友達
「お前なら、一瞬の恐怖と、一瞬の興奮を与えられる」
戸森が神崎と師弟関係を結んだ日、戸森は鈴木とファイトすることを渋々了承した。
次の日、戸森が鈴木に目を遣ると、目が合った鈴木は慌てて視線を逸らして取り出した教科書を読み耽りだした。
鈴木だけではない。戸森が周りを見ると、目が合うクラスメイトたちは途端に視線を泳がせた。
戸森はそれまでクラスメイトに興味がなかったことに気が付いた。
普段から見られていることに今更ながら気が付いたのだ。
一歩外へ出れば、道端を歩いている人たちを警戒して見ている戸森も教室の中は唯一気を抜いている場所なのだと思った。
鈴木の痩せ過ぎている体を戸森は見ていた。
怪我をさせないように勝つことなどできない。
その時、少し離れた場所で秋葉 美香と吉田 美里が新垣に声を掛けていた。
「新垣、ボクシングって喧嘩のためにやってるんでしょ?」
吉田 美里の言葉に戸森はドキりとした。
「時々怪我してるけど、あれって喧嘩でしょ?」
「うっせーな! 喧嘩じゃねぇよ! 殴り合いだよ!」
新垣の口の軽さが戸森には嫌だった。
「同じじゃん。ていうか、殴り合いってちょー野蛮じゃん」
「うっせーな! あっち行けよ」
新垣が邪険に扱うと女子二人は新垣から離れた。
「何ムキになってんの?」
「ていうか、ボクシングとか暴力じゃん。全然、格好良くないし」
ボクシングはスポーツであり、何より格好良い。
何も知らない、分かっていない女子がボクシングすらも勘違いする中で、自分たちが殴り合いにハマっていると知ったら卒倒するのだろうと戸森は思った。
暴力は暗い。
戸森は新垣に言われたことを思い出していた。鈴木が自分のことを憧れていると言っていたことである。
運動が苦手という程度ではない。
運動することすら、制限されている鈴木が言う、「強さへの憧れ」は生半可なものでは無いというのは戸森には分かっていた。
暴力は暗い、しかし、その暗い世界が闇夜の月明かりのように美しく見えるのだろう。
太陽の光の下には決して出ることが許されない。
暗い中にしか見ることのできない繊細な光に鈴木は憧れたのだ。
自分もそうなのだと思った戸森は、神崎さんの言わんとしていることが分かった気がした。鈴木にファイトの楽しさを教えることができるのは自分なんだと思った。
そう思うと戸森はやる気が出てきた。
放課後、暇を持て余していた新垣はやることもないので、駅前のゲームセンターに向かっていた。
伊藤は月曜日、水曜日、金曜日に空手の道場に真面目に通いだし、杉田はボクシングジムに伊藤と同じ日に通っている。
月曜日は新垣にとって一週間の学校の始まりの日であり、誰とも会えないということもあって好きではなかった。
伊藤たちと連む火曜日と木曜日以外は基本的に暇であり、寂しさを感じていた。
それでも、自主トレをするようになり、その時は寂しさが紛れている。
今日この日、寂しさを紛らわすように向かった場所は駅近くのゲームセンターだった。
店内に入り座った筐体は格闘ゲームだった。
ゲームマシーンに百円を入れ、暫く遊んでいると、後ろから新垣に近付く者たちがいた。
「新垣さん! ちわっす!」
突然の大きな声に新垣は驚き振り向いた。
そこには瑞江第三中学校の制服を着た生徒が三人で新垣に頭を下げていた。
「誰?」
「自分、三中の二年の神田って言います、こいつが渡辺で、その隣が田中です」
神田という男子も、渡辺も田中も新垣に頭を下げていた。
知らない顔である。
「はぁ……どうも」
新垣は気の抜けた返事をしていた。
「新垣さんと金田先輩の喧嘩見させてもらいました。二中の伊藤さんと戸森さんの喧嘩も凄かったです」
金田という名前は初めて聞いたが、三中との喧嘩はお祭りの日しかない。新垣は三人はあの日にいた三中の生徒だと分かった。
「あぁ、あの時にいたんだ」
「はい!」
同年代から敬語を使われることがむず痒い新垣は三人の視線に戸惑った。
「……お、おぅ、これやれよ。俺、用事あるから丁度良かったわ」
特に用事などない新垣は自分がプレイしている格闘ゲームを譲った。
百円が無駄になった。
「ありがとうございます!」
「お、おぅ」
頭を下げる三人にてきとうに返事を返す。
