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FIGHT CLASS  作者: 元馳 安
31/39

戸森 対 冨樫



 土曜日は雨だった。九月も終わりを迎える。


 その日はやけに空気が冷たかった。



 戸森が地下室に着くと既に何人かの参加者がいた。

 この場所が自分たちの居場所であり、ファイトが始まれば爽快且つ刺激的な時間が過ごせる。

 ファイトか終わった瞬間のその熱で自分が生きているという実感を得られた。


 そんな居場所が一人の男に荒らされた。

 今もにこにこと笑顔を見せながらファイトを待っている。


 冨樫に誰も近付こうとはしなかった。隣にいるのは一条という男だ。


 冨樫は品定めでもするかのように周りを見渡していた。


 扉が開かれる度に入ってくる者の顔をじっと見ていた。




「全員いるか?」

 暫くすると神崎が現れた。


 神崎が到着する頃にはいつも全員が揃っている。


「先生、カズと伊藤と杉田がいません。あと何人かいません」


「そうか……じゃあ、始めるぞ」

 神崎の言葉に戸森は驚くもそれ以上何も言わなかった。


 神崎は軽くルールを説明するとファイトする者の名前を呼んだ。


「勝田と谷垣」

 神崎が名前を呼ぶと冨樫が動いた。


「俺にやらせてよ」

 冨樫の言葉を無視する神崎。

 神崎が一条に目配せすると、一条が冨樫を宥めた。

 そんな自分勝手な行動が戸森には許せなかった。

 静かに闘志を燃やす戸森。



 勝田と谷垣のファイトを黙って見つめる冨樫はつまらなそうだった。



 その時、扉が開かれた。

 そこにいたのは新垣たちだった。


「遅いよ」

 戸森が呟く。


「すいません、遅れました」

 新垣の言葉に神崎が頷く。

 中断するように勝田と谷垣の動きが止まるが、新垣たちの姿を目にするとまた始めた。


「戸森、大丈夫か?」

 新垣が戸森に近付く。


「大丈夫だよ。ゆっくり見ててよ」


「俺、見たくねぇよ。あいつはヤバいぞ」

 新垣の言葉に戸森は薄く笑った。その目には狂気の色が混じっていた気がした。

 

「次、戸森と冨樫、グローブ付けろ」

 神崎の声に新垣が観念したような顔をした。


 神崎から渡されたグローブを着けると戸森は違和感を感じた。というよりも感じずにはいられなかった。


「先生、これ小さいですよ」

「8オンス、試合用」

 神崎は平然と言った。


「8オンス?」

 ここまで革の薄いグローブは危険なものを感じた。

 そして、戸森は思い出す。自分がもっと薄いグローブで特訓していたことのだと。


「冨樫も8オンスで大丈夫か?」


「はい、これでやりましょう」


 


 周りの者が円を囲むように広がる。

 その中央に戸森と冨樫がいた。


「存分にやり合え、相手が降参するか、失神したら終わりだぞ」

 冨樫が笑う。


「やれ!」

 

