ハリの花~独りよがりな殿下~後編
一面に白い花を敷き詰めて、リッカを横たえる。宮廷魔道士によって修復された体には、白い死に装束を。死んだ時そのまま、笑みの刻まれた唇には紅を。最後にリッカの好きだったパピの花束を持たせれば、完成。……綺麗だぞ、リッカ。
誰も立ち入るなと厳命してあるため、“白の花園”には余とリッカしかいない。ここはリッカが殺された忌まわしい場所だが、いつもと変わらず美しい。……この庭園に佇むリッカを見るのが好きだった。だから“白の花園”とともに、リッカを送ろうと決めたのだ。
じっと見つめて指に火を灯す。余の出せる最高の火力、白い炎は揺らめきながら、徐々に大きくなっていく。白炎は特別な炎だ。敬意を払うべき相手や、身内の葬送に使う。この炎を使うのは余の両親が亡くなった時以来か。出来れば、二度と出したくなかった。
焼き尽くす前に、リッカに最期の別れを。額と唇に口付けて──ふと、気付いた。余は、リッカに愛を告げた事すらなかったな……。
「愛している、リッカ。──安らかに眠れ」
白炎は一瞬にしてリッカの骸を焼き払い、庭園を侵食していく。草花を飲み込み、木々を伝い、土さえ燃料に炎は駆け巡る。白い灰が花びらのように舞ったが、それすらもすぐに蒸発し、後には何も残らない……はずだった。
全てを焼き尽くす白炎は、炎の精霊王の血族を燃した時のみ結晶を生成する。どうも、人の部分が燃え尽きて、純粋な精霊の力が結晶化するから、らしい。リッカの消えた跡地に、光る物が落ちていた。小指の爪よりも小さい、深紅の結晶を拾い上げる。……正真正銘、本物の結晶が導き出す答えは一つ。
「リッカの胎には余の子がいたのか……?」
子の出来にくい血筋故に、想像もしていなかった。余は、リッカだけでなく我が子も失ったのだっ!! リッカが死んだ時でさえ、麻痺して流れなかった涙が、溢れる。
「あああああああああああああああああっ!?」
何も無い空間に響き渡る慟哭。余は、なんと愚かだったのだろう。生まれて初めて流す涙を止められない。リッカ、リッカ、リッカ!!
すまなかった、涙を堪えるのがこんなに困難だなんて知らなかった……。愛する者が奪われる苦しみを甘く見ていた。余は、お前に酷い仕打ちばかりしていたのだな。今の今まで、真の意味で理解していなかった!!
謝るから……もう繰り返さないから、頼む。余の元へ戻ってきてくれ!!!!
▷▷▷▷▷
皇帝になるべく、邁進してきた。挫折など知らなかった。そんな余にとって、リッカの喪失はこれ以上なく、堪えた……。塞ぎこみ、戦に向かう気力もない余に、ランスロットや侍女・侍従が代わる代わる慰めの言葉をかけるが、耳を滑る。……余のために命を懸ける、忠誠を誓うと言いながら、今回の襲撃で侵入者に気付き、阻止したのはリッカだけだった。
リッカは死んだのに、のうのうと生きている者の忠誠心など、たかが知れているだろう? どいつも信用出来ぬ。……………愛する者を失い、絶望して抜け殻になったリッカの気持ちが、今ならわかる。亡くしてから気付いても、遅いのに。
「あの、殿下……」
おそるおそる声をかけるのは、白木蓮付きの侍女。そういえば、暫く後宮から足が遠のいていたな。
「白木蓮の方から、殿下に献上して欲しいとお預かりしました」
なんだ、また貢ぎ物か。落ちこむ余へのご機嫌取りに、臣下達から沢山の献上品が贈られ、背後にうずたかく積み上げられている。余は恭しく差し出される白木の箱を受け取った。
どうせ、また宝石かアイテムだろう。余は箱の中を検め───瞠目した。一緒に添えてあった手紙を、思わず握り潰す。……白木蓮に確かめなければいけない。
「白木蓮はいるか!?」
「まぁっ! どうしたのです、殿下。先触れもなくいらっしゃるなんて」
白々しく驚く白木蓮に、余は箱の中身を突きつけた。菱形の、六枚の花びらが特徴的な、パピに似た一輪の花。ただし、色は透明感がありながら濃い群青色で、光を浴びて燦然と輝いている。
儚く、すぐに散ってしまうハリの花と違い、硬質な宝石の花──まごうかた無き、ルリの花だ。
「これを、どこで手に入れたっ!? どうやったのだ!?」
たった一つ、願いを叶えてくれる伝説の花。ただの言い伝えだと思っていたのに、本当だったなんて。いや、それよりもっ! ルリの花なら、リッカをこの世に呼び戻す事が出来るかもしれない!!
