073
「あぁ……あっ……」
物凄い威圧感だ。あのヴィクセンが完全に蛇に睨まれた蛙だ。目の動きは拘束され、身体は震えるばかり。
俺の二回り程大きな身体は、ヴィクセンを包む影を生み、黄金の瞳はその姿を離さない。
「久しぶりだな、ヴィクセン」
「お……おっ……」
「聞こえぬな」
「お、お久しぶりでございます。ま、魔王サクセス様……!」
充満する魔力だけでわかる。格上も格上。今のサクセスを前にしては、誰も勝つ事はできないだろう。
「随分と高いところに目があるではないか? ヴィクセン」
「こ、これは失礼を……!」
ひれ伏したヴィクセンは、歯をガチガチと鳴らし、噴き出る脂汗に顔を滲ませている。
どれだけの戦力かわからない程の高濃度の魔力。こりゃ、今の勇者じゃ絶対に勝てないだろうな。
「ふん、あれだけ遠方に思念を飛ばし続けていれば魔力も強くなるか……予想以上だな」
なるほど。サクセスと一緒にいた期間、サクセスはずっと俺と行動を共にしていた。
この膨大な魔力は、その長期間維持による副産物か。まぁ、サクセスの場合、元々凄いんだろうけどな。
「さて」
ようやく俺を見たサクセス。
「なるほど、そのような顔をしていたのか、ディルア」
「それはこっちの台詞だ。そんな厳ついオッサン、アルム国中の冒険者ギルド探したっていねぇよ」
「あ、貴方っ! 魔王様に向かって不敬よっ!」
俺はかつてこれ程見事な手の平返しを見た事がない。
「貴様は黙っていろ」
「ひぃっ……」
当然、それをサクセスが見逃すはずもない。
「立て」
と言って魔王が手を貸してくれる訳でもない。だが、不思議とその言葉にはそんな力があるように感じた。これは、ここまでサクセスと共に幾度も立ち上がってきたからだろう。
「は、はは……フラフラだ……っ!」
「貴様も立て」
「は、はひっ!」
はて、俺とヴィクセンを立たせて何をする気だろう、サクセスは?
「ディルア、構えろ」
「あん?」
「我が最初に授けた極意だ。忘れたとは言わせぬ」
鋭い視線を向け、サクセスが言った。初めて授けた極意? はて、アレの事だろうか?
「的は……アレだ」
サクセスは真顔でヴィクセンを見やる。
するとヴィクセンは身体を硬直させ、恐怖と驚きで目を丸くさせる。
「ヴィクセン」
「は、はひっ!」
「これから貴様に罰を与える。何、今のこやつの魔力を全て使い切ったとて、死ぬほどではない。だが、避ける事だけは許さぬ。もし避けたら……」
「よ、避けたら……!」
「罰では済まさぬ」
心臓を鷲掴むかのような刺すようね目に、ヴィクセンは固唾を呑んだ。
恐ろしい。正に魔王だ。これは普通にやられるより恐ろしいだろう。文字通り、死ぬような一撃をかわしてはいけないのだ。もしかわせば、魔王がナニカをするらしい。そのナニカが何なのか、俺は絶対に知りたくない。
「くぅ……お、美味しいところをくれるってか?」
「ぬかせ、これは人間の手でやった方がいいのだ」
「はははは……自称魔王が何か言ってら」
「……やれ」
恐怖に怯えたヴィクセンが、震えながら俺を見る。その目はまるで命乞いをしているように見えた。
最初に撃ったのは、確かムシュフシュと戦った時だろうか。
あの時は大変だったな。それも、今回程じゃないけどな。
あれからどれだけの冒険をしただろう。どんなに無茶をしても、どんなに楽しくても、いつも近くにコイツがいた。生意気で、頼りになる魔王様。
そんな事を思い出しながらスリングショットの持ち手に力を入れると、心なしか、サクセスが笑ったように見えた。もしかしたらサクセスも俺と同じ過去を思い出していたのかもしれない。
「……深淵より出でし真紅の業の塊よ」
それも……これで終わりか。
「全てを屠る憎悪と成りて彼の者に虚無の裁きを与えん!」
これから先は俺じゃなく、サクセスの仕事。
「深淵の血塊!!」
もしかしたら、俺はこの後殺されてしまうのかもしれない。
そう思いながら、俺は砲台から手を放つ。
――――そう、心にもない事を思いながら。
「い、嫌っ!! 嫌ぁぁあああああああああああああああああああああああっ!!」
ゴチュという耳当たりのよろしくない音を俺の耳に残し、ヴィクセンは気持ち悪い程身体を捻らせながら壁にめり込んでいく。溶けていなかった金銀財宝が舞い上がり、無数の金属音が広間に響く。
「ふん、やはり死なぬか。本来であれば弾け飛ぶのだが、残念だ」
本当に残念そうな顔を浮かべ、サクセスが嘆く。
術者の全ての魔力を使って放つ深淵の血塊。それは、どれだけ魔力があろうが、使い切ってしまうサクセスの極意だ。当然、俺の魔力もなくなってしまった。
事切れたように自分の身体を支え切れなくなった俺の脚は、その場に崩れ、上体は大地に向かう。
「ふんっ」
そんな俺の身体を支えたのは、果たして誰なのだろうか。
おかしなものだ。ここには俺と、世界が恐れる――初代魔王しかいないのに……。
本当に、おかしなものだ。




