051
昼過ぎ。
俺は何もない真っ暗な空間で目を覚ました。
「あれ、何も見えないぞ?」
『忘れたのか? 寝る場所がないからと言って、上級闇魔法のホームボックスを使い、その中に入ったのであろう?』
「そうだった。完全に忘れてたわ……」
上級闇魔法、《ホームボックス》。道具をしまう《ボックス》とは違い、ホーム――つまり一つの部屋程の容量が入る闇の部屋。寝るだけならば、と、昨晩はこの中で我慢したのだ。いくらパーティメンバーとはいえ、彼女たちの荷物から部屋の鍵をとり、その部屋で寝るという選択肢は俺にはとれなかったからだ。
「えーっと……ホームボックス!」
魔力を込め、闇の扉を開けた俺。扉から光が入り、俺はのそっと自室へ出た。
「あーディルアー、おはよ~」
まだ起きて間もない、眠い時のクーのそんな声。俺はその声を頼りに振り返る。
「おはようクー。よく眠れ――――」
瞬間、時間が止まったかのように思われた。
『どうした、ディルア? 心音が尋常ではないぞ?』
視界に映る健康的な肌。俺の視界を捉えて放さない豊かな膨らみ。抱き心地のよさそうなくびれ。そしてその先には――――っ!
俺は、絶賛お着替え中のクーさんを見てはいけないと思い、咄嗟にサクセスを掴み、魔王に前衛を任せて壁としたのだ。
「おー? どうしたのディルア?」
そう、クーはそういった羞恥心はない。だが、問題なのはそこじゃない。そこじゃないのだ。クーが着替え中という事は、という事は――他の三人もそうなのではないかっ!?
『クー、何かあったのー?』
部屋の奥から聞こえるティミーの声。そして、その足音が近づいていた。
それは、まるで俺の余命のような微かな音だった。だが、俺にはまだ逃げ道がある。やりたくはないがな。ここはアルムの都でも有名な宿。美人が多いパーティだから俺がわざわざ気を利かせてとったお高めな宿。そしてこの部屋は四階にあり、眺めも中々に良い。
何が言いたいか。それを考えている暇はなかった。実力をつけただけにわかってしまう。ティミーがこちらにやってくるまでの時間、距離。それがわかるからこそ、考える暇はなかったのだ。
『逝け、骨は拾ってやろう』
どこかの魔王はようやく俺の状況を理解したようだ。そして俺の心も。
『うぉおおおおおおおおっ!!』
豪快に飛び込んだ部屋の――窓。
甲高い音を発して割れる窓ガラス。
そして落ちる……俺の身体。
『生き残ってみせよ』
とかカッコイイ事ぬかした魔王は後で洗濯の刑だ。俺って優しい。って、そんな場合じゃない!
「ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
落ちてる途中、ディープルウィンドを使って滑空するように移動すればよかったと気付いたが、すでに遅かった。幸い下に人はいなかった。しかし、俺の身体が助かるという理由にはならない。俺は着地と同時に、真横に向かって風魔法の圧力を放った。そして徐々に衝撃を地面に逃がし、大地に転がった。ほんのりと残る手の平の熱。多少擦り剥いてしまったようだが、何とか助かったようだ。
『ディルア』
『な、なんだよ!』
『我を盾にすれば無傷だったな』
『っ!? ちょ、てめぇわざと助けなかったなっ!?』
『ふん、そういった瞬間的な状況判断ができるようになるのもお主の仕事だ。それに、助かる術は他にもあった。その実力があるのにそれをしなかったのはディルア、お主の怠慢よ』
くそ、尤も過ぎて言い返せない!
