パピの花~奴隷のリッカ~後編
私は、まだ生きている。生きる意味がなくなったのに、何故私は生かされているのか。殿下に病院の事を教えられた私は、笑顔の仮面をかなぐり捨て、泣き叫び、暴れた挙げ句に、城から飛び降りようとまでした……はず。記憶が曖昧で、はっきり覚えていないけど。
なのに何故だか殿下は私の暴挙を許した。全て不問にした。……殿下は、収集家の面を持つ。“正妃の涙”を探すついでに、気に入った宝を奪い、(最近だと金と宝石で飾られた宝飾剣)常に身に付けているし、“白の花園”に咲く花は殿下の好みで統一されている。きっと、私も殿下が集めたコレクションの一つなんだ。
……人にかける情けは無くても道具への執着はあるのだろう。子供っぽい所のある方だ。お気に入りの玩具はどこにでも持ち歩き、手荒に、完全に壊れるまで遊び倒す。私が死ぬまで、奴隷生活は続くに違いない。
『何があっても強く生きるんだよ。自ら命を断ったりしないで』
リクとの、最後の約束。約束がなくても、父も母も、親戚縁者一同、ついには最愛の兄にまで先立たれてしまって、生き残ったのは私だけ。自殺なんて出来ないよ……。怒りも悲しみも全て飲み込んで──私は、元の奴隷生活に戻った。
いつも通り、殿下の命令を淡々とこなす日々。ただ、少し変わった事もある。殿下が後宮に自ら赴くようになったので、側室様の引率をしなくてよくなった。寒さに凍える夜を過ごさなくてよくなり、睡眠時間も増えた。罵倒される事もない。ちゃんと食事も三食出る。でも、なんていうか……腫れ物扱いだ。
お茶を用意していると、ランスロットが絡んできた。殿下の一番の腹心で、殿下が生まれた時から傍にいるせいか、この人の風当たりが一番強かったのに、最近はぱたりとやんで、調子が狂っていた所だ。
そういえば初めて殿下の慰み者にされた時も、『体を使って殿下を誑かしたのかっ!? この淫売がっ!! 殿下に愛されているなんて、勘違いするなよ!!』と辛辣に言われたっけ。ああ、やっぱりまた釘刺しに来たんだ。
「大丈夫です。弁えてますよ。私は殿下の奴隷で、それ以下でも以上でもありません。殿下だって、道具に愛情なんて求めませんよ。万一、殿下が血迷って、『余を愛せ』と命令なされたとしても、私が殿下を愛する事はありません」
ちゃんと伝えておかないと鬱陶しいもんね。私は自分の気持ちを率直に伝える。少しの問答の後、ランスロットは納得してくれたのか、無言で立ち去って行った。
▷▷▷▷▷
殿下がまた戦争を仕掛けに行くらしい。私は何故か置いてけぼりで、留守番を任された。天空城は堅牢で、代々受け継がれた守護の結界は何人たりとも通さない。そもそも上空を不規則に漂っているので到達出来る者が少ない。形ばかりの留守番だ。使用人は多いから、殿下がいないとする事が何も無い。
与えられた部屋に篭もり、ハリの花の残骸をかき集め、修復を試みる。だけど花びらは触れる度に細かく砕けていって、原形もとどめていない。壊れた物は、どうしたって戻らないと見せつけられてるみたい。しばらく残骸と戯れていると、壁を震動させる程の轟音が轟いた。
どうしたのかな? 雷雲にでも突っ込んだ? それにしては様子がおかしいと感じ、部屋を出ると使用人が右往左往していた。特に窓辺に先を争うように群がっている。
「なんだあれは! 竜の群れか!?」
「最近よく聞く空賊だ! 天空城を狙うとは……命知らずな連中だな」
漏れ聞こえる会話によると、結界の外をドラゴンを率いた賊が取り囲み、残留した兵士達が対応に苦慮してるみたい。天空城には大がかりな兵器が搭載されてるのだけど、殿下の許可がないと使用出来ない仕組み。それでも有効な手出しが出来ないのは向こうも一緒で、睨み合いと威嚇攻撃が続いてるんだ。
……殿下や精鋭部隊が戻れば一瞬で蹴散らされる運命だ。それが分かってるから、城の者は皆高みの見物を決め込んでいるんだね。
「なんと愚かな賊共だ。今に殿下に焼き尽くされるぞ!!」
「そうなったら、見物だな!」
天空城には娯楽が少ない。皆窓にかぶり付きだけど……仕事はいいのかな?
興味のない私が、部屋に引っ込もうとしたその時だ。あり得ない物が見えた。
「黒装束の男?」
黒は、殿下の国では下賤の色。黒い服を着ているのは奴隷の私くらいなもの。あれは……まさか、侵入者?