居心地の悪さを感じた新垣は逃げるように去って行った。
駅前のデパートを当てもなくぐるぐる回り、街灯が寂しく灯る家までの夜道をのろのろと歩いていた。
時刻は十九時を回っていた。
不意に新垣が携帯電話を取り出すと、連絡した先は戸森の携帯電話だった。
『もしもし』
戸森の声が通話口から聞こえる。
その声は幾分か疲れているように思えた。
「もしもし、戸森、今大丈夫か?」
『うん、大丈夫だよ』
「そうか。いや、特に用事は無いんだけどさ、暇でよ。伊藤も杉田も道場とかジム行ってるし、まぁ、戸森もトレーニングしてるけどな」
『俺はもう終わったから大丈夫だよ』
「そっか……また強くなったな」
『いや……俺は弱いよ。やればやるほど分かる』
「そんなことねぇよ。俺らの中じゃあ、戸森が一番強ぇよ! その……俺の知ってる中じゃあ、一番強ぇのは戸森だよ」
『ありがとう。じゃあ、期待を裏切らないように頑張らないとね』
「おう、頑張り過ぎんなよ。……悪ぃな、特に用事もねぇのに電話して」
『別にいいよ。暇だし』
「そっか……ありがとうな……」
言いたいことを言えない新垣が言葉に詰まる。
しかし、まるで気持ちを察したかのように戸森が口にした言葉は新垣にとってこれ以上ないほど嬉しいものだった。
『カズ、今から会う?』
「えっ? ……大丈夫なの?」
新垣は誰かといたかった。それが信頼できる仲間であれば、尚一層良かった。
『俺は全然大丈夫だよ』
「そうか……会うか! じゃあ、伊藤と杉田にも声掛けてみるか!」
二人は地元の神社の近くにある河川敷で落ち合った。
河川敷は寒かった。昼間は暖かくシャツ一枚でも十分に過ごしやすいが、日が沈むと気温は一気に下がり、風が冷たかった。
新垣が河川敷に着いて間もなく、チノパンにチェックのシャツ、Pコートを着た戸森が現れた。
外見だけならば、決して強そうに見えない。逆に弱く見せようとしているのかと思うほどの格好だった。
「戸森、悪ぃな」
先に着いた新垣は煙草を吸い、二本の缶コーヒーを手に戸森を待っていた。
「ありがとう、別にいいよ」
一本の缶コーヒーを戸森に渡す。
「今日は何やったんだよ、トレーニング」
「朝走って、学校終わって家に帰ってからジャブとストレートとフックとアッパーを千本ずつと腕立てとか腹筋とかの筋トレ」
中学生のトレーニングメニューではなかった。
新垣が大袈裟に目を見開く。
「戸森が一番強ぇよ」
「……中村さんとやって投げ技と締め技が怖くなって、柔道の技を調べたんだ。
投げ技で死ぬかと思ったら、締め技で失神させられて、あれは俺の負けだった。
しかも、その後の冨樫なんてボクシング始めて二週間だしね。
今やったらきっと二人には勝てない。練習すればするほど自分が弱いって分かる」
新垣は戸森の強さの秘密が分かった気がした。単純に強くなることに貪欲なのだ。
「戸森……実はさぁ」
「カズ!」
新垣が口を開いた時に伊藤と杉田が姿を現した。
「悪い、遅くなった」
空手着にダウンジャケットを羽織る伊藤と、ウィンドブレーカーを着る杉田は練習終わりでそのまま来た格好だった。
「おぅ! 悪ぃな! 暇でよ」
照れながら話す新垣は戸森に言いかけた事を飲み込んだ。
四人はそのまま河川敷のブロック塀に腰掛けて話した。
伊藤の空手稽古のこと、杉田のジムのこと、三年のこと、三中のこと、殴り合いの会のこと、四人は取り留めもなく話していた。
戸森が何気なく口を開く。
「そう言えばさぁ、一年の時に何で俺ハブられてたの?」
戸森の言葉に三人は固まったが、戸森にとってはどうでもいいことだった。恨みなどない。
口に出したのは偶々(たまたま)だった。
「戸森って奴がオナショウ(同じ小学校)の女子に対して酷ぇ振り方したって。小学校で調子に乗ってたって噂が流れたんだよ。それで懲らしめてやろうってシカトしだしんたんだよ。戸森、ホントあの時はごめん」
杉田が頭を下げると、新垣も伊藤も頭を下げた。
「いや、別に気にしてないからいいよ」
「最初は面白がってやってたんだよ、別に戸森のこと何とも思ってなかったし、でも日が経つにつれて、段々嫌な奴に見えてきて」
新垣が口を開く。
「入学したばっかのときはオナショウ(同じ小学校)の奴とは仲がいいわのはあながち外れてはいなかった。
