072
「それで、何がいいって言ったかしら?」
「あれ、お前の財宝だろう? 溶かしてよかったのか?」
「ご心配どうも。でもあの程度の財宝、これから私にいくらでも届くからいいのよ」
くすりと笑みを浮かべ、自身の爪を見るヴィクセン。
こんな戦闘中に目をやるくらいだ。とことん自分が好きみたいだな。
「貴方、本当に私を殺す気があって? 殺気が伝ってこないのだけれど?」
「よく言うぜ。こっちに全然攻撃させてくれないじゃねぇか」
「うふふふふ、もっと褒めてくれてもいいのよ?」
駄目だ。話に付き合ってるだけで疲れてくる。これも奴の作戦なのだろうか。
それにしてもこいつ、本当に厄介だ。既に闇魔法、水魔法、火魔法と、三属性の魔法を使っている。
吸血鬼に加え、魔法士ってのも頷ける。ならこっちは――、
「あら、今度は剣? 素敵よ。是非カッコいいところ見せてちょうだい」
「はぁっ!」
「凄い。いいわね。あん。素敵」
「力が抜けるような事言ってんじゃねぇ! くっ! うらぁっ!」
ことごとくかわされる俺の剣。それも、徐々に速くなっている。おかしい、勇者戦で結構掴んだと思ったんだが、どうなってる? いや、俺が遅くなっているのか?
「うふふふ、元気ねぇ。まだ頑張れるの?」
――まだ? おかしい。幾多の攻防を繰り返したとはいえ、戦闘はまだ序盤では?
「っ!」
剣を振り上げた時、身体が反った影響で肩の傷口が痛む。咄嗟に傷口を押さえると、ヴィクセンは後方へ跳び退いた。何だ、一体何故下がった? 攻撃を止めた今がチャンスだったんじゃないのか?
「く……ぁ、あれ?」
何だ、頭がボーっとする。考えも上手く――っ! 踏ん張って身体を支える。何だ、一体何が起きてる?
「く……い、一体何をしたっ」
「うふふふふ……」
妖しい微笑を浮かべ、ヴィクセンが舌なめずりをする。朧げに揺れる視界。だが、その中で見えた紅い何か。あれは……血? 何故ヴィクセンの口の端に血が? まだまともなダメージを――いや?
そうか、ヴィクセンは吸血鬼……! そして魔法士!
「くっ!」
身体に精一杯力を込め、俺は後方に跳んでヴィクセンと更に距離をとった。そしてこの隙に肩の傷に回復魔法を発動したのだ。するとヴィクセンが目を伏せた後、肩を竦めた。
「バレちゃったわね」
ヴィクセンは魔法士だ。三属性の魔法を使っていた。だが、三属性で驚くのではなく、三属性だけで驚いていてはいけなかった。どうして考えなかった。更なる属性の魔法を使える事を。
そしてヴィクセンは――、
「吸血鬼……!」
「どうせサクセスに聞いて知っていたのでしょう? 美味しかったわ……ふふ」
そう、ヴィクセンは俺の血を吸っていた。肩の傷口から。どうやって? 簡単だ。俺の肩から流れる血を風魔法で口に運んだのだ。おそらく目に見えない程の微量な血を少しずつ……!
俺は頭を抱えながら、フラフラの身体を支える。
「だから最初の提案に乗っておけばよかったのに」
「う、うるせぇ……!」
「もう貴方に勝ち目はないわ。諦めなさい。あ、そうそう。私の奴隷となるのなら助けてあげるけど?」
「お断りだね! くぅっ……!」
ついに膝を突いた俺に、ヴィクセンは嫌味な笑いを浮かべ、そして噴き出した。
「うふふふふ、ふふ、あはははは……アハハハハハハッ! 勝負はついたようね!」
俺は朦朧とする頭を振るも、それが回復する事はない。目に映る広間の真っ赤な絨毯。そして、目の端に映る穴下の水晶体。
サクセス……! ……いや、待て。ここからなら……だがこれは賭け。ヴィクセンがそう動くとも限らない。だけど、やるしかない。……もう少し左だ。くそ、騙せ。俺の狙いを騙すんだ。相手に戦意がない事を伝え、見せるんだ。
「はぁ……はぁ……っ! はぁ……」
「あらあら、赤ちゃんみたいにハイハイしちゃって? 可愛いじゃない」
黄色くうざったい声が耳に響く。もう少し、もう少しだ。
「アイスニードル」
「ッ!? ぐぁあああっ!」
「大変ねぇ。足が穴だらけ」
「くっそ……んんんんっ! ふっ……!」
「虫みたいに這いつくばって……でもまぁ、貴方にはそれがお似合いなのかもね」
「あと……」
「あと――何?」
「あと……少しっ!」
「なっ!?」
俺は目的の場所まで移動を終えた瞬間、スリングショットをヴィクセンに向けた。
「何? 起死回生の一打じゃなかったの? 盛り下げてくれるわね」
最後の最後まで気付かれちゃいけない。ギリギリまでヴィクセンを狙うんだ。
「まっ、最後のあがきというところかしら。いいわ。その後しっかり殺してあげる……!」
智将ヴィクセン唯一の油断。それは、ここにいるのは俺と、お前だけではないという事!
スリングショットの砲台の狙いをヴィクセンからずらす。
「な、何をっ!?」
「ここからなら……ギリギリ射線が通ってるんだよ!」
「や、やめ――――!」
「――――起きろ馬鹿野郎ぉおおおおっ!!」
そう、これは賭けだった。
最大火力の魔弾は的確に対象を射抜き、地下から甲高くそして神秘的な音が聞こえた。
直後、地下と繋がる穴から神々しい光が漏れ、そしてそれを闇が覆う。渦状の闇は一階の広間すらも埋め尽くし、魔王城を揺らした。
「し、しまったっ……!」
震える声で言ったヴィクセン。
瞬間、一階広間の床は、地下に吸い込まれるように落ちていく。砂と化した床がクッションとなるも、俺の身体は動かず、その場で闇が踊るのを眺める事しかできなかった。
「はは……ははは……」
今まで、これ程までの魔力を感じた事はない。これだけの魔力があって勇者とヴィクセンに負けた?
俄かに信じられない話だ。空気が揺れ、魔王城が揺れ、大地が揺れ――そして、ヴィクセンが震える。
やがて、地下から一階まで吹き抜けになった広間は、光を見せる。外からの陽光が入るかのように。
「――何を笑っている?」
どこかで――いや、いつも聞いていた声だった。
口煩くて、生意気で、傲慢で、ドジで、思慮深く、間抜けで、冷静で、馬鹿で、しっかりしていて、細かくて、大胆で、それでいて面倒見がいい、パーティメンバーの司令塔で、最高の相棒で――そんな、ふざけたヤツの声が、俺の耳に届いた。
「吸血鬼と知っていて相手に血を抜かれるなぞ、馬鹿にしかできぬな」
「う、うるせぇ……その馬鹿に助けられたのは、どこの馬鹿だ……」
闇は、広間の中央に収束し、消えていく。全てを吸収するかのように。
「ふむ、それもそうか」
やっぱりコイツ馬鹿だ。魔王なのに自分の事を馬鹿って認めたぞ。
闇が全て消え、一階からの光が、その馬鹿野郎を照らす。
朧げに見える馬鹿の姿は、闇のオーラを纏っていた。顔は浅黒く、威厳漂う彫の深い縦顔。
黒銀の髪が揺れ、闇のオーラは衣に姿を変える。
男が背中で翻すのは見覚えのある――マント。




