幕間~名を捨てた王子~
…………………リク、リ……にいさ………。
人形姫は、最期に血の通った笑顔を浮かべ、ディアマンドではない男の名前を呼び、逝った。……違和感は幾つもあったんだ。
首には怪しい首輪。彼の国では下賤とされる黒い服に身を包み、それに、あの目の色。ディアマンドの情婦のように言われていたが、真実はどうだったのだろうか。
手遅れなのに、今更人形姫の事を知りたいと思ったのは、彼女がオレと同じディアマンドの犠牲者だと、薄々分かっていたから。
───オレは、貧しい小国の王子として生まれた。猫の額のような土地に、わずかな民。王家と言っても畑仕事もこなすような、名ばかりの王族だった。何の旨みもない土地なのに、ディアマンドに狙われたのは、代々伝わる家宝があったせいだ。
『………なんだ、ただの青玉か。“正妃の涙”ではないな。ハズレだ』
父王の遺体から取り上げた王冠を弄びながら、あいつは嗤っていた。
『無駄足だったな。コレは妃にでもくれてやるか。次の噂こそ当たりだと良いのだが……』
無駄? オレの家族を殺し、民を殺し、ダークエルフの領土など、統治する価値もないと焼き払ったくせに、無駄足だと!?
………………………………絶対に、許さねぇ!!!!
全てを失ったオレは、王族の誇りも名前も捨てて、復讐者に成り下がる。
父は、最期まで王としてディアマンドと戦った。ダークエルフではなかった母は、他国から駆け落ち同然に嫁いだ身で、王族の血が濃い。誇りを汚される前に、自ら命を断った。一人逃げ出し、生き残ったオレには、元より王族を名乗る資格なんてない。
ディアマンドへの復讐を誓い、この手を汚してきたんだからな……。賊紛いの事をして蓄えた力、似たような境遇の仲間を集め、凶暴な竜を手懐けて作った軍団は、どんな騎士団にも引けを取らない。後ろ暗い手を使い、銃だって手に入れた。全ては、あのディアマンドに一矢報いるために。
しかし機は熟した、と城への襲撃を決行したのに、結果は失敗。たった一人、人形姫を殺しただけで終わり、王冠を取り戻すには至らなかった。…………その日以来、オレが死を与えた少女の顔が、声が、焼き付いて離れてくれない。
最期の表情が、怒り、悲しみといった負の感情だったなら、きっとこうも揺らがなかった。最期の言葉が、憎まれ口やディアマンドの名だったら、疑問を覚える事もなかった。人形姫は何を思い死んでいったのだろう? まるで消えない傷が刻まれたようで、気持ちが悪い。……少し、調べてみようか。
オレは手を尽くして、人形姫───名前も知らない少女の情報を集めようとし、追い込まれる羽目になる。
▷▷▷▷▷
乾いた音が弾ける。右肩を撃ち抜かれた。続けざまに両足を撃たれ、オレは不様に地べたを這い蹲った。転移で逃れようにも、得体の知れない薬品で両眼を潰され、痛みがエルフの超感覚さえ妨げる。くそ、手も足も出ねえ!?
『王家の異能だの、精霊の加護だの、すでに時代遅れなんだよ』かつて自分の吐いた言葉が返って来たようだ………復讐も果たせず、オレは終わるのか。
「ごめんね-? これも命令なんだ。ぼくも死にたくないから……」
緊張感に欠ける間の抜けた声は、オレをはめた魔道士のもの。人形姫を調べていたオレに、接触してきた若い男だ。反ルークスソーリス、反乱軍の一員だと言われて、まんまと騙され、誘き出された。あいつの信奉者には見えなかったんだが……オレも焼きが回ったもんだぜ。
「ちゃんと約束は守ってあげるから、許してね? 奴隷ちゃんの事、ぼくが知ってる限りの全部を教えてあげる」
……奴隷、か。やはり、人形姫は望んでディアマンドの元に居たわけじゃないんだな。思わず自嘲の笑みが浮かぶ。
「奴隷ちゃんは可哀想な女の子なんだよ。殿下に見初められて、無理矢理奴隷にされたの。たった一人の兄と、自分の命を盾にとられてね。裏切らないように、行動を管理・監視する特別製の首輪を付けられて、命令を聞かざるを得なかったんだ」首輪はぼくが作ったんだけど?
語られる人形姫の経歴は、とにかく悲惨の一言に尽きる。ディアマンドに望まれたのに、瞳の色のせいで蔑まれ、味方のいない環境でいたぶられたらしい。オレと、似たような境遇だったんだな。ディアマンドに何もかも奪われ、生きる気力を無くしていたから、あんな安らかな顔で逝ったのか。
「────ねぇ。もう充分でしょ? 知りたい事は知ったし、君はもう一矢報いてるんだよ? あの子、リッカを奪われて、殿下はとち狂ったよ。奪われる痛みを思い知ったのさ」
…………人形姫は、リッカという名だったらしい。視力を奪われた暗闇の中、鮮やかに少女の姿が浮かぶ。最期まで、オレの中から消える事が無かった人形姫。物思いに耽っていたら、痛む右肩を蹴り飛ばされた。反動で後ろに倒れ込むオレに、何かが覆いかぶさった。
「感情のない人形なんかじゃない。兄想いの、優しい子だったんだ。君には君なりの理由があったんだろう。だけどぼくは、どうしても許せそうにないや。生け捕りにする手筈だったけど……いっそこのまま、ぼくの手で殺してしまおうか」
穏やかなようで、内に激しい怒りを秘めた声。なるほど、こいつも復讐者ってワケか。こうやって復讐の連鎖は続いて行くんだな。ははっ……不毛だ。
固く、熱い物がオレの額に当てられる。これは、オレから奪った銃だ。最初は右肩で、次は両足。最後は頭。ご丁寧に人形姫の死をなぞっている。……オレには、お似合いの最期かもな。最期の瞬間に浮かぶのは、仲間の顔でも亡き両親の肖像でもなかった。
宵闇のように深みがあり、冬の大気のように澄み渡った瞳。
銃を突きつけるオレの顔を映しているようで、その実、オレではない別の誰かを見ていた。鮮やかな笑顔でオレを魅了した人形姫。復讐も何もかも忘れ、のめり込みそうで、恐ろしかった。だから、人形姫が瞼を閉じた瞬間に引き金を引いたんだ。──とっくに、手遅れだったのにな。
……人形姫を殺した事、ずっと後悔していた。だから報いを受けるのは当然だと割り切れる。オレだって、覚悟して手を汚して来たんだ。殺されたって文句は言えねぇ。……死の寸前なのに、不思議と恐くない。笑って逝った人形姫のように、せめてオレも笑って逝こうじゃないか! ──最期に、名前を呼ぶ事は許してほしい。
「……リッカ、すまなかった。オレが間違ってたよ」
オレの謝罪と、銃声が響き渡ったのはほぼ同時だった。