022
『人狼? それって魔族じゃないのか?』
『嘆きの森とすら呼ばれる土地なのだ。魔族くらいいるだろう』
『いや、そういう問題じゃ――』
『――ふん、助けてもらったのだ。礼は伝えて然るべきだぞ』
むぅ、魔王のくせにこういう時だけまともな事いいやがって……。
俺は人狼の後を追うように走り始めた。相手が人狼でも、今の俺の速度なら追えない速度ではないはずだ。
「ふっ!」
『ふむ、中々よい速度だ……』
確かにブロンズランクになってから最高速度を出すのは初めてだしな。先程の戦闘でも驚いたが、これが神の恩恵か。
……神の恩恵と魔王の恩恵の両方を受けている俺は、もしかして相当恵まれているのではないだろうか?
そんな事を考えながら走っていると、すぐに踏み均された獣道へと出た。
なるほど、俺が進もうとしていた川沿いだ。やはり人狼はこの嘆きの森に棲んでいるって事か。
獣道に出て数分。正面に見えたのは――――人一人が住めそうな小屋だった。
「昨今の人狼は小屋を建てるのかね……はは」
『魔物に知性はほとんどないが、魔族にはある。快適な生活を求める知恵と欲望くらいどんな魔族にもあろう』
『仰る通りで……』
待てよ? 何か嫌な予感がするのは俺だけか?
そもそも俺がここに来た理由は何だった?
……ダメだ。嫌な予感しかしない。寧ろサクセスの当ての話を聞いた時点でもっと疑ってかかるべきだった。もしかしてもしかするのか? ……やっぱり?
『ふむ、懐かしい魔力を感じる。ふふふ、感じるぞ。我が右腕の残り香を……』
マントなのに嗅覚があるのだろうか?
いや、何にせよ、嫌な予感にまっしぐらな感じはもう拭えないのだろう。
『ふっ…………カァッ!』
脳内で何を喚いたのかと一瞬サクセスの正気を疑った俺だったが、その意味を知ったのは直後の事だった。
俺から――――いや、俺じゃない。サクセスから漏れ出るとてつもない魔力。
周りに感じていた魔力が、サクセスの魔力でかき消されてしまったかと思う程だ。
「ひっ……!」
そんな魔力に押されるように小屋の中から漏れ出た小さな悲鳴。
……ん? この声は?
『出て来るのだ。そこにいる者よ……!』
サクセスの言葉は俺にしか届かないはず。これはもしかして……魔力に意思を込めているのか?
心無しか、魔力の波動が渦を巻いて俺の方へ向かって来ている気がする。こんな事も出来るのか…………。
いや、サクセスでさえ声に出してしまうような魔力操作だ。一介の冒険者が真似出来るような行為ではないはず。
そんなサクセスの意思に倣うかのように小屋の中にいた存在は俺の前へ姿を現した。
土下座スタイルで。
「ひぃいいい! ど、どこのどなたかわからないですが、ここにはアタイしかいないんだ! ウチにあるものならなんでもやるから……こ、殺さないでくれっ!」
狼の姿とは違った人狼の姿。黒く短い髪の中から空に向かって生えている犬の耳。
口調の中に目立つ荒さ。土下座の姿勢からでもわかる程の身長。細身ながらに投げたオールを木に突き刺す程の膂力。なるほど、確かに前衛向きな“当て”だな、サクセスさんよぉ。
『なるほど、娘だったか。つくづく女に縁があるな、ディルアよ?』
まるで俺の脳内を見透かし、それに反応したかのような煽り文句。魔王の慧眼恐るべしだな。
『この者に伝えろ。あぁいや、まず礼が先だな』
その通りだ。
「えーっと。さっきは助けてくれてありがとうございました」
「と、とんでもない事だ! あ、いや、です! そのような魔力があると知っていれば邪魔なんてしなかった……です!」
魔族の間では魔力の多寡で優劣を決めるといった話を聞いた事がある。俺が礼を言ってもこの状態なのは、つまりそういう事なのだろう。
『よし、伝えろ。死にたくなかったら我々の供をしろ、と』
『ただの脅迫じゃねぇか! そんな事言える訳ないだろう!』
『そんな事はよくわかっている』
尚更性質が悪いだろう、それ。
『だからディルア……お主の出番だ』
『完全に丸投げじゃないか……』
『我は我のやり方でしか言えぬ。それをフォローするのがディルアの役目であろうっ』
一体いつそんな役目を拝命したのだろう?
