宿題
翌日、戸森はいつものようにプールの裏に呼ばれた。
神崎に見られたことで大人しくなると思われた新垣たちの行動は、お咎めが無いということで大胆になっていた。
戸森は重い足取りでプール裏に向かった。暫くすると、新垣が姿を現し、その後ろから伊藤と杉田がニタニタ笑い、がに股で足を引き擦りながら歩いてきた。
誰にも見られないプールの裏まで来ると新垣が口を開いた。
「戸森ぃ、ガッコーいつ辞めんの?」
はははっと伊藤と杉田の二人が笑う。
戸森は顔を伏せ、神崎との会話を思い出す。
「カズ、戸森ビビってるから」
「そうか。何、震えてんだよ」
新垣が戸森の足を蹴ると戸森がよろけた。三人は面白がった。
「戸森、お前、学校辞めていいんだよ」
新垣が戸森の顔を直視しながら言った。
「あ、新垣くん」
戸森の声は震えていた。両足も震え、恐怖で手足の先は痺れ、呼吸が荒く、上手く息が吸えなかった。
「何だよ」
新垣が凄む。
「ぼ、僕と、け、喧嘩しよう」
言ってしまった。戸森は言ったことを後悔した。深呼吸をし、落ち着きを取り戻そうと必死である。
「はっ?!」
新垣が凄むと戸森は怯んだ。新垣が伊藤と杉田を見ると二人とも頷いた。
「上等だよ!」
戸森は新垣のことをじっと見つめていた。昨日のことを思い出していた。大丈夫、キャッチボールと一緒だ。
新垣が大きく振りかぶり、戸森に向かって拳を突き出した。
当たり前だが、素人丸出しのテレフォンパンチである。
戸森は新垣の動作をじっくり見ていた。来ると分かっていた。
顔面の左側を狙った渾身の右ストレートだった。直前であっさり止めた。伸びきらない新垣の右腕は戸森の左手に捕まり行き場を失っていた。
「離せよ! クソっ」
戸森は空いた右手で新垣の顔面にストレートを放つと、新垣の鼻が弾かれた。
新垣のヤられる姿に伊藤と杉田がたじろいだ。二人とも新垣と戸森を交互に見ながら、何もできずにいた。
新垣の鼻から鮮血が流れるのを見て完全に後込みしていた。
戸森は先生の宿題を遣り遂げた。
昨日のことだった。
「お前に宿題だ」
「えっ?」
神崎の言葉に戸森は戸惑った。
「宿題?」
「お前にちょっかい出してる奴は誰だ?」
「えっ……」
「誰だよ!」
苛立ちながら神崎はぶっきらぼうに訊ねる。
「新垣……」
「それから?」
「伊藤、杉田」
「じゃあ、その三人のうち、誰でもいい、喧嘩売ってこい」
「えっ!?」
「『え』じゃねぇよ。喧嘩売ってこい。喧嘩売って、殴り合え」
「無理だよ、勝てっこない」
「いいんだよ、勝ち負けは。喧嘩売って買ってもらえ」
「何で?」
「何でって、普通の生活が欲しいんだろ?」
「うん」
昨日の神崎との会話が蘇る。
戸森は目の前で鼻血を流す新垣を見つめながら、神崎の言葉を思い出している。
まだ終わってない。
まだ右拳にはピリピリとした感触が残っている。
新垣の側にいた伊藤と杉田はその場でじっとしていた。新垣はじっと戸森を睨んでいる。戸森は自らの優位性に気が付いていた。
戸森が伊藤と杉田の二人に一歩近付くと二人は恐れるように下がった。
「うちのクラスの副担の神崎先生に新垣君たちの誰かに喧嘩売るように宿題を出されたんだ」
「?」
三人は戸森の言葉を理解できずにいた。
「神崎先生が急に消しゴムでキャッチボールみたいなこと始めて、少し投げ合ってから言ったんだ。『パンチが飛んできたら、ボールだと思ってキャッチしろ』って。『殴ってくるって分かってるから止められる』、『空いた拳をそいつの顔面に叩き込め』って」
三人は戸森の顔を見つめるだけだった。
「新垣君、伊藤君、杉田君、放課後付き合ってほしい」
「はっ?!」
「もう休み時間が終わる。誰もいない放課後なら、いくらでも時間がある」
戸森の挑発とも取れる言葉に新垣たち三人の怒りがこみ上げた。‘戸森ごとき’に舐められたまま終われないと三人は思い止まった。
「上等だよ、てめぇ覚えてろよ」
戸森は早足で教室に戻った。放課後まで三人とは顔合わせないようにした。そんな戸森を余所に三人は戸森にずっと鋭い眼光と敵意を向けていた。
戸森は放課後まで生きた心地がしなかった。




