015
ムシュフシュとの戦闘から数十分の後、幾分か回復した身体を起こし、フラフラになりながらデュナミスの町の冒険者ギルドへ向かう。
「はむはむはむはむ! にゃむにゃむにゃむにゃむ! っんっんん!」
可愛い少女という印象が一気に吹き飛ぶような食事風景だ。
「あ、ディルア帰ってきたー! もう少しでディルアの分も食べちゃうところだったわよ!」
「いや、それは残しておけよ」
「全く、何してたんだか。ダックアビール討伐の依頼報告、済ませておきなさいよね」
むすりとしたキャロはそのまま冒険者ギルド内の宿の階段を上って行った。
「大丈夫? ディルア?」
俯く俺の顔を覗くティミーの心配そうな顔。
「あぁ、悪い。疲れたから寝るわ。キャロにはあぁ言ったけど、ご飯も……食えそうにないや」
未だ残る魔力枯渇症状に、ぐわんぐわんする頭の気持ち悪さとの戦い。ティミーに返事をするのもやっとという感じだ。
「スープだけでも、ね?」
その優しい表情に意を突かれ、そして仕方なくスープの器を受け取ろうと思った矢先。
「はい、あ~んっ」
…………何だこれは。
『わからぬのか? スプーンだぞ。それにスープが小量だ』
『んな事ぁわかってるんだよっ。俺が言ってるのはこの状況だっ』
『この程度、別に大した事ではあるまい? メイドや奴隷を持つ貴族や富豪であれば、たしなんでいる事ではないか?』
くそ、魔王に聞いた俺が馬鹿だった。
「あの、えっと……ティミー?」
「ん?」
空色の髪を少し揺らし首を傾げて笑って見せるティミー。透き通るような白い肌に瑞々しい唇に反射する光が俺の鼓動を早める。
「は、恥ずかしいんだけ、ど……」
「ん~~、うん。大丈夫。私は恥ずかしくないよ~」
てへへと小さく笑ったティミーの声はどこか悪魔的というか小悪魔的な印象を受ける。
くそ、わざとやってるな? しかしこうなった時のティミーは引いてくれないからなぁ……仕方ない。
「……ぁ、あーん!」
「はい、よくできました~。美味しい?」
「いえ、普通のスープです」
しかし、フラフラする頭が少しだけ治まったような気がする。
……まったく、ティミーには敵わないな。ここは少しだけ甘えておくとしよう。
スープを飲み干した俺は、ティミーの肩を借りて部屋の前まで来た。
経費節約という事もあってか、町の宿より冒険者ギルドの宿を使うようにしたのはティミーの提案で、「身の安全のため」と称して女二人と俺の部屋を別に、という提案をしたのはキャロだ。まぁ当たり前なんだけどな。
扉の前でティミーの後ろ姿を見送り、部屋に入る。俺はブーツを脱ぎ捨てると共にベッドに倒れ込んだ。
「これ、マジできっついな……」
『ふむ、やはりあの魔弾の乱用は出来ぬな』
「体力の疲れじゃないからか、眠気こそないけど思うように身体が動かない……ぞっ!」
うつ伏せの身体を仰向けに正し、サクセスの声に耳を傾ける。
『しかし回復するならば眠った方が幾分か回復は早い。今宵はよくやったディルア。褒めてやろう』
『なぁサクセス』
『何度言えばわかる。我にはサクセスという名があるの…………だ?』
『ちゃんとそう呼んだろうがよ?』
ふむ? サクセスもこんな反応をするのか。新しい発見だな。
…………それにしても返事が返ってこない。自分で言って恥ずかしくなったのだろうか?
