ルリの花~側室の想い~後編
本日二話目です。
やがて、あの子は殿下と共に戦場に立つようになり……笑顔に陰りを感じるようになりました。ギリギリの崖っぷちに立っているような危うさに、こちらの胸が痛くなります。せめて、わたくしに出来る事をして、慰めたかったのですが……。
「─────私には、貴女の優しさを受け取る資格がないのです」
戦場に行くようになってから、どれだけ経ったでしょう。あの子は、わたくしの上着や温石も拒むようになりました。
奴隷の身分にありながら、誇り高かったあの子。張りつめて張りつめて、いつか壊れてしまいそうで、怖かった!!
…………………あの子が、遂に壊れたと殿下に聞かされた時、わたくしは後悔しました。何故わたくしは、不興を買ってでも殿下を諫めなかったのでしょう?
相談という名目で訪れた殿下は、いつになく弱々しいお姿をしておりました。
「……それでわたくしの元に相談に来られたのですか?」
わたくしは平静を装い、問いかけます。幼少のみぎりから、未来の皇帝だ、現人神だ、精霊王の生まれ変わりだと持ち上げられてきた殿下が、等身大の人間にしか見えません。それが不思議で思わず首を傾げます。いえ、それよりも今はあの子の事です。
「不敬を承知で申し上げますが、わたくし、再三言いましたよね? あの子への振る舞いを考えて下さいと。……何を今更だと、思いませんか」
怒りは抑えたつもりですが、どうにも責める口調になってしまいます。冷静になりましょう。……あの子のために。
わたくしは、手始めにあの子について殿下から聞き出す事にしました。誠しやかに囁かれる噂では、あの子は行き場のない所を殿下に拾われたものの、身寄りがなく、また下賤とされる黒い瞳から最下層の身分と思われ、故にランスロットに登城を反対されたとか。
殿下はお優しいから、あの子の立場を保証するために首輪を付けたと言われていましたが……殿下が語った真実は、全然違いました。
あの子は、ちゃんとした病院に居場所があったのに、殿下に気に入られ、強制的に連れてこられたのです!
あまつさえ、二つ上の、病気で長くない兄の命を盾に取られ、奴隷にならざるを得なかったとか……鬼畜の所業です。これであの子のために何が出来るかとか、どの口が言うのでしょう?
それでもわたくしは堪えました。ここで激昂しても仕方ありません。どうにか殿下を言いくるめて、あの子の待遇を改善しなくては!
「……もう、手遅れかもしれませんが……。何が出来るか、ともに考えませんか? あの子の、殿下のためにわたくしは力を尽くすと約束しましょう」──これ以上、あの子が傷付かないように。
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それからわたくしは、辛抱強く殿下の相談に乗りました。あの子を取り巻く状況は、思っていたよりも酷い有様でしたよ……。
「入れたてのお茶をかけた!?」
貴方は馬鹿ですかっ!? と、喉まで出た言葉を飲み込みます。殿下は、自分のやった事を分かっていないようでした……。
「……………殿下。紅茶の理想的な温度は95℃。普通に火傷する温度です」
「たかがお茶で!? 炎で焼いた訳でもないのに、火傷するのか!?」
驚愕する殿下を見て、呆れ果てて言葉もありません。殿下は、炎の精霊の加護を受けるせいか、文字通り人と温度差があるのです。あの子が寒空の下放置されていたのも、深い理由などなく、寒さを理解していなかったからなんですね。
わたくしは悟りました。殿下は、言う程素晴らしい方ではないと。無邪気な所があると、好意的に思っていましたが、違います。殿下はただ、内面が子供のまま成長していないのです!! ……だからあの子に、平気で酷い事が出来たのでしょう。
急に始まった側室の引率も、殿下を愛する女性に関わらせる事で、あの子に嫉妬して欲しかった、という無意識の願望があったみたいです。……意地悪したり、構って欲しかったり、初恋の拗らせ方がまさに子供ですね。
あの子が、わたくしを拒むようになった理由も判明しました。戦場で、殿下はあの子を求めたのです。義理堅いあの子の事、わたくしへの裏切りだと感じたでしょうね……。殿下は逢瀬だと言い張りますが、拒めないあの子に手を出すなんて、それはただの手篭めです。
「戦場では、危ない所を助けたりもしたぞ? 余の想いは伝わっているはず」
…………………そもそも殿下が連れ出さなければ危ない思いもしないのです。というか、命の危険あったんじゃないですか。なんたる外道。殿下が目指しているのは、皇帝じゃなくて魔王ですか?
首輪をはじめ、殿下の下してきた命令がいかに非道なのか、懇切丁寧に説明します。わたくし、籠の鳥だと自負しておりましたが、あの子はがんじがらめの子猫でした……。笑顔は強制、泣くことも弱音を吐くことも許されていない。どんなに辛かったでしょう!
ハリの花があの子にとって、どれだけ大切だったかも知りました。おまじないの花は、きっとあの子の心の支え。あらゆる事を制限されたあの子が、わたくしに差し出した想いを……あの子の心の叫びを、わたくしは気付けませんでした。許しがたい無知です。
あの子の苦難の一端でも、殿下に伝わればいいのですが、難しいでしょうね。というか、殿下。これだけやらかしておいて、まだあの子の心を望むのですか!?
