瑠璃の瞳の復讐者~追憶~前編
─────ぼくは、遠くないうちに、死ぬだろう。
パピの花を知っているだろうか。どこにでも咲いている、ありふれた白い花。だけど願いが叶うという、有名なお呪いが言い伝えられている。
パピの花を乾燥させると、曇りガラスのように不透明になり、薄氷みたいに脆くなる。
ドライフラワーになった状態をハリの花と言い、何万分の一の因子を持つ特別な個体だけが、さらに厳しい条件を満たす事で、深い蒼色に輝く、美しい結晶に変化するんだ。
その正体は風の精霊石。とても稀有な現象だから、願いを叶えるなんて俗信が生まれたんだね。妹は信じていたけど……ぼくは、奇跡なんて信じていなかった。
「かはっ…………」
内臓が破れたかのような、大量の吐血。口を押さえようにも、慣れない銃を撃ちまくった反動か、体がボロボロで指一本動かせない。ぼくは最早、寝台に横たわるだけの死に体だ。
「リクっ!? 大丈夫か!?」
リンデンがぼくの上半身を起こし、清められた布で口元を優しく拭う。すっかり介護に慣れてしまってる。元はお姫様なのに、申し訳ないね……。
「ほれ、水と薬じゃ。これさえ飲めば、楽になるぞ?」
差し出される最高品質の魔法薬を、ぼくは拒んだ。
「ごめんね、リンデン。薬は、もういらないや」
復讐が終わった今、ぼくに生きる気力なんて、残されていない。肉体的にも限界で、薬の効果も薄くなってきたしね。
「何を言うのじゃ! お主はラクリマの一族最後の一人。血が途絶えてもよいのかっ!?」
最後の、一人か……。
「ラクリマは、もう滅びるべきだ。異種族との混血の王族が増えた今、わざわざぼくらが架け橋となる理由はない。……先祖の一人が引き金となって勃発した戦争を終わらせようとして、皆必死で駆けずり回り、結果、ほとんどが命を散らした。“正妃の涙”なんて、もういらない。必要ないって事だよ……」
「そんな弱音など聞きとうない! リク……妾を置いて行かないで」
『──置いて行かないで』
懐かしい台詞に、周りの風景が霞む。ぼくは、自らの思考に没頭していった。
◁◁◁◁◁
エルフや有翼人、精霊の眷族を初めとした異種族は、昔からこの大陸の人間にとって、一番の脅威だった。まるで天災のようなものだもの。炎の精霊王の血族である、殿下を思い出してもらえばわかるよね?
そんな理不尽な存在と戦うために人族から進化した種族が、光の一族。後の王族だ。異種族に立ち向かうべく、多種多様な戦闘系の異能を発現したルークスと、異種族を取りこみ、共存するための異能に恵まれた涙の一族は、水と油、相容れない関係だった。でも互いの能力を尊重し、関わらないように暮らしていた。
なのに、ルークスの長──皇帝が、ラクリマの娘を正妃に望んだ事で、全ては狂っていく。
ラクリマは異種族に愛される。魅了のように強い力じゃないけど、悪い印象を与える事はない。さらに正妃は口が達者というか、外交に強かったみたいで、異種族を従えるきっかけ、大陸統一の大きな力となった。
正妃が利用されていたのか、心から皇帝を愛して尽くしていたかは分からない。どちらにしても彼女の支えは、皇帝にとって、無くてはならないものだったんだね。正妃の早過ぎる死は、大帝国の屋台骨を揺るがせた。
次々と離れていく異種族と属国を繋ぎとめるため、皇帝は仕方なく婚姻政策を繰り返す。自らも沢山の側室・妾を抱えこんだし、有力な勢力には皇室の姫を次々と下げ渡した。とりわけ大きな存在だった、炎の精霊王には十数人もの姫が宛がわれたらしい。……ぼくから言わせたら、とんでもない失策だよ。
晩年の皇帝は、妄執に取り憑かれた。かつての栄光を取り戻したかったのかも知れないね。正妃が生きていた頃は、なんでも上手く行ったのに。正妃の涙があれば、ずっと大帝国で君臨出来る。──正妃さえ、生きていれば!! そんな思いが、件の発言に結びつくのさ。
