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FIGHT CLASS  作者: 元馳 安
34/39

戸森 対 鈴木


「先生だったら、鈴木とのファイトはどうしますか?」

 高田馬場のスポーツセンターでいつものように稽古する戸森が何気なく神崎に聞いた。


「俺だったら鈴木とのファイトは、打ち疲れるのを待つな。打たせて打たせて、打たせまくる。パンチは空振りが一番疲れるからな。空振りさせて、二、三発当てさせる。

 でもそれじゃあ、ファイトじゃないよな」


 戸森は何も言わなかった。


「俺が殴ったら鈴木はタダじゃ済まないよ」

 神崎の言葉に戸森は頷くしかなかった。



 戸森は鈴木とのファイトのことで家でも悩み続けた。

 自分の手でクラスメイトに大怪我を負わせるかもしれないのだ。


 自分に憧れを持つクラスメイトは病気で闘うことができない。不憫に思う自分は高慢なのか、相手を可哀想と思う自分はそんなに偉いのか。

 戸森は明らかに鈴木を見下していた。



 土曜日の朝から新垣と土手を走り、午後に神崎と稽古をした。その間、ずっと戸森は悩んでいた。

 日曜日に体を動かしても答えは出てこなかった。不安を取り除くために戸森は体を動かしていた。


 月曜日から学校が始まると、いよいよ今週の土曜日はファイトである。

 殴れない。諦めかけた戸森は神崎の言うように打たせて終わらせようと考えた。



 次の日、早朝に新垣と土手で待ち合わせした戸森はランニングをしてから登校した。

 戸森は時間に余裕を持って登校したが、新垣は時間ギリギリで登校し、授業中はずっと寝ていた。


 戸森は無意識のうちに鈴木を目で追っていた。


 自分の拳が立派な凶器となっていることに改めて気付かされた。



「サタデー・ナイト・フィーバーをもじって、サタデー・ナイト・ファイトにしようぜ」

 休み時間中に聞こえた新垣の声に戸森は反応した。

 新垣が周りを気にせずにファイトのことを話しているのは分かっていた。戸森は何も言わずに新垣を見るだけだった。




「先生、今週の土曜日のファイトなんですけど、先生の言う通り鈴木に打たせて終わりにしようと思います」

 戸森が神崎に相談があるというと、放課後に神崎と教室で待ち合わせた。


「なんか技とかないんですか? 相手に傷を負わせることなく、気絶させる技とか」


「ねぇよ。あっても簡単じゃねぇよ」

 戸森は自分で言ったことだが、ある訳がないと分かっていた。


「相手を壊す技しかないよ。技っていうか、武術は元々、人を壊すことを目的として作られてる。今の時代とは真逆の時代に作られたものだから、今使われずに技が消えていくっていうの平和でいいことなんだよ。

