7話
事態が収束しのは、もうじき夜も明ける頃だった。
一匹一匹は何の脅威にもならぬ鼠とはいえ、その数の猛威は凄まじく、特に新人の騎士の多くが犠牲となってしまった。
地面は夥しい数の鼠の死体に埋め尽くされ、騎士達は血で汚れた身体を魔法の水で洗い流していく。
「ぬぅ……。これほどの被害が出るとは」
生き残った騎士達が協力して、鼠の死体で隠れてしまった騎士や、その身体の一部を一か所に集めていく。
厳しい戦いになる事は予測していたが、このような結果になろうとは想像もつかなかったと、ヴォルドは唇を噛み締める。動物を操れる事は最初から知っていた事だが、一度にこれほど大量に、それもこれほど狡猾な真似が出来るとは考えが及ばなかったのだ。
「ははっ、見事にやられちゃったね、ヴォルドくん」
「……カイル殿。貴殿も無事であったようだな」
血が滲む程に拳を握るヴォルドの所に、カイルがやってくる。
カイルの身体も、鼠のものと思われる血で汚れていた。
「まぁね。僕の所の団もちょっと被害が出ちゃったけど、まぁ概ね予想通りに済んでいるよ。それよりも今回の件で、やっぱり彼が関わっている事を確信出来たから、ボクとしては結果オーライってやつかな」
「その様な物言いはよしてくれ。死んでいった者に申し訳が立たん。これは、儂らの責任だ」
「まぁ、君がどんな後悔を抱いていようが、何を考えていようがボクにはどうでもいいことだよ。それよりもこれで予定通り、ボクは別行動を取らせてもらうよ」
「……うむ」
立場上はヴォルドの方が上であるはずが、カイルの不遜ともとれる物言いに文句を言う事は出来なかった。
カイルは言いたい事を言い終わったのか、体を洗う為に魔法を扱える者の所へ向かってしまう。
「兄上!」
カイルの後にやってきたのは、エラノアだった。
その身体がほとんど血で汚れていないのは、流石に女性という事もあって先に洗ってから来たのだろう。
微かにだが乾かしきれていないのか、髪が濡れているのを確認することが出来た。
「うむ。無事だったかエラノア」
「はい。兄上も無事で何より。しかし私は無事だが、団には被害が出てしまった。死者こそいないが、この先の戦いには参加出来ぬ者も何人かいるようだ」
「そうか。では明朝の出立にはここに残ってもらう事になるな」
「あぁ、戻ってもらう訳にも、この辺には村も街もないからな。しかし、兄上の耳に入れておきたい事がある。他の場所では確認できていないが、私たちの所に奇妙な魔物とも魔獣とも取れぬ生物が現れたのだ」
「うむ。儂の方からも遠目だが何度か確認出来ておる。黒い触手を生やした獣であったな」
「そうか。では話が早いな。それならば聞かせてもらおう。あれは何だ?」
「む……。それではまるで、儂が何か知っていて黙っていたように聞こえるのだが」
「兄上は今回の件に関して、私よりも深い情報を得ている事は分かっている。鼠の件はともかく、あの触手――あれは何かしら人の手が加えられている事は誰の目からも明らかだ。何を隠しているかは知らないが、結果的にこれほどの被害が出てまで隠し通すほどの事なのか?」
半分ほどは、エラノアの想像が入っていたが、ヴォルドの反応からそれが間違いではない事は分かった。
よくも悪くも、ヴォルドは見た目通りの脳筋である。
隠し事は得意ではないが、それを表情に出さないだけの知識と経験があったのだが、実の妹から見ればあっさりと見破れる程度だったらしい。
「この件に関して、全ては儂の指揮の下にある。そして儂が命ずる。その事に関して、如何なる詮索も許可はせん。もしそれを守れぬというのならば、お前はお前の団とともにここから去れ」
「っ! 兄上っ!!」
あくまで言うつもりはないのか、鋭い眼光を向けるヴォルドにエラノアは思わず掴みかかろうとして、寸前の所で止める。
エラノアが下を向けば、後ほんの少しの所までヴォルドの拳が届いていた。
もし掴みかかっていれば、エラノアの腹を殴ってでも、エラノアは止められていただろう。
実の妹とはいえ、今は互いに騎士としてここにいる。
そこに情を掛けるヴォルドではなかった。
「……許せエラノア。これは全て、国王からの命令だ」
「くっ……」
それを出されては、エラノアもこれ以上追及することは出来なくなった。
互いに妙なしこりを残していても、これ以上言い争いが出来なり、エラノアも自分の団の所へ戻っていく。
夜明けは近い。
*
東の森、その中心部。
巨大な樹木の枝に乗る巨大な生物がいた。
長身の身体に、それを踏まえても似つかわしくない長い腕、全身は毛で覆われている。
白王。
いつしかそう呼ばれている魔獣は、一心不乱にその長い腕で器用に口元に何かを運び、咀嚼している。
その口回りは真っ赤に染まり、ポタポタと液体を垂らしていた。
その何かが人の肉体の一部だというのは、暗い森の中では把握も難しいだろう。
しかしそれは紛れもなく誰かの身体の一部であり、白王の犠牲になった何者かのものだった。
ぐち、ぐち、ぐちゃ。
皮も肉も骨も関係なく、白王は貪る。
しかしどれだけ食らっても、満たされる事はなかった。
食えば食うほどに襲い来る空腹に、白王の苛立ちは溜まっていく。
「グォォォオオオオオオ!!」
大気が震える程の咆哮を上げると、森全体が白王に怯えるように揺れ動いた。
白王は怒りに震えるように、歯を食いしばりながら鋭い眼光のまま、その光の見えない右目を押さえる。
白王の右目には、深々と抉られた斬り傷があった。
その右目が、人の肉を食らうほどに疼くのだ。
同じ人に付けられたからか、そして疼くほどに白王の食欲は増していく。
「さぁ、食らえ、狂え。それほどに、お前は強くなる」
その白王の後ろに、幽鬼のように佇む男がいる事を知る者は誰もいなかった。
11/12一部表現を変更しました。
2/10 大部分の表現、内容を変更しました。タイトル変更しました。