『あぁ……えーっと、そうだ。我はサクセスだ。して、何の用だ?』
『認めるよ』
『ん? 何の事をだ?』
『サクセスが初代魔王だって事をだ』
『む、む……むぅ。……コホン。ほぉ、そうか。ようやく我の事を信じるのだな?』
どうやら俺の話が想定外過ぎて反応に困ったようだな。いや、困っている、か。
『あぁ、流石にあんな魔弾の魔法? スキルを見させてもらったんだ。信じない方がおかしいだろう。まぁ、しばらくは俺も意地を張ってたところはあったんだけど、仲間も救ってもらったしな?』
『……ふん、キャロとティミーに何かあれば精神的苦痛を受けるのは宿主のお主だ。ディルアの仲間を救ったのではない。宿主の安定を望んだだけの事』
『まぁ、サクセスがそう言うなら別にそれでもいいぜ? 今はな』
『ぬぅ……今日は素直過ぎて気味が悪いぞ、ディルアよ。ムシュフシュに悪い毒でももらったのではなかろうな?』
サクセスというマントがあるにも関わらず毒になんかなる訳ないだろうに。
コイツ、珍しく自分に言い訳してるな? 面白いヤツだ。
『ま、そんな訳だからあの話、自分で話したくなったら話してくれ』
『……全く、お主という男は、扱いやすいのか扱いにくいのか……ほとほと困った男よな』
『これだけ一緒にいてもお互いの事はほとんどわからないんだ。世の中そんなもんなんじゃねーの? ま、お、う、さ、まっ』
『魔王に向かって皮肉を言う男も珍しい……』
それからサクセスは深く息を吐いた後、少しだけ声の調子を落とした。
『ならば我も腹を割って話そう。少し長くなるが……身体は大丈夫なのか?』
『眠気はないからな。魔王の話だ。退屈しないだろうから大丈夫だと思うぞ?』
『そうか』
話す相手はマント。だが、相手の真剣な話に対して仰向けに寝ている、というのもどうかと思った俺は、ゆっくりと身体を起こし、なるべく自然体になるようにしてサクセスの言葉を待った。
『あれは今からおよそ五百年前の事だったか……。当時、我は勇猛果敢な将や頭が働く者を抱える魔王軍の長。そう、魔王だったのだ』
――だった?
『我が右腕には勇将ゴディアス。片手で大地を裂くウェアウルフの剛の者だ』
大地を……ムシュフシュ何かとは比べものにならないんだろうな。
『そして我が左腕には智将ヴィクセンという吸血鬼の女魔法使いがいた』
『ん? ヴィクセン? どこかで聞いた事があるような…………?』
『知っていて当然だろう。奴は我をこのマントに封じ、現在魔王軍を指揮する長と成り代わったのだからな』
そうだ、思い出した……!
極東の地、通称魔界と呼ばれる場所でその全ての実権を握っている――つまり、現魔王。
『それじゃあサクセスは、そのマントが本体じゃなくて、封じ込められてるだけなのか』
『……我がいつどこでマントが本体だと言ったのだ、全く』
『でも一体どうやって? そんなに右腕や左腕の人材と大差ない魔王だったのか?』
『我が名誉のために言っておくが、我の絶大な魔力は二人を畏怖させ跪かせるだけの魔力を帯びていたと言っておこう』
大地を片手で裂く相手を跪かせる魔力…………ダメだ、想像がつかない。
『しかし、我を脅かす存在がいなかった訳ではない』
『そんな人物がいたっていうのかっ?』
『いるであろう、一人。魔王と対を成す存在が。憎き神の寵愛を受けた神聖で無邪気な存在が……』
『…………勇者』
そんな呟きのような俺の心の声。
『左様』
サクセスは同じ声の大きさで返事をし、しばらくの間黙り込んだ。
やきもきしてしまったのか、焦らされるような感覚に、俺は独り言のように心の声を零した。
『勇者がお前を封じた訳じゃないんだよな。さっき封じ込めたのはヴィクセンだと言ってたし……。それなら……いや、待て。ヴィクセンは……女魔法士か』
『そうだ。吸血鬼であるヴィクセンの肉体は若く、そして美しい。勇者を虜とするのもそう難しくはない。陰で勇者の仲間を一人、また一人と殺し、心身的に弱った勇者の目の前に現れる若く美しい女魔法士。思慮深い人間にはそう上手くいく事ではないが、キャロのように世間知らずで、しかし純粋な勇者にとって、ヴィクセンの存在は非常に大きなものとなった。魔王軍の増強に力を入れていて多忙を極めた我にとって、陰で動くヴィクセンの行動を掴む事は出来なかったのだ……』
そんな裏が……。