僕の話またはフィクション
主観は主観であって客観になることはない。
複眼的視野を持つ事は出来ても、自身を全方位から見渡し、分析する事は出来ない。
だから、事実は必ずプラスマイナスの増減があって、0のまま、ありのまま、語る事は出来ない。
故に、これはフィクションである。
事実を目指す嘘である。
これからする話しは上記を定義として、語らして頂くこととする。
これは僕の話し。
僕のくだらない糞みたいな人生の、意味の無い話し。
無味無臭ならマシだけれど不味いし臭いから“たち”が悪い。
救いもなく、完結もない僕の話し。
小、中、高、は省略し、その後の僕の人生を勝手にダラダラと語ろう。
――人を救いたいと志を抱き、僕は医療関係の学校へと進んだ。
そして二年でやめた。
その間、授業には二、三回しか出席していない。
家にもほとんど帰っていない。
そこで出会った年上の男性と、寝食をほとんど共にしていた。
その男性の家で過ごし、
その男性の金で遊ぶ。
その男性は片目を事故で失っていて義眼だった(だけど、パッと見は全然わからなくてイケメンだけど)
人生を斜めに生きていた。
自由に遊び、
自由に叫び、
自由に叱り、
自由に射精し、
自由に眠る。
その強烈な生き方に惹かれて、僕はずっと一緒にいた。
その男性は来るもの拒まず、去るもの追わずだったので、ずっと一緒に居ても何も言われなかった(ただ、その男性が彼女を抱く時だけ別々だった)
2人で(時には数人で)
飲んで、スロットして、ナンパして、飲んで、寝て、スロットして、ナンパして、車を乗り回して、飲んで、吸って、やって、飲んだ。
すべて、その男性の金で、だけれど。
――そんな生活を二年続けて、僕は学校を辞めた。
一年目は留年し、二年目も同じだ。
辞める事に抵抗は無かった。
でも辞めて気付いた。
僕は、僕で、あの男性は、僕ではない。
僕の人生ではない。
そして僕は男性の家に行くのをやめて、
家族を無理矢理説得して、半ば逃げるように県外へと飛び出した。
金なんてもちろんなくて、住む場所もなかった。
その時の彼女(現妻)の1人暮らしのアパートで同棲をはじめて――
なんだかんだで今に至る。
正社員としてある企業で働き、結婚して、子供も出来た。
そして――
あの男性とはその後一度も会っていない。
――で、今までの話しはただの説明。
本題はこれから。
愛する妻がいて
可愛い子供が出来て
いつも笑いが絶えない家庭がある“今”と自堕落に過ごした“あの頃”は、
どちらが“底”だったのか?
僕の結論は
いつだって、いつも、現在が、底辺だ。