 武術がまだ生き残れるとしたら、武術の裏の面とされていた活法だ」


「活法……ですか?」

 聞き慣れない言葉に戸森が聞き返す。


「活殺術といって、武術は人を壊す面と治す面がある。それを活法と殺法と呼んだ。

 うちの流派では活法は技の裏として、医術の意味で活法を受け継いでたんだよ。整体法とか、救急法とか、薬法とか」


「じゃあ、活法を教えてください」


「いいよ。でも、ファイトで使えそうなのはないよ」


「技が載ってる本とか、巻物とかないんですか?」


「あるよ。今からウチに取りに来いよ」



 戸森がその日、「誰にも見せるなよ」と言われて渡されたのは汚れのない真新しい幾つかの巻物だった。

 それは神崎本人が書き直し、更に神崎自らが新しく書き入れた物もある新しい巻物だった。


「分かり(にく)いけど、一応、図解みたいなのもあるから自分で勉強しとけよ。分からない技とかあったら、分かるまで読めよ」


「教えてくださいよ」


「馬鹿野郎、自分で勉強するのが修行なんだよ。うちの流派はそういう方針なの」

 晴明流柔術の本質を見た気がした戸森だった。






 戸森はそれから書物を読み漁った。トレーニングの時間はしっかりと確保し、勉強も怠らなかった。削った時間は寝る時間である。

 寝る間を惜しんで読書に没頭した。


 短い時間だった。新しい技など体得できるはずがない。失敗すれば大怪我を負わせるかもしれないのである。

 戸森は最初に決めた「打たせて打たせて、打たせまくる」ファイトで終わらせようとした。


 そして、土曜日が来た。



 十月半ばのこの季節は日もだいぶ短くなり、日が沈むと気温はぐっと下がった。


 戸森が地下室に入ると既に何人かのメンバーがいた。


 新垣と鈴木が現れると、

 何もない地下室をキョロキョロと見回す鈴木は滑稽に見えた。


 その場にいるクラスメイトもいつもと全く違う雰囲気を醸し出している。

 鈴木はその場にいることに居心地の悪さを感じていた。


 暫くして神崎が現れると、鈴木は驚きのあまり素っ頓狂な声を上げていた。


「鈴木、ここのルールは単純だ。このことは誰にも言うな。分かったか」

 神崎の言葉に小刻みに鈴木が頷く。



 神崎は簡単なルールを口にした後、すぐにファイトが始まった。


 鈴木は何が起きたのか分からないようだった。

 名前を呼ばれた者同士が突然、殴り合いを始めたのだ。


 あまりにも衝撃的な光景に鈴木は目を背けそうになった。

 しかし、周りの者たちの反応は違った。


 みんな本気だった。まるでつまらない日常を拳で吹き飛ばす爽快な風がその場に吹いているようだった。


 見る見る鈴木の表情が変わっていく。


 目の前で繰り広げられる殴り合いは夢か幻か。

 日頃から見るクラスメイトたちとは違う姿である。


 そして、味わったことのない熱気。


 鈴木は人熱(ひといきれ)で立ち眩みを起こしそうになっていた。

 鈴木にとっては怖い世界であり、眩しい世界である。


 一組が終われば、また一組と次々に誰かと誰かが殴り合う。


 殴り合った者同士、健闘を讃え合っていた。

 まさに「健やか」に「闘う」を体現していた。鈴木の目には「拳闘」から「健闘」が生まれたのではないかと思った。


 鼻血を流しながら闘う者、瞼を切っても殴り合う者、目が紫色に腫れても前に出る者、みんなが熱く燃えていた。


 鈴木にはみんな格好良く見えた。



「戸森、鈴木、グローブはめろ」

 神崎の言葉に戸森が頷く。


 不意に呼ばれた鈴木はあまりの緊張感に返事ができなかった。


 戸森が淡々とグローブをはめる。その様子に鈴木が慌ててグローブをはめようとしたが、グローブのはめ方が分からなかった。


 見兼ねた新垣が手伝い、生まれて初めてグローブをはめた鈴木は足が地についておらず、浮き足立っていた。




「やれ!」

 神崎の声に二人は固まったままだった。


 膠着する二人を周りは固唾を飲んで見守っていた。



「鈴木、打てよ」

 戸森の声に鈴木が顔を上げる。


 鈴木が振り被るようにオーバースロー気味に出した右の拳。

 戸森の顔面目掛けて飛んでくる拳は遅く、軽かった。


 それでも、フルスイングで放ったパンチは戸森の顔面を打つと十分な衝撃を与えた。