「おのれ大魔王め。いつか絶対に滅ぼしてやる……!」
『では、それを待つとしよう。気長にな……くくくくくっ』
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あの時の言葉は、サクセスの自分への絶対的な信頼からきていたのだろう。
断じて、俺にそんな力がある訳ではない。
それにしても、今はまだ長い長い冒険の途中だが、このまま上手く勇者やヴィクセン――今の魔王軍を倒したら、俺はどうするのだろう。
俺たちの冒険の成就。それはサクセスを助ける事にある。しかし、助けたところで、ヴィクセンが今座っている椅子にサクセスが座るだけなのではないか。そうなったら、俺は、サクセスはどうするのだろう。俺だけじゃない。ティミーたちも気付いているはず。しかし、今は考えられないというジレンマもある。魔王の左腕と呼ばれたヴィクセンを倒せないようでは、本当の魔王のサクセスに、敵うはずなどないのだから……。
「ご請求金額です」
「ぐぅ……!」
宿の窓を破ったせいで、思わぬ出費となったが、最悪の事態は防げた。
……まぁ、最小の事態はどうしても起こってしまうんだけどな。
「それでも、クーの裸見ちゃったんでしょっ? めーだよ! めっ!」
ティミーに軽い説教を受けている俺。何故怒られるのか。当然、クーの裸を見てしまったからだ。最悪の事態を防ぐため、窓から飛び降りた事に関しては、ティミーも、呆れつつも感心してくれた。しかし、気付いているだろうか。俺は、俺の部屋に入っただけなのだと。いや、ティミーもその負い目があるからこそ、これくらいで許してくれているのだ。
「でも、私たちがディルアの部屋で寝ちゃったのも悪かったね」
ほら、謝った。ティミーは分別ができる子なのだ。可愛いのだ。
「クー! ディルアに何もされなかった!? 無事!? 大変! クーのミスリルの鎧に罅が!?」
ほら、煽った。キャロは分別こそできるものの、俺の心をかき乱す天才だ。可愛くないのだ。
大体、あの短時間でどうやったらクーに何かできるのか。
「坊や、何だったらアタシの腕枕を使えばよかったんだよ。そしたら、こんな事にはならなかったんじゃないかい?」
「うぇっ?」
リエルの腕枕か。ふむ、身長こそ俺と余り変わらない分、悪くないかもしれない。
「あー、ディルア! 鼻の下伸びてるー!」
「の、伸びてないって!」
「だっていつもと顔違ったー!」
ティミーはそんなにいつも俺の顔を見ているのだろうか。
しかし、このリエルのあの細腕に、どうしてあんなに力があるのだろうか。鍛錬と、冒険者に与えられる神の力だという事はわかるが、イマイチ理解が追いつかないな。
「はぁ、何にせよ……悪かったな、クー」
俺はクーの頭を撫で、そして謝る。いくらパーティメンバーだといっても、そこをなあなあにしてはいけないだろう。「お~? ディルアわるくないよ?」とクーが言うと、ティミーとリエルが苦笑した。キャロは苦笑してくれなかった。おのれ。
一旦、ティミー、キャロ、リエルと別れ、俺とクーは武具店へ向かっていた。
ボロボロのミスリルの全身甲冑を闇魔法のボックス内にしまい、武具店のある商業区に向かう。
クーは、久々に鎧を脱いで町を歩ける事が相当嬉しいようで、走ったり跳び跳ねたりしている。当然、耳を隠すための頭巾だけは被っている。尻尾は長めのパンツを穿いて隠している。クーが自由にできれば一番いいのだが、それはやはりまだまだできないのだ。
人間と魔族で分けるのではなく、善人と悪人で分けられる世界がくれば、一番いいんだよな。
「壊れたぁ!? ミスリルの全身甲冑がぁ!?」
あんぐりと口を開けた武具店のモヒカン頭の職人。そう、ラウドの町にいたあの店主だ。
「悪いダインさん! ちょっと無茶し過ぎちゃってさ。新しいの、今すぐ何とかならないっ?」