「その噂流した奴って誰か分かる?」
「知らね」
新垣が首を横に振ると伊藤と杉田も知らない様子だった。
戸森は先日の木内 絵里香の告白の時に言っていた言葉を思い出していた。
鈴本 真佐美の言葉を鵜呑みにした木内が、良からぬ噂を流したのではないか。
もしそうならば、自分の居場所を作るために誰かの居場所を奪ったのかは分からないが、勝手な考えで迷惑を被ったのが自分であると戸森は思った。
「あの時は何つうか、やっぱ楽しんでた自分がいた。けど、今はファイトもしてるし、戸森って男が分かる今は後悔してる。本当に申し訳ないことをした」
「戸森ごめん」
新垣が頭を下げると、杉田も伊藤も頭を下げた。
戸森は虐めを受けていた過去を気にしていなかった。自分を虐めることで持つことができた仲間意識は今はない。
そんなことでしか仲間との繋がりを持てないのは、悲しいことであり、くだらない。
殴り合いの会で芽生えた仲間意識は決して簡単に消えるものではないと戸森は思った。
分からない奴がいるからこそ、自分たちの犯罪紛いな行動を家族や友人、クラスメイトには言えなかった。
戸森は戸森なりの方法で虐めを解決した。
決して人に言えるような解決策ではない。
知らない者からすれば軽蔑されるかもしれない。何も殴り合いなどしなくても、言葉で仲良くなれば良いと言われるかもしれない。拳でしか分かり合えない野蛮人と罵られるかもしれない。
拳でしか分かり合えないんじゃない、拳が一番分かり合えるんだ。
戸森は目の前にいる仲間を見た。
「カズ、俺にも吸わせてよ」
新垣 一成が吸いかけの煙草を戸森に渡す。神崎と同じ銘柄の煙草だった。
戸森は神崎の何でも真似た。
煙を一息に吸う。
「ゴホッ、オホッ、オエッ、オォッ……」
猛烈に咽せる戸森を新垣たちは笑った。
煙草だけは神崎先生を真似なかった。
殴り合いの会は伏魔殿である。
「そういえばさぁ、今度のファイトで鈴木とやるの俺なんだよね」
戸森が口を開く。
「マジで? 殺すなよ」
新垣が笑いながら冗談を言った。
「それが心配なんだよね」
冗談で言ったつもりだが、戸森の目は本気だった。
戸森の言葉に三人は掛ける言葉が見つからなかった。
戸森が静かに話す。
「鈴木って血液の病気で血が固まり難いんだって。内出血でもヤバいんだってね。だから、どうやってやろうか困ってるんだよね」
戸森の言葉に三人が声をだして驚く。一番驚いたのは勿論、新垣だった。
「マジで?!」
「うん。怪我させないようにしないと」
「マジか……すまん! 俺のせいだ!」
鈴木を誘った新垣が申し訳なさを感じた。
「まぁ、しょうがないよ。鈴木の強さに憧れる気持ちは分かるし」
その言葉に新垣の心も動かされたのだ。
「鈴木が戸森のこと「憧れる」って言った時に、殴り合いのこと知らないのに戸森のこと分かってる奴だって思ったら、なんか……誘っちまったよ。戸森のファイト見て欲しくて」
「あとは俺次第だ」
まるで他人事のように緊張感のない戸森は新垣たちにとって頼もしい存在だった。
「戸森、お願いがある」
真剣な表情の新垣が戸森を見つめる。
新垣たちと別れたのは二十二時を回っていた。
戸森は神崎の弟子になったことを新垣たちには言わなかった。
帰り道は寒かった。
家に帰っても両親からは何も言われなかった。
無視されているわけではなく、信頼のある放任だった。
学業の成績がどんどん上がる息子の何を咎めればよいのか戸森の両親には分からなかったのだ。
クラスでもテストは三位以内に入る戸森の成績が両親の不安を拭い取っていた。
それでも時折、打撲や擦り傷などの傷を作ると声を掛ける。
心配しないわけはないが、日に日に逞しくなり、友人関係も良好そうな息子に掛ける言葉が見つからなかった。
学校の成績が良いというだけで、信頼を得られるのだ。
戸森は「自分の親は何も見ていない」と思った。
戸森は疲れた体を横にすると深い溜息を吐いた。
翌日もいつものようにランニングである。しかし、翌日は一人ではなかった。
戸森は帰り際の新垣の言葉を思い出していた。
「弟子にしてくれってなんだよ」
新垣が戸森に弟子入りを志願したのだ。
戸森は丁重に断ると一緒に練習することを約束した。