 グローブ越しに硬いものが拳に伝わると、その感触に鈴木は驚いた。

 初めて人を殴ったのである。


「来い!」

 戸森の言葉に鈴木がなりふり構わずに腕を振り回した。

 戸森は全てのパンチをスリッピングやウィービング、スウェーバックで(かわ)した。


 空振りする度に鈴木が空気を貪る。肩で荒い呼吸をする鈴木はいくら酸素を吸っても足りないようだった。

 酸欠や過呼吸で倒れるのならそれでいい。


 何分も鈴木は追いかけ回し、戸森は逃げ回った。

 たまに当たるパンチも全て首を絶妙に回転させて威力を殺していた。


 鈴木の疲労はピークに達し、立っているのもやっとの状態だった。

 これでいい、みんなが見守る中で鈴木は立派にファイトをやってのけたのだ。

 戸森の中で納得し、鈴木とのファイトは一人で完結していた。



 しかし、鈴木の目はまだ光を失っていなかった。何かを見ていた。


「うあぁーー!」

 不恰好に殴り掛かる鈴木のパンチを避ける戸森。鈴木が体ごと流れると、戸森はパンチを避けながら、鈴木の体が倒れないように支えた。


 近付いては離れ、離れては近付き、それでも鈴木を翻弄した。


 限界のはずの鈴木は諦めなかった。薄く涙を浮かべたような、真っ赤になった目には意味があったのだ。

 戸森は気付くのが遅過ぎた。


 鈴木は戸森に本気でファイトして欲しかったのだ。


 その諦めない眼差しの意味が戸森にはやっと分かった。


 鈴木は俺に勝ちたいんだ。


 戸森は今までの自分の考えが間違っていたことに気付いた。



「鈴木、耐えろよ」

 戸森の言葉に鈴木は荒い呼吸を飲み込むかのように頷いた。



 一瞬で間合いを詰めてジャブを放つ戸森、そのジャブは鈴木の顔のすぐ横を突き抜けた。


 戸森のジャブは鈴木には見えなかった。


 目の前にいきなり現れるグローブに鈴木は目を(つむ)り、腰を丸めた。

 すぐ横を通り過ぎる拳の風と音を体感するだけで精一杯だった。

 そしてその体で感じる恐怖に(まみ)れた闘いの空気が新鮮で、今まで経験したことない興奮を味わっていた。


 目の前を通り過ぎるフックが鈴木の前髪に触れると髪の毛が焦げた気がした。


 パンチの恐ろしさに(すく)み上がり、戸森の気迫に圧倒されると、それだけで鈴木は倒れそうになった。

 堪らずその場に腰を下ろそうとするのを鈴木は頑張って踏み止まった。


 鈴木の顎にそっと拳を添える戸森。



「ごめんな」

 戸森は静かに呟いた。


 鈴木は絶好のチャンスと思い、拳を大きく振りかぶった。


「晴明流柔術 当身技 (とおし)


 鈴木の顎に固着させた拳を戸森は顎の先端のみを貫くように打ち抜いた。


 その衝撃は物体の先から始まり、全体にまで波状の振動が広がるような衝撃だった。

 顎から伝わった振動が鈴木の脳を揺らした。鈴木は一瞬にして脳震盪を起こすと立っていられなくなった。


 神崎はじっと戸森を見つめていた。戸森の体の動きを見ていた。教えていない技であり、渡した巻物に書いてある技とはいえ、一週間で体得できるほど簡単ではない。


 技には「起こり」があるが、「(とおし)」の「起こり」は特殊だった。

 オーバースローのように振り(かぶ)ることも、もしくはワン・ツーのように助走やタメや体移動もない、相手との距離がゼロ、密着している状況で打つことができるパンチだった。


 戸森の体は足から拳まで波が伝わるかのように力が伝わっていた。足先から拳まで蛇が(うね)るようにして全身が波打っていた。

 ロープを跳ね上げて、その衝撃を先端まで波動のように動かす様は見事としか言えなかった。


 「(とおし)」は強固な地盤をも貫いて内部を突き刺す鉄杭をイメージした技である。

 見た目は中国武術の寸頸のような打ち方であるが、戸森は中国武術を全く知らないで「(とおし)」を打った。


 中国武術には発勁というものがある。「気の力」と言われる「伸筋の力」や「張りの力」、「体重移動による力」を利用して発する力である。


 琉球から伝わったとされる空手にも発勁に似た技や、寸頸のような打ち方はある。


 截拳道(ジークンドー)を作ったブルース・リーのワンインチ・パンチも同じものだと言われており、ブルース・リーがワンインチ・パンチを披露した際、ワンインチ・パンチを受けた相手は後方に数メートル飛んだ。


