木曜日 3
2017.08.19 本文の一部を変更。また読みやすくなるように適宜空白行を挿入しました。
2018.11.12 本文、台詞の一部を変更。
何故、南町の表情が変わったのか。理由は俺にもわかった。
……本当の非常事態が始まったからだ。
南町の背中の映像が頭の中に流れ込んで来る。
視線の実況中継?
ならばやはりトランスミッタか?
同じ事は、月乃も出来るのは知っている。
現状俺には正面からの南町の顔と、制服の彼女の背中。
白い二本の線が回った大きな襟がまとめて見えている。
南町の背中が見えるなら東の窓。
しかしさっき確認したところ、東の窓の下は屋根など無くそのまま二階分下の地面。
だから壁にはしごでもかけないと、この視線の角度にはならないはず。
窓も遮光カーテンが閉め切られ、その向こうは道路を挟んで田んぼ。
そして旨く説明出来ないが、テレパシーで聞こえた声、映像には必ずその個人を示す色が付いているのだ。
これについては例外は無い。
そのテレパシーなら必ず見えるはずの、個人識別の“色”が付いて居ない。
確かにパストコグニションの発動が見えたときもこんな感じではあった。
でもこれは実況中継画像、過去の記憶では無い。
間違いなく今、誰かが見ている視線そのものだ。
窓もカーテンも一切無視して、セーラー服の背中の映像のみが見える。
俺の姿は視野が極端に狭いこともあってちょうど南町の影になって見えていない。
どこからどうやって見てるって言うんだ……?
南町の背中越しに何か無いか探してみるが、カメラ的なものは当然無い。
位置的には窓ガラスだが、さっき確認した通り分厚いカーテンが隙間無く閉まっている。
カメラが宙に浮いたりも当然していない。
「この感じが、……すごくイヤ!」
南町がそう言ったとたん、頭の中の映像に信じられない変化が起きる。
制服が透け、その下のシャツも透け、白いブラジャーの後ろ側がそのまま丸見えになっていく。
……なんだ、これ!
女性のブラジャー姿と言う事に関して言えば。
ランちゃんや月乃が夏場の風呂前後に、よく下着でうろうろしているので見たことはある。
同じ家に住んでいる以上、この辺は当たり前と言えば当たり前の話ではあるんだけど。
もっともこの二人に関して言えば、そのままにーちゃんに遭遇した場合、
――女性としての自覚が足りない!
と、目のやり場に困った彼に怒られる事になるのではあるが。
ただ、家族以外の下着姿などと言うのは、当然だが見たことは無い。
見てはいけないと思いつつ脳裏に浮かぶ同級生、しかも幼なじみの下着だけの背中。
その画像から意識を離せなくなる。
つけているだけのブラジャーには興味の無いはずの俺が、その光景に引き込まれる。
その背中の主が南町だと俺は知っている、社会の道徳に反した場景であるからなのか。
それとも、女性の下着姿は男を無条件に引き込むものなのか、実は俺が下着好きなのか。
しかしその画像はその判断が付く前に、更に加速度をつけて倫理に背いたものになる。
どうなったか。
ブラジャーの紐までもが透け初め、ついには背中がむき出しになった。
普段見ることの無い幼なじみの何も遮るものの無い背中。
それこそ子供の時にはお互い普通に裸になっていたし、そういう意味では見慣れてさえいただろう。
しかし当然中学になってから、南町の背中など見たことなどある訳が無い。
うなじから背中、浮き上がる背骨と肩甲骨はまるで知らない女性を見ている様で、背中から腰にかけてのラインは中学生という括りから外れてエロティックにさえ見える。
そしてその背中の持ち主は、今、俺の目の前で、自らをなめ回す様に眺める視線に耐えて眉間に皺を寄せ、目にはうっすらと涙さえ浮かべている。
なんと言う扇情的、かつ背徳的で男子として劣情を煽られる絵面だろう。
セーラー服の胸元、漢字の百をデザインした校章の付いたタイと、そしてなにも遮るものの無い背中。
この見え方は視線の主にさえ不可能、俺だけなのだ。
思わずつばを飲み込む。
ガキの裸なんか何も感じない、と普段言っているはずの俺が、ただの背中に。
つい映像と南町の表情、双方に見とれる。
「やだ、……なんかいつもと違う。気持ち悪い! 助けて、陽太!」
時間にしてほんの数秒。呆けていた俺はその南町の声で我に返る。
……南町の背中が誰かに見られてるんだぞ!