まったく……同じ魔族には不器用だったのだろうか?
『とりあえずこの魔力を引っ込めてくれ。もう十分こちらの威圧は通じただろう』
『……ふん』
サクセスが魔力の解放を止めると、伏せた顔の方から安堵の息が聞こえてきた。
いや、あれは漏れ出たと言った方が正しいかもしれない。今日世界で一番不幸なのはこの人かもしれない。
「えーっと、俺はディルア。君は?」
「クーだ! あ、です!」
「あぁ……クー、ね。喋りやすい話し方でいいからね」
「あ……ありがと……」
「顔を上げて立ってくれないか? ちゃんと目を見て話したい」
「は、はい……」
クーが立ち上がる。……慎重派俺と同じくらい? やはり結構な上背がある。黒い髪とは対照的な黄金の瞳。うーむ、この森で暮らしているせいか薄汚れて見える割に、相当な容姿である事はわかる。
ティミーともキャロとも違い、野性的だがふんわりとしている。そんな印象を受けた。
ひと際目立つのは口調から想像出来ない肉感的な身体だろうか。まぁそんな事がわかるのも、このボロボロの衣服のせいだろう。
おそらく旅人が捨てたものを再利用しているのだろう。隠すところだけ隠せばいいというような状態だ。
尻尾は丸見えだが、それを隠す習慣はないようだ。
『どうしたディルア? 鼓動が早くなっているぞ? クククク……』
『うっせ』
サクセスのやつめ、わかってて言ってるな?
「あ、あの……ディルア。アタイを殺しに来た、違うか?」
「何で助けてくれた人を殺す必要があるんだ……」
俺の言葉を聞いたクーはホッと息を吐いた。明らかにこれはサクセスのせいだ。
もう少しマシな誘導方法はなかったものか。
『…………』
魔王も万能じゃないって事か。意外な弱点を見つけたな。
「それで、ここにはクー一人なのか?」
「父、生まれる前、死んだ。母、生まれてちょっとして、いなくなった」
「それは悪い事を聞いたな」
「いい。ずっとずっと昔の事」
『そうだぞディルア。この娘を外見や口調だけで判断しない方がいい。これでいてお主よりずっと年上だ』
……なんだって?
「えと、クーっていくつなの?」
「もう覚えてないけど、四百歳、超えてる」
「よん……ひゃく……」
そうだった……魔族は長寿だって話を忘れていた。
というか俺は、この人狼を勧誘しなくちゃいけない訳なのか?
誘って上手くいったとして、ティミーやキャロには何て説明すればいいんだよ……。
『先の事を考えていても始まらぬ。まずは勧誘だ』
『えーっと、今聞いた年齢から察するに…………クーてやっぱりサクセスの右腕だったっていう《勇将ゴディアス》の娘って事でいいんだよな?』
『その頭の回転、褒めてやろう』
これだけ条件が揃えば嫌でもわかってしまうってものだ。
そうか、片手で大地を裂くゴディアスさんか。クーもそのうちそうなっちゃうのだろうか?
むぅ、この容姿からは想像出来ないな。
「それで、ディルアはここに何しにきた? アタイに手伝える事なら、手伝うぞ」
簡単に言ってくれるが、この誘いは安請け合い出来るものでもない。
人間である俺を助けてくれたことから、心の清らかさだけは理解出来るが……それを俺以外の人間に理解しろというのも無理な話だ。
「んー、実は俺、クーのお父さんの友達……の、友達なんだ」
「……?」
なるほど、わかっていらっしゃらない。