私は兵士の一人を掴まえて、不審な男を目撃したと報告したけど、信じてもらえなかった。
「はっ! 戯言をほざくな。いいか、結界が破られたなどという報告は受けていない。この城を守護する結界は、炎の精霊王様が手掛け、殿下のお力で維持されているのだ。侵入者を見たなどというのは、お前の見間違いだ。首輪無しでは殿下に忠誠も誓えない、お前のような者の言葉、信用に値せん!!」
難攻不落の城と、殿下への盲目的な信仰が兵士の目を曇らせている。……殿下を讃える一方で、殿下の力と権威に頼りきりなのだ。これが、この城の大多数を占める意見。けんもほろろに突き放された私は、単身男の後を追う。
私は殿下に留守番を任された。侵入者を看過したとなったら、私の首が落ちてしまう。それに、男が向かった先には後宮がある。見過ごせるはずがない。
「見つけた」
追跡は私一人で身軽なのと、いつ殿下に呼び出されてもいいよう、裏道近道が把握済みだったおかげで、すぐに追い付く事が出来た。
男が見てるのは、複雑に入り組んだ通路だ。あまりに見事な黒ずくめに、思わず男の横顔を凝視する。尖った耳からして、ダークエルフとの混血かな。夕焼け色の瞳だけが鮮やかだ。
「……走査……解析」
男が何かを呟く度に、瞳が爛々と輝く。男の侵入が可能になった理由が判明した。王家の異能のなせる技だ。咄嗟に、私は男の腰にしがみつく。
目眩のような、浮遊感に似た感覚の後、振りほどかれた私は地面に叩きつけられる。石造りではない、土の、草の感触。ここは“白の花園”?
「人形姫かっ!」
六芒星の浮かぶ茜色の瞳と目が合った瞬間、男の手に黒い筒が出現して、火を噴いた。乾いた音と同時に右肩に痛みが走る。白い花びらに混じって赤が散る。……そんな状況じゃないのに、美しいなと思ってしまった。
「弾丸を受けても表情一つ変えないとは、噂通り不気味な女だな」
弾丸? そういえば殿下が以前言っていたっけ。近年出回り始めた武器、“銃”だ!
「度重なる戦で、殺戮に特化した兵器の開発が進んだ。王家の異能だの、精霊の加護だの、すでに時代遅れなんだよ」
両足が撃ち抜かれ、立っていられなくなった私は前のめりに倒れる。結構大きな音がしてるけど……外の騒ぎで掻き消されてしまう。やっぱり、周囲の空賊は陽動だったんだ。……まんまと踊らされたね。
「オレの邪魔をするなら、命はねぇぞ。……オレは、我が王家に伝わる王冠を取り戻すんだ!!」
目の色でわかってたけど、やっぱり王族か。殿下に滅ぼされた小国の生き残りかな。どうやって情報を手に入れたか知らないけど、殿下は戦利品を惜しげも無く側室様方に与えていた。その中に男の目的の物が混じってる可能性は高い。
銃口は向けられたまま、男の視線が私から逸れる。男の双眸に再び六芒星が浮かんでいた。……男の視線の先には、後宮の扉。
ごめんなさい。貴方は、殿下の被害者だ。でもね、後宮に侵入者が……それも、王族の男に押し入られたとなったら、側室様は全員処分されちゃうの。私の脳裏に、儚げに笑う白木蓮の方が浮かぶ。
四つん這いになって、男の足に縋りつく。集中が途切れたからか、私を睨みつける男の目から、六芒星が消える。
「……警告はしたぞ、ディアマンドの犬め」
蹴っ飛ばされて仰向けに倒れた私に、男が跨がった。すかさず額に熱い金属が押し当てられる。
「何故あんな屑のために命を懸ける? 精霊王の血筋? 皇帝の再来? オレに言わせりゃ、単なる我が儘なガキだっ! オレの家族を……忠実な臣下を、何の罪もない民を殺したんだぞ!? ……転移の異能に恵まれたオレだけが、生き残ってしまった……」
男の……どこかの王子からこぼれ落ちる涙は、銃口よりも熱かった。
王子の言葉は、私には痛い程理解出来る。惜しいなぁ。この人、殿下よりもいい王様になりそうなのに……。殿下の奴隷の私が手をさしのべた所で、手を振り払われるだけだろう。首輪さえ無かったら、手を貸してあげたかった。全面的に同意して、殿下のために命を懸けるもんかっ! と怒鳴りつけて、ボロボロこぼれる涙を拭いて上げたかったな。
暫く激情を吐露していた王子だったけど、ふとあらぬ方向を向き、涙を拭ってから、忌々しげに私を見下ろした。
「思ったよりも、早くあいつが戻って来ている」
王子には悪いけど……良かった、これで白木蓮の方は助かる。
「こんな事をしてる場合ではないのでは? 殿下は苛烈な方。外のお仲間共々殺されてしまいますよ?」
早く逃げた方がいい。貴方は、ここで死ぬべき人じゃない。
「……手ぶらで帰る訳にはいかねぇ。お前一人を殺した所で、あいつは屁とも思わないだろうが……お前の死は、ディアマンドへの宣戦布告だ!!」
王子の瞳から一切の感情が消える。……私は、死ぬのか。ごめんね、王子はきっと王冠を……形見を取り返したかったよね。私の命じゃ替わりにもならないと思うけど、私にはもうあげられるものなんて、ないんだ。
「──奪われる痛みを思い知れ、ディアマンド」
時が経つのが酷く緩やかに感じる。ああ、でも、ようやく終われるんだ……。殿下は、道具を壊されたと怒るかもしれないけど、私の心は安らかだ。
最期の瞬間、思わず私は笑っていた。強制ではない、自然な笑顔なんて何時ぶりだろう。私はそっと、瞼を閉じた。
─────────リク。リク兄さん。これで、貴方の元に行けるね。