今、こいつを守れるのは俺しか居ない!しっかりしろ、俺!
「南町! 本を読んでる設定で知らんぷりしながら上になんか着ろ、絶対に窓の方向には体を向けるな。とにかく今は体の方向は固定、動くな! 俺の方以外向くなよ!?」
辛うじて声を出すことに成功した俺は、南町が左手に『羅生門』を持ったままなのに気付いたのでそう言う。
但し目の前の本人にでは無く、見えた映像に対してそう言った気がする。
俺もこの視線の主と同罪なのでは無いだろうか。
と、あとで冷静になってから悩む事になるのだが。
とにかく南町にか、その背中にか。声をかけた。
一応言い訳をすれば、例え背中に対して声をかけたのだとしても。
女の子の背中、いや、南町の背中を。
むやみに知らないヤツに見せてはいけない、そう思ったのだけは事実だ。
「設定、え?」
「言う通りにしろ! その場から動くな。感づかれる」
多分、ここに俺が居る事が視線の主にバレるのは良くない。
「え、感づかれ、……る?」
「細かい事は良いから早く!」
「う、……はい」
上にセーターを羽織った時点で映像は白いシャツが見えるのみになる。
これでもセーターと制服は透けてしまっているのだ。
背中からこっち側は輪切りになった様に制服とセーターが見える。
セーラー服が白いシャツとブラジャーの吊り紐の上に薄く被って見える。
視線が貫通出来る服の厚みに限度があると言う事なんだろうか。
本を読んでいようが携帯を弄っていようが、パジャマだろうがスウェットだろうが視線の主には問題が無いと言うのはわかった。
南町が窓さえ向いてくれたなら、全ては丸見えになる。
だから着替えイベントなどそもそも必要がない。
今はたまたま俺の方を向いていたから背中だけで済んだと言う事なのだ。
状況から言って視線の主は透視能力、クレアボヤンスを使う能力者で良いんだろうけど。
でも能力者の気配を、現状。全く感じないのはどうしてだ?
「陽太ぁ、チカのお母さんにマドレーヌ貰っちゃったよぉ♪」
ドアに手をかけた音が聞こえ、ノブが回る。
「月乃、入ってくんな! ――そっから“俺だけ”持ち上げてくれ。意味、わかるな? 出来るか!?」
映像が相手の情報の全てなら、超ピンポイントなので俺の姿さえ見えていない。
視線の主には南町が一人で部屋に居る様に見えているはずだ。
そして居るのがわかれば月乃も中学生女子。“透かされる”可能性がある。
方法はどうでも中学生を好んで覗いている変態で確定した以上、例え月乃であってもそんなものの視線に晒す訳には行かない。
『オーケー! コントローラだけ、全開で持ち上げるぞ!!』
全く説明無しでも状況を飲み込んだらしい月乃がアンプリファイアを発動。
コントローラのみがぐっと持ち上がるのがわかる。
だが、それでもクレアボヤンスの能力者は居ない。この状態なら半径100m以内に居れば絶対わかるはず。
これだけのことをしながら、気配が無いとか、有り得るのか?
月乃も探しているのがわかるが、やはり捕まえられない様だ。
急に映像が頭の中で薄らいでいく。
正面に居る南町の顔は残り、背中は見えなくなる。
後で時間を確認すると視線が部屋を物色していたのはほんの数分だった。
――ちくしょう、逃がした。わからなかった……!
