスをする大広間で、この少年と少女だけは運命の赤い糸で結びついているような繋がりを互いに感じていた。
そうこうしていると、クローバー国との舞踏会もお開きの時間となった。
クローバー国との舞踏会の公務も終わり、バリスはエーステ姫の気の向くままの散歩に同行していた。はずだったが――。
「……街へ出ていつも通り食べ歩きかと思えば、バラの儀式か。初めて会った時もバラの儀式の日だったな。それなら、街で寄り道せずにバラの泉に向かって欲しいものだ」
「街は他国から新しい物が入ってくるから行くのが楽しみなの。美味しい食べ物や服にアクセサリー。それに国民の生活を見るのも刺激になるわ」
「他国の暗殺者や工作員がいたらどうする?」
「その為に貴方がいつも周囲に目を光らせているんじゃない。私の王子様」
絡み付く蛇のような湿った声と瞳に、自分の内面を乱されたバリスは無表情のまま歩く。
(敵がいるなら動いてくれた方が楽でいい。いつまでも警戒しているのは疲れるからな。この姫と話す程ではないが)
そして、二人は儀式の森の奥にあるバラの儀式を行う泉に辿り着いた。
※
黄色い満月がバラ王国の真上の夜空で笑っている。
バラの儀式は数ヶ月に一度行うバラ王国の姫による伝統的な儀式だ。その場にはバラ国王以外の人間の立ち入る事を許されない。これは千年に及ぶほどの歴史があるバラ一族の血の儀式だからだ。その為、流石のバリスも儀式の森の奥にある無色透明の泉に向けて歩く少女に問う。
「護衛をバラの儀式に参加させていいのか? バラ国王は黙っていないぞ?」
「いいのよ。お父様は何も言わなければ気付かれる事も無い。あの人は冷戦の外交で手一杯の人だから。それに、バラの泉の中では裸になるから無防備になるし、護衛がいるなら安全は完璧でしょう?」
「あぁ、安全は完璧だ。お前が思っている以上にな」
この姫の唐突な行動に驚かされつつも、バリスは黙ってバラの儀式が終わるまで警護する事にした。千年もの歴史ある儀式に興味があるというのもある。
フラワー大陸において、バラ王国は千年王国という長きに渡って存続している唯一の国だ。その秘密の儀式がこれから始まる。泉の奥の先に見える大きな月を見上げるようにエーステは呟いた。
「これより……バラの儀式を始めます」
なんの躊躇いも無くエーステは赤いドレスを脱ぎ捨て、白い裸身を晒したまま泉に足を入れた。その姿をバリスは見つめる。
(バラ王国一族の姫だけが行うバラの儀式。これを知ればこの世界の秘密も……)
無表情でありながらも、バリスの心は高揚していた。それはエーステの裸ではなく、バラ一族の秘密という果実が目の前に差し出されているからである。ゆっくりと泉の中央に向けて歩く少女は両手を広げたまま瞳を閉じている。その泉は水深が深いはずであるが、何故かエーステは沈む事も無く、水はヘソの上あたりで止まっていた。
ゴクリ……とバリスは唾を飲む。いつの間にか、バラの泉は赤い色素に覆われ出していた。と、同時に濡れた白い肌と白色の髪が美しい姫はふと振り返る。
「……そういえば前回、バラの儀式を行う時に誰かの視線を感じたの。一体、誰でしょう……?」
「……」
その悪鬼のような真紅の瞳から目を逸らすバリスは動作で答えた。バリスの背後にある木の裏に誰かの気配がし、リボルバーを引き抜き射撃する。
「敵は小柄な男一人。武器は弓矢を所持。排除開始――」
敵の暗殺者は木々の間に隠れつつ弓矢を放つ。すでにリボルバーをホルスターにしまい、その全てを回避しつつ走るバリスは一気に間合いを詰めた。敵の武器である弓矢を破壊して蹴りを入れる。
「諦めろ。貴様は暗殺者としてここで捕まる運命にある」
「リボルバーも収めるとは本気で殺さないのか。バカな奴め。もうあの姫の命は毒矢で終わる運命だ」
「何?」
ふと、敵の小柄な男の視線を追うと上空に向けて放つ矢があった。
「チッ――」
一心不乱に駆けるバリスは泉に立つエーステを突き飛ばすように飛んだ。放たれていた毒矢が――手の甲に刺さる。自分を庇ったバリスに駆け寄るエーステは、
「バリス! 大丈夫ですか!?」
「あぁ、問題無い」
毒矢を受け、びしょ濡れになりながらも平然とした顔でバリスは立ち上がる。
「残念だったな。俺に毒は効かない」
そして、暗殺者はバリスに手足を拘束された。ツバを吐く小男は任務失敗の愚痴を言い出す。
「任務は失敗かクソめ。この任務は依頼主の提案通りやればいいだけの結構簡単な任務だと思ったんだがな。この森の警備もロクに無いからおかしいと思ったぜ。しかも護衛が毒も効かない小僧とは」
「小僧より背が低いお前に言われる筋合いは無い。依頼主のエーステ暗殺任務について話してもらおう。毒で苦しみたくなければな」
「コッチは毒に耐性は無いぜ。話してやるよ。このミニマムボーンと呼ばれたカレハ様の暗殺任務をな」