「落ち着いて下さい。手紙にもしたためましたでしょう? この花はすでに願いを叶えてしまってなんの効力もありませんが、殿下の慰めになるかと思い、献上しようと……」
「そんな事はどうでもいいから、早く教えろ!!」
苛立つ余に、白木蓮は嫋やかに笑った。……天使のように美しいのに、何故か神経を逆撫でされる。
「これは、以前あの子に頂いたハリの花が変化したものなのです」
信じられない。リッカが、あんなに大事にしていた花を、他人に渡したのか?
「信じられないという顔ですね。本当でしてよ? ……酷い仕打ちばかりの殿下や他の皆様と違って、わたくし彼女に殊更優しく接しておりましたのよ。寒さに震える傷付いた子猫を手懐けるのなんて、簡単でした。あの子は喜んでハリの花を……大切な心の支えを差し出しましたわ」
白木蓮の言葉に棘を感じる。今の白木蓮を見て、天使のような、という形容は出ないだろう。確かな憎しみが、そこにはあった。
「ねぇ殿下。後宮の女は、殿下の寵愛が誰に向けられているか、皆知っておりました。当然ですよね? わたくし達が侍る寝室の窓から、殿下はいつも“白の花園”を見下ろしていました。わたくし達には向けられない慈愛の視線の先には、いつもあの子がいたのですから」
淡々と紡がれる言葉に、不快感が煽られる。余の前ではそつなく優雅に振る舞う側室達が、リッカにどんな仕打ちを与えていたか。浅ましい女達と、白木蓮は違うと思っていたが、まさか。
「……白木蓮。お前は、この花に何を願ったのだ?」
胸がざわめく。腹の底から湧いてくる衝動を、余は必死で抑えた。
「あら殿下。本当は分かっているのでは? わたくしの願いは決まっていましてよ。……あの子は殿下に相応しくない。ここにいていい存在じゃない! 願いは叶いました。だからあの子は殿下の傍から消えたでしょう?」──永久に。
ザシュッ
───────怒りに突き動かされて、気付いたら余は白木蓮の首を斬り飛ばしていた。異能を使わず、腰に佩いた宝飾剣を用いたのは、この女に燃やす価値などないからだ。手の内のルリの花を、転がった首に叩きつけようとして、やめた。これは余への戒めとして、取っておこう。
懐からリッカの首輪を取り出し、翳す。この首輪の石には、リッカを監視していた──殺害を目撃した証人、人造精霊が宿っている。……リッカの死によって、空虚になっていた余を満たしたのは、憎悪だった。白木蓮の死が、余の中で燻っていた憤怒と復讐心を引き出した。余からリッカを奪った全てに、報いを与えなければ。
皇帝の位? 戦争? そんな物は後回しだ!!
ちりんと鈴を鳴らす。駆けつけた侍女達は、部屋の惨状にひっと息を飲んだ。
「宮廷魔道士を呼べ」
返り血を浴びたままの余の気迫に押され、ガタガタ震えながらも侍女達は命令に従い、消える。
「……ついでに、片付けをしておこうか」
余は後宮の奥に目を向けた。不要な者が、まだ残っている。
さあ─────リッカの弔いを始めよう。