 加えて、その場では安全を考慮し、パフォーマンスのために“相手を吹っ飛ばす”というワンインチ・パンチの威力を見せた。

 これを内部破壊のイメージで行うと“浸透勁”と呼ばれる打撃に変化する。

 衝撃力を圧力に変える技法である。


 晴明流柔術の(とおし)はパンチやキックの攻め、ブロックなどの受け、様々な攻防を省略して相手に届く技である。


 素手ではピンポイントで小さな的を的確に当てることが出来なくとも、拳よりも大きなボクシンググローブならば、その的も狙いやすくなる。

 また、素手では相手の顎に打ち込めたとしても狙い通りの衝撃は与えられないことが多い、しかし、摩擦係数の高いボクシンググローブだからこそ理想の打撃を与えることができた。

 戸森がこの技を出す際、ボクシンググローブをはめていたことは運が良かった。


 ボクシンググローブの特性を活かした間合いゼロの接触打だった。


 打撲、擦過傷などの外傷を極力避けて衝撃を与える技は戸森が今回理想とする技であった。



 一瞬にして脳震盪を起こして昏倒した鈴木を丁寧に抱き抱える戸森は最後まで優しかった。


「何だあれ?」

 興奮した新垣が目を丸くしていた。

 (はた)から見れば、拳が触れていないのだ。

 戸森の鋭い拳は鋭利な刃物で、天井から伸びる鈴木を吊る糸を切ったかのようだった。自由を失った鈴木が倒れたように周りには見えた。


「漫画みてぇだな」

 戸森のファイトには華がある。それは見る者を魅了する不思議な力があった。

 



 戦闘において、技を出す際に威力というものは大きなポイントとなるが、その技の性質は特に大きな要点となる。


 ボクシングのジャブやストレート、フック、アッパー、ムエタイの肘や膝の攻撃、柔道での手技、投げ技、足技、絞め技、関節技、様々な格闘技の技は使い所があり、その技の特性がある。


「相手の身体に触れた状態から打撃できる」という点は様々なところで役に立つ。それは相手の防御の裏をかけるのだ。


「相手の身体に触れた状態から打撃できる」という利点に加え、「防御なしでは耐えられないほどの打撃力を持つ」というものが、この技の優れた点であった。


 戸森が今後最も得意となる技である。





「次、谷垣と伊藤」

 名前を呼ばれた二人がグローブをはめると戸森と新垣、そして数人で鈴木を静かに運んだ。

 鈴木はただ眠っているだけのようだった。



「戸森」

 神崎に呼ばれた戸森はグローブを外して神崎に近付いた。


「お前、俺が渡したやつ見て「(とおし)」覚えたのか?」

 神崎の言葉に戸森が頷く。


「「(とおし)」は体の使い方が重要だ。お前の体の使い方は無駄があるが良かった。何で分かった?」

 重要なのは下半身である。戸森の下半身の使い方は見事だった。


「接してるあの技が一番打撲とか擦過傷のダメージがないと思いました。なので、一番力が伝わる方法をずっと考えてました。足でタメを作ってその力が伝わればと思ったのと、足でタメを作るしかないと思いました」

 戸森のリスト(手首)の力が強いことは神崎は知っていた。そのため、左のトリプルを打つのも、的確に素早く行えたのだ。しかし、下半身の強さがここまで強いことは予想だにできなかった。

 以前とは違い、今は安定感がある。戸森が毎日走り込みをしているなど神崎は思いもよらなかった。


「お前、強くなるよ」

 神崎の言葉に戸森は嬉しそうに笑った。





 鈴木が目を覚ます頃には全員のファイトが終わっていた。



「お疲れ、大丈夫?」

 戸森の言葉に頷く鈴木。

 鈴木は今いる地下室が初めに見たものと違うような気がした。


「脳震盪を起こしたからあんまり動かない方がいいよ。精密検査とか受けた方がいいの?」


「大丈夫。外傷出血もないし、頭を打ったわけじゃないから。僕は血友病だけど、血が止まりにくいだけで、血が出やすい訳じゃないから。むしろ血管は丈夫だがら」

 鈴木の言葉に戸森が頷く。鈴木の姿はファイトの後などまるでなかった。


「鈴木は康夫だから、「やっちゃん」だな」

 新垣が鈴木を見て口にした。


「いいねぇ。これから「やっちゃん」って呼ぼうよ」

 鈴木はもう仲間だった。





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