このカレハという小柄な男は暗殺任務に特化した人間だった。今回は金を渡して平民の大柄な女の胸に張り付いて、自分を女の胸と擬装しバラ王国に侵入。女には証拠隠滅の為、遅効性の毒まんじゅうを与えた後に儀式の森に侵入。その場の木で即席弓矢を作成し、先端に毒を塗ってエーステ姫の暗殺をしようとしたようだ。その他にも子供に化けるなどのレパートリーもあるようだ。そして、エーステ姫暗殺の依頼主はクローバー国――。
「……」
それを聞いたバリスは表情を変えない。
「俺はこの国全ての人間の顔と名前を覚えている。誰に化けても誤魔化しはきかないぞ」
儀式の泉からその光景を見つめるエーステは言った。
「クローバー国は十年前、バラ王国にいいように使われて滅びる寸前まで衰退したの。だからその復讐も兼ねて、たびたび暗殺者を送り込んで来るわ。決定的な証拠が出ない限り、バラ王国としてもクローバーを潰すわけにはいかないの」
「いつか起こる戦争の駒として使い捨てる為か?」
「……」
悪意も無く、エーステは純真無垢な顔で微笑んだ。
その二人の会話を遮るようにカレハは笑い出す。
「ここまで近づけば、あの素っ裸の姫もひとたまりもないねぇ! 最後に枯れるのはこのバラ王国だ!」
火薬のベストを着用していたカレハは自爆した。儀式の泉周辺は爆発の煙で満たされ、寝ていた鳥などが一斉に羽ばたいた。しばらくの静寂の後、カレハとエーステの間にいたはずのバリスは立ち尽くしていた。全身の土汚れをはたきもせずにじっ……とただ一点を見据えている。
目の前の地面は巨大な悪魔の手に穿たれたような大きな跡がある――。
そして、その地面から伸びる血の跡は儀式の泉へと伸びていた。
(あの……女……)
背後の泉にいる白髪の裸の少女を見て、溜息をつく。
「無傷……だな。俺もお前も。そろそろ答えてくれよ。バラ国民ではない俺を護衛にした本当の理由を」
「えぇ。何故貴方が私の護衛にスカウトされたかの疑問に答えてあげる」
「聞かせてもらおう」
そして、水面の水の下を見据えたエーステは鏡に写る自分を見るように話し出す。
「……フラワー大陸において最高の暗殺者だからよ。暗殺者としても工作員としても貴方の腕はトップクラス。貴方のおかげで滅んだ小国家も無数にある。与えられた任務なら赤子だろうが育ての親だろうが、恩人知人、雇い主も、誰であろうが殺す貴方を気に入ったから護衛にしたの。任務なら私の事も殺せるわよね? 平和な世界を作る為に」
「時代が濁るような存在は消す。誰であろうとな」
すると、バリスは腰のリボルバーを引き抜いて構える。手を広げ撃てと命令するような格好のエーステは動じる様子は無い。じわぁ……とエーステのいる儀式の泉はその赤さを更に絞り出すように濃くしていた。その不快な血の匂いに眉を潜めつつバリスは、
「……たとえ川の流れは清らかでも、それが溜まれば淀みが出来る。お前という存在がいるこのバラ王国がそうだ。貴様等バラ一族が千年もの間、繁栄を続けた理由を知る為に警護をしているのもある。調べた結果、バラ一族の女には途方もない何かがあるとわかった。この国は女に対して他国より手厚い国だからな。その何かとはバラ儀式を見ればわかると思った。前回は失敗したが、今回は特等席で見れる。何せ特等席をわざわざ用意してくれたんだからな」
「素晴らしいわ……貴方はやはりバラを散らす存在になり得る。昔から依頼主をも始末する行動と意志の強さは別格ね」
「そこまで調べ上げての雇用か。途中で依頼主に疑問を持てば、平和の為に相手だけでは無く、依頼主をも殺す事はある。そして今起きた事件の本当の依頼主はーー」
瞬間――儀式の泉が沸騰するように動く。エーステは何も動いておらず、ただ泉だけがマグマのように沸騰している。赤く、紅い水の下で何か生命が躍動してるような感覚を覚えつつもバリスは答えを出す。
「お前だ」
「その根拠は?」
「クローバー国は確かにバラ王国に恨み辛みはあるだろうが、エーステ姫暗殺計画を立てるほど余裕は無い。何故ならあの国はバラ王国に依存した国だからだ。今までもこれからも、クローバーはバラ王国にコントロールされて行くだろう。この国の濁りが消えない限りな。そして濁りが消える前にここで死ぬのは俺かお前か?」
「貴方は死なないわ。私を殺すまで」
頭上の満月も真っ赤に染まり出し、儀式の泉は異空間のような感覚さえ与える。冷や汗が流れつつもバリスはリボルバーの銃口をエーステに定めたままだ。その悪魔の少女は白い髪をなびかせて言った。
「私は醜いでしょう……?」
処女膜を破った時のような真紅の水を浴びる少女の白い肌と声にバリスは戦慄する。儀式の泉の奥底で何かが蠢いているのをひしひしと感じた。
(バラの儀式は人間を生贄にする儀式。おそらくこの女は人間を……)
その悪魔のような笑みの少女に向かって言う。
「お前は醜い。だから俺がお前を殺してやる」
リボルバーの引き金は引かれ、エーステに向けて放たれた。その弾丸はエーステの胸元を貫き、威力を失ってゆっくりと水の中に沈む。全身から血の汗を流すようなエーステは水面で揺れる自分の姿を見てから、ゆっくりと咀嚼するように自分をいずれ殺す少年を見る。
こうして、バリスのエーステ姫暗殺任務は幕を開けた。