このダイン、ラウドの町にこそいたが、元々アルムの都の出身らしいのだ。自分の余生をのんびり過ごし、尚且つ楽しみながら生きたいという事で、ラウドの町の支店に行っていたそうだ。ここは、その本店。俺たちがアルムの都でお世話になっている《フェアライン》という武具店だ。ダインが何故アルムの都に戻ってきたかというと、腕のいい職人が減ってきたからだそうだ。店舗の販売員が職人でないと言うと失礼になるかもしれないが、それは教えればある程度誰でもできる。しかし、鍛冶職人ともなれば、その錬度がどうしても問われてしまう。だからこそダインが呼び戻されたのだ。因みにここで作られた武具の余りが、ラウドの町に送られている。ラウドの町には、アルムから大転移装置を使い、ストロボに飛んだ後、陸路で輸送されているそうだ。
「ん~、とりあえず具合見てやるから壊れたやつ見せな」
「ボックス! ……こ、これです」
ダインは、ボックスの魔法に驚いていたが、全身甲冑の損傷度の方が驚いていた。
「……駄目だな。溶かして型に流し込んでも粗悪品ができるだけだ」
ダインは愛用のルーペを通して複数の箇所を見ている。それに釣られて他の職人たちも見にくる。
「すっげぇな。ミスリルの全身甲冑がそこまでなったの見た事ないよ」
「どう見ても買い替えだなぁ。……でもなぁ」
ダインの隣に立っていた職人が困った顔を見せる。
「どうかしたの?」
「肝心のミスリルが品薄でな。アイン合金の全身甲冑ならあるけど……」
『ほぉ?』
突然サクセスが反応した。何か気になる事でもあったんだろうか。
「ミスリルっていったらここら辺で一番使われてる金属だろ? 一体何が原因なんだ、ダインさん?」
「サッパリだ。鉱山と連絡がとれねぇからな。さっきウチの若いもんがギルドに行ったくらいだ」
ダインは肩をすくめて言った。
「と、とりあえずアイン合金の全身甲冑にするか、クー」
「うん!」
クーの防御力が心配になるが、昨日依頼を浚えたおかげで、今日はそんなに戦闘も多くはないだろう。二人目の前衛、リエルもいる事だし、何とかなるとは思う。
アイン合金の全身甲冑をクー用に調整した後、俺とクーは待ち合わせ場所の冒険者ギルドに向かった。その途中――、
『気になるのか?』
『そうだ。ミスリルの不足。これ即ち冒険者の生命線が脅かされているという事だからな』
冒険者の生命線……サクセスは何が言いたい? 脅かされている? 誰に? それってつまり――、
『って事は鉱山を魔王軍がっ?』
『そう判断するのは早計ではあるが、可能性は高い』
『でも、ここら辺の魔物は粗方片付けただろう? 数が増えるにしても、各ダンジョンから湧いて、一斉に向かわないと、鉱山なんて要所、中々落とせないと思うぞ?』
すると、サクセスは少し呆れた様子で言った。
『何だ、忘れてしまったのか?』
『何をだよ?』
『リンダ村を襲った奴の事を』
『勇者だろ? 忘れる訳……って――いや、待て』
『左様、勇者は駐在所の冒険者を始末しただけ。それ以外の蹂躙は……何の群れだったか』
そうか、ゴブリンの群れ!
そう言われてみれば、これまでリンダ村を襲ったゴブリンの群れを退治したとか発見したって話は聞いていない。ゴブリンならそのまま散り散りになるとも思ったが、ヴィクセンが操る勇者が指揮したのであれば、次の行動をとって然るべきだ。
『おい、気付いてたのかよ?』
『群れの行く先は気になっていた。しかし、我らの行動は全て後手に回るのだ。ヴィクセンが次に何を仕掛けるのかなどわかる訳がない。だが、その行く先さえわかってしまえば……』
『次は俺たちが先手に回れる、か!』
俺は、新品の全身甲冑を撫でながら歩いているクーの手を取り叫ぶ。
「クー! ギルドに急ぐぞ!」
「はーい!」