『もう入っても良いか?』
「イエス。……だ。――月乃、南町を頼む!」
俺がドアの前から避けるのと同時、月乃が勢いよくドアをあけ南町に駆け寄る。
「チカ、大丈夫!?」
「つっきー! ……なんかすごく穢された気がする。陽太の、前、なのに……」
涙声の南町が月乃に抱きつき、もたれる様に体から力を抜く。
セーターが肩から落ちる。
『陽太以外にもレシーバの気配があったぞ。……まさか!』
南町はテレパスだ。レシーバだからこそ視線に気付いた。
月乃は後ろ向き、サインは意味が無い。言葉で答える。
「イエス。俺も気が付いた。……だから、あんまり使うな」
受信者に俺を限定しているはずだが、それでも南町に月乃の声が聞こえる可能性がある。
今、南町に色々ばれたら収拾がつかない。
「今日は特に気持ち悪かった。まるで下着の中まで見られてるみたいで……」
「チカ、もう大丈夫だから。落ち着いて、ね? どうもなってないから、大丈夫だから……」
携帯を引っ張り出すと、電話番号を呼び出し当たり障りの無い言葉を選びつつ話す。
「もしもしランちゃん? 陽太。……仮説四で確定。なんだけど、でも近所に気配も無いんだ。あとランちゃんの仮説も当たり、月乃も確認した、そっちも確定だ。――うん、終わったんだけど……。なんでわかんの? ――じゃ、迎えお願い」
――三分で迎えに行く。よけーな事はしゃべんなよ? 詳細はあとで。電話の向こうで多少張った声が答え、ボルボのセルモーターが回る音が聞こえた時点で電話が切れた。
まだ顔色の悪く、目の下と鼻の頭が真っ赤になった南町に声をかける。
泣き出したいのを我慢しているのだとすぐにわかった。強いヤツだなお前。
「……南町、大丈夫か? ――悪ぃ。あのさ、気配以外で何か感じたことは無いか?」
首を横に振る。
映像は見えていないし、レシーバである自覚も無いと言う事だ。
月乃のアンプリファイヤも俺を限定した発動に成功したらしい。
少しほっとする。
俺達の能力がバレるのももちろん不味いが、何より当人にあの映像は見せられない。
「はっきりここが気持ち悪いとかそういう事は?」
「いつもは脇腹だったり胸の辺りだったりするんだけど、今日は背中。でもこんなに気持ち悪かったのは初めて」
完全に視線の存在には気付いている。
レシーバの自覚が無いから映像が見えない。
いや、自分で理解出来る形に視線を翻訳、と言うか“映像化”出来ないだけだ。
「こないだ、新興宗教の人に知り合いが居るって言っただろ? 昨日色々と聞いてきてさ。ちょっとアドバイスがあるんだけど。……えーと。今、大丈夫。か?」
「うん、ごめん。もう大丈夫。気持ち悪かっただけだから。……なんか、わかった?」
涙で潤んだ瞳の南町に見つめられると、なんかやりづらい。
やはりこいつは、なんだかんだ言っても美人なんだよ……。
「まぁ、……な」
レシーバで見えたのは誤魔化さなくちゃ。
それと背中だってあの視線に見せちゃ不味いからそこまでは手を打たないと。
善道さん、勝手に名前借りてごめん。
生徒手帳を取り出してページを繰る。当然白紙だ。わざとらしく見えちゃうだろうか。
「なにが、書いてあるの?」
「あ、悪ぃ。秘密なんだ」
「あ……、ごめん」
乗り出しかかった南町が多少慌てて一歩引く。
書いてあるならあぶり出しかなんかだろう。俺にも読めない透明な文章だもの。
「良いよ。――視線の件だけど実害は多分無い。あんまり気にするな、多分そんなに悪いもんじゃ無いと思う。それと、同時に心理学的アプローチをかけるのもやっぱり正解なんだと思う」
「今、誰に何を頼んでいるの? って言うか……」