誘拐犯と長時間行動を共にすると、同情や好意を抱く事があるようですが……あの子には当てはまらないようですね。いえ、むしろ自分で言っては何ですが、わたくしにこそ、当てはまりませんか?
天啓に打たれたような衝撃です。わたくし、殿下を愛してなんかいなかったのですね。亡国の混乱につけこまれ、攫われるように連れてこられたわたくし。ランスロットに、殿下は素晴らしいと言い聞かせられた洗脳の賜物、都合の良い存在に仕立て上げられていたのです!
何故わたくしがあの子に惹かれたか、理由が分かった気がします。あの子は、昔のわたくしなのです……。でも、長く下界から切り離されたわたくしと違い、あの子ならこの城の外でも生きていけるでしょう。なんとしても、あの子を奴隷の身分より解放しなくては!!
殿下の立ち去った部屋で、わたくしはハリの花に願いを託しました。
「あの子に殿下は相応しくない。ここにいてもあの子は幸せになれない! ……あの子猫のような子には、自由が似合うのです。わたくしはずっと籠の鳥で構いません。どうか、あの子を殿下から解放してあげて」
“白の花園”で、花びら舞う中、月光を浴びるあの子は美しかった。でも、とても寒々しくて、悲しい光景でした……。あの子は日の当たる場所で、野の花に囲まれているのがお似合いです。わたくしは毎日毎日、祈りを捧げました。
しかし、わたくしの願いは最悪な形で叶ってしまったのです……………………………。
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あの日も、わたくしは自室で祈りを捧げておりました。何だか、後宮全体が騒々しいとは思っていたのですが……全てが終わって、侍女からもたらされたのは、あの子が殺されたという報告でした。あの子が、後宮の扉のすぐ近くで、無残な姿となって発見されたと……耳を疑いましたわ。わたくしは動揺して、抱えていた宝箱を落としてしまったのですが。
驚く事に、箱から転がり出て来たのは、ハリの花ではなく、ルリの花で────あの子が、死によって解放されたとでも言うように、蒼穹よりも深い蒼に、冷たく光り輝いていたのです。
「いやぁっ! うそ、嘘よぉぉぉぉぉぉ!!」
あの子の元へ駆けつけたいのに、後宮の扉は固く閉ざされています。あとで聞いたのですが、あの子は殿下の手によって、“白の花園”ごと葬られたそうで、わたくしは死に目に会う事はおろか、最期の別れを告げる事さえ、出来なかった……。
わたくしは、声を上げて泣きました。侵入者が狙ったのは後宮でした。わずかでも誼を通じていたわたくしがいたから、あの子は侵入者に立ちはだかったのではなくて!? わたくしが、ルリの花に解放を願ったから、あの子が死んでしまった!! こんな後宮に、守る価値なんてないのに!!
しばらくの間、わたくしは泣き暮らしておりました。無力な自分があまりにも情けなく、許せなかった……。殿下への想いなど、一切残っておりません。洗脳がすっかり解けたからか、悲しみは、次第に殿下への怒りに変わっていきました。
きっかけは、侍女の囁きでした。
「殿下はあの奴隷が死んでから、ずっと塞ぎこんでいるそうよ」
「まあお労しい! 死んでからも殿下を煩わせるなんて、本当に目障りな雑草だわ!!」
殿下は、何故あの子を貶める者を生かしているのですか? 愛してるなら、その力があるのに、何故あの子を守れなかったの? …………何を今更後悔し、自分の殻に閉じ篭もっているのですか!! あの子を殺した者が、今ものうのうと生き長らえてるなんて、許さないっ!!!!
あの子を殺したのは、侵入者だけではありません。わたくしであり、側室を始めとしたこの城の全ての者であり、そして、殿下なのです。
わたくしは、決めました。腑抜けになった殿下に発破をかけなくては。
わたくしは侍女を呼び止めると、手紙とともにルリの花を殿下に渡すよう、指示しました。きっと、殿下はすぐにでも現れるでしょうから、涙を拭いて支度しないと。
わたくしは、呼び水になるのです。殿下の憎悪を、殺意を引き出すために、悪女にでも何でもなってやろうではありませんか!
きっと、わたくしが真っ先に殺されるでしょうね。……死んだら、あの子に会えるかしら? いいえ、わたくしはあの子の元には行けません。あの子は……本名さえ名乗る事も許されず、パピと呼ばれたあの子は、今頃自由を満喫しているはずです。あの子が、笑顔でパピの花畑で遊んでいる姿がありありと浮かびました。
「わたくしの本名は、マグノリア。貴女の名前は何というの? どうか、わたくしとお友達になってくれませんか……」
殿下に聞いたのですが、あの子の名前はリッカというそうです。あの子にぴったりな、綺麗な名前。……叶う事なら、あの子の口から聞きたかった。ずっと、胸に秘めていた想いは、誰にも届かず、虚しく消えました。
心配しないで下さい。わたくしはこれより地獄に向かい、殿下が来るのを待ちます。貴女の所に殿下が向かおうとしても、わたくしが引きずり落としますから、どうか心安らかに。
ああ、荒々しい足音が聞こえて来ました。殿下が到着したようです。さあ、最高の笑顔を作りましょう。殿下、ともに破滅の道を歩もうではありませんか!!