『次の皇帝は、“正妃の涙”を手にした者に』
ラクリマの一族からしたら、迷惑この上ないよね!? 一族総じて戦争嫌い、平和主義者の集まりなのに、長きにわたる戦争の原因になってしまったんだから……。
ラクリマの悲願は戦争を止める事。でも、皇帝の正妃のようになるのを恐れた。王を選ぶのも慎重になり、ルークスとの関わりを断絶する。必然的に暗躍が増えて、王族が権勢を誇る一方、ラクリマの名は歴史の闇に消えていった。
ラクリマは、気高い、誇り高いと称される一族。利用されるのを嫌い、策略・謀略なんて以ての外。……そんな綺麗事で戦争を止められるかってね。ぼくは常々そんな誇り、ドブにでも捨ててしまえと思っていた。そんな誇りに欠けるぼくだから、複数の王族に取り入っても、胸は痛まなかった。
きっとぼくはラクリマの異端児なんだと思う。一族特有の頑丈さもなく虚弱で、良心とか良いところは全部リッカに行ったんじゃないかな。ラクリマに伝わる貴重な異種族の知識なんかも、躊躇いなく売り渡して見返りを得る。だって……。
「ハリの花はいくらでも作って上げるから。お願い、私を置いて行かないで」
ぼくを抱き締める、優しくて温かい妹。ぼくの宝物。
度重なる戦争を止めようとして、父も母も、皆死んでしまった。ぼくにはもう、リッカしかいなかった。
「……わかってるよ、リッカ」
ごめんね、ぼくは平気で嘘をつくよ。どうあがいたって、ぼくの病は治らない。ぼくは、君を置いて行くんだ。
「だからリッカも約束してね。……何があっても強く生きるんだよ。自ら命を断ったりしないで」
君を生かすためなら、ぼくは悪魔にだって魂を売る。
「もちろんよ」
リッカは、ぼくの事を泣き虫だと言う。……違うんだ。ぼくはこの涙と引き替えに居場所を、安全を買ったんだよ。
リッカがぼくのためにパピの花を採りに行っている間に、後ろ暗い取引は行われる。老いた王族は喜んでぼくの涙を買った。完全に、一族の禁忌に触れる行為だ。それでもぼくは人脈を作り、大金を巻き上げる。ぼくがいなくなっても、リッカが生き伸びるための基盤を築いておきたかったから。
……ぼくは進行していく病に焦っていたのかもしれない。拙速が過ぎたんだ。
────ぼくの涙の噂が、あんな悪魔を呼び寄せるなんて、思いもしなかった……。
◁◁◁◁◁
「リク!! 気をしっかり持つのじゃ!!」
リンデンの叫びに、ぼくはハッとして目を開けた。気付いたら、唇を噛み締め過ぎて血が流れていた。折角リンデンに綺麗にしてもらったのにさ。……完全に、意識が過去に逝ってたよ。これもある意味走馬灯かな?
リンデンに抱えてもらってるおかげで、部屋の中がよく見える。真っ白い病室に、壁を飾るのはリンデンが作ったハリの花──懐かしいなぁ。リッカがぼくのために作ってくれたっけ。ついでにいつからいたのか、壁際に余計なのが二人。
ルークスソーリスの元宮廷魔道士と──リッカを殺した、亡国の王子だ。殿下達にはそれっぽく仄めかしたけど、殺害したなんて、ぼく一言も言ってないからね? ……ぼくがこいつらに持つ感情は、複雑なんてものじゃない。二人とも、ルークスソーリスの被害者でもあり、加害者でもあるから。それでも復讐には不可欠だったし、まだ、利用価値はある。
「……ねぇ、君達、リンデンを支えて……守ってよ? それが、最後の、罪滅ぼしだ……」
これから、大陸はもっと荒れるだろう。最大勢力が滅んで、天空城は地に落ちた。ぼくが反乱の旗頭にしたリンデンは、否が応にも時代のうねりに巻きこまれて行く。後始末を全て押しつけて行くようで、リンデンには申し訳ないと思う。そう伝えたら、リンデンは秀麗な眉を曇らせた。
「そう思うなら! 頼む、生きてくれ……。ハリの花を沢山沢山、作るからっ……ルリの花ならきっと、お前の病気を治してくれる!!」
リンデンは泣き虫だな……。ぼくは、彼女に出会ったばかりの頃を、振り返る。