「その辺は今んところは。――気にするのは良いけれど気にしすぎるのは良くないとか。幽霊は信じる人にとっては実在する、みたいな話。……聞いたこと無いか?」
「……どう言う、こと?」
どう言うことなのか自分だってわかってない。
言葉を迷彩や煙幕、時に武器にして相手を翻弄する本職の言霊使い、ランちゃんみたいに上手くいかないだろうけど。
とにかく止まらないで言葉を続ける。
「いずれ、俺が絞った条件にはそこそこ合致したから、視線を感じたときにオカルト的にお前が取るべき行動の指針は示せる。――そう言うの、聞きたいか?」
しまった、言葉選びを間違った。要らないと言われたらどうしよう。
「陽太、教えて。……その。お願い、します」
だが南町はこちらの期待通りの答えを返してくれる。……助かった。
「上に出来る限り厚い服を羽織って、気持ち悪い感じに背中を向ける。横を向いても駄目だ、絶対背中だ」
さっき、
――今日は特に気持ち悪かった。
と言った。
つまりブラジャーまで取り去って背中まで視線が貫通したのは今日が初めてなのだと思える。
のぞき魔も連日の実践で力が上がってきているのだろうか。
「それだけ?」
「今はそれでとりあえず。……おまじないみたいなもんだけど、絶対やった方が良い」
厚着をしたところで徐々に相手の力が上がるのならば焼け石に水ではあるが、何もしないよりはマシだ。
それに最低限、被害を背中だけに食い止める。
幼なじみの他の部分までを、誰とも知れないのぞき魔に、おいそれと見せるわけには絶対行かない。
背骨や内臓が直接見えちゃう可能性だってあるし、そういう趣味の人間だって居る可能性は当然あるんだけど。
果たして視線の主がそこまで突き抜けているなら、気の使いようなんかあるわけがない。
だから当面は服の直下。そこだけケアすればいいだろう。
「イヤだろうけど、ちょっと思い出せ。今まで気持ち悪い部分って、みんな同じ方角じゃなかったか?」
「そう言えば……、そうかも。――うん、そうだ! 何時も東側! なんでわかるの?」
「まぁ、な。――だったら西を向いて上になんか着る、それで当面はしのげる」
いつまで、とは言いかねるのだけど。
「ありがとう、さっきもセーター着たら少しイヤな感じが和らいだの。陽太の対処法は正しいわ。これからもそうする」
あの映像は、力としてはかなり小さかった。
アレに感づく以上、レシーバとしてかなり強い素養があるんだろう。
だいたい。
映像的には勝手に裸に剥かれてしまっている以上、それを感じることが出来たならイヤな感じを受けない方がどうかしてる。
もしも、だけれど。
南町がレシーバである事を自覚して、その扱いに慣れてしまったら。
……そして彼女にもあの映像が見えてしまったなら。
そうなれば。もうパニックを起こすどころの騒ぎでは済まない。
それこそ精神科の先生が必要になる。
何とかしてやることは、出来るんだろうか……。
「陽太も引き続き協力、してくれるでしょ……?」
「もちろん出来る限りで協力するし、各方面にも引き続き相談する。ただ目立つ行動は絶対にするなよ。あくまで自然に、普通に。だ。その間にオカルト的には俺と月乃が、心理学的にはランちゃんが何とかする」
『なんか見えたのか? なんだそのもったい付けた言い方』
イエス。とサインだけ返す。
裸の背中が見えた、とはこの場では言えない。
「月乃にも後で具体的に説明するよ。俺とお前、二人揃ってないと何も出来ないしな。……南町、平気か? そろそろランちゃんが来る、下に行こう」
階段に足をかけたときに。――ぴーんぽーん。
ちょっと間延びしたインターホンのチャイムが鳴った。