 冨樫がオーソドックスに構えると、戸森は不用意に近付いた。


 周りの者は戸森に危険を感じた。ガードも何もしない様子の戸森は手を自然体のままだらんと下げている。


 冨樫が動く瞬間にそれは突然襲ってきた。


 ミドルキック(中段蹴り)だった。

 間合いに入った瞬間に戸森は速いミドルキックを蹴っていた。


 ガードで防いでいるが、面食らった冨樫は防ぐことしかできなかった。

 続け様に左のストレートから左のローキック(下段蹴り)と放つ。

 ローキックを(かわ)してカウンターを決めたかった冨樫だが、絶妙なタイミングで放たれたローキックはカットで防御するのが精一杯だった。


 蹴り技がまさかくるとは思ってなかった冨樫は少なからず面食らった様子だった。


 しかし、その顔には笑顔を携えていた。

 楽しくて仕方がないといった様子に冨樫の余裕が伺える。


 構えた冨樫が上体だけを動かすウィービングする。的を(しぼ)らせない冨樫。


 戸森の蹴りの威力にもパンチの威力にも満足していた。


 強い奴と闘いたい、直接口では言っていないが、顔に出ている。強過ぎる者の悩みだと戸森たちは思った。

 戸森にとって冨樫みたいな奴は初めてだった。


 戸森は果敢に攻めた。

 戸森の凄さに周りは度肝を抜かれた。冨樫のボクシングテクニックを知りながら近接で殴り合っている。


 当然、戸森の攻めの隙間を()い潜り、冨樫が打ち返す。

 ダッキングやスウェーバックを使って避ける冨樫に対して戸森はパーリングやガードで冨樫の打撃を防いでいた。


 冨樫に戸森の攻撃が当たらずとも、戸森も冨樫の攻撃を受けなかった。

 神崎の特訓の成果が表れている。


「戸森! いけぇー!」

「やれー!」

「そこだー!」


 高度なファイトに周りの者は熱狂していた。


 戸森が前傾姿勢になり、一瞬の隙をついて放った。

 冨樫のレバーを打ち、ストマック(胃)、テンプルを狙って立て続きに三連打した。


 左のトリプルだった。

 辛うじて防がれたが、戸森のトリプルに神崎は目を見開いた。トリプルを闘いで打てる中学生など滅多にいない。

 戸森も紛れもなく天才だった。


 冨樫に届きはしなかったが、冨樫は戸森の連打に反撃できなかった。


 (ひる)む冨樫の一瞬の隙を突く。




「肘打ちは危ないから誰にも使うなよ」

 特訓の最中に幾度となく言われた言葉である。

 戸森の中で冨樫にしか使えない技だった。


 左手をジャブのように繰り出すと冨樫はひょいとダッキングで(かわ)した。

 戸森は左手を下げずに冨樫の肩を捕まえると、滑らすように首元を掴む。


 そのまま首を引き落とすと冨樫の動きが止まり、体勢が崩れた。

 この反撃するタイミングを奪いながら体勢を崩すことができるというのが要だった。


 柔道の中村の襟元を掴まれた時の応用技である。


 左手で冨樫の頭部を固定し、近接で放った技は「晴明流柔術 当身技 (かけり)」だった。

 空手の肘を振り上げる肘当てという技に似ている。


 戸森の右肘が冨樫に襲い掛かる。首を固定し、引くこともできず、超近距離で前から振り上がるためにガードが間に合わず、逃げられるはずがなかった。


 しかし、戸森の(かけり)は届かなかった。


 当たったのは冨樫のバッティング、頭突きだ。

 後ろに下がれない冨樫は前進した。

 戸森の顔面に冨樫の頭突きが当たると、戸森の肘は空振りに終わった。


 戸森の鼻から鮮血が流れた。


 冨樫のディフェンス力に神崎は舌を巻いた。

 しかし、戸森は終わっていなかった。


 反撃を受け、唯一と言える機会を逃したショックを受けても、動きが止まってしまうほどの攻撃を受けても、次に繋がるか分からなくても、戸森は左手を冨樫の首から離さなかった。


 嫌がる冨樫が空いた空間からアッパーとフック、ボディーブローを左右に分けて連打で叩き込む。

 戸森はそれでも離さなかった。

 打撃では離れないと悟った冨樫が両手を使って突き離す。


 しかし、戸森は離れなかった。

 戸森の右手が冨樫の首を掴むと両手で冨樫の首を引き落とした。


 衝撃で冨樫の体が揺れる。


 「晴明流柔術 当身技 (せん)


 再度、頭部を固定して放ったのは膝蹴りだった。


 ムエタイの膝蹴りは基本的に首を固定する。


 両手を組んだ状態で肘を付けるように近付ける。

 この状態を相手に極めることで、相手の首が関節技のように極まる。

 首が極まった状態で左右に振れば、相手は簡単に動き、簡単にコントロールすることができる。

 神崎から教わった晴明流の膝蹴りも首を極めた状態のそれだった。


 狭い穴を穿(うが)つようにして、湧き出る(いずみ)

 強硬な地盤を吹き飛ばし水流を(あらわ)したのは必殺の膝だった。


 「湶」は気付かれないこそ意味がある。地中から突然噴き上がる流水をイメージしているのだ。

 戸森は右足を後ろに下げてタメを作ってしまった。


 タメを作り一気に冨樫の顔面に膝を叩き込む。


 しかし、一瞬の隙をついて襲い掛かる膝頭に冨樫が肘を打ち下ろす。


 冨樫の肘が戸森の膝頭に当たる。


 エルボーブロックで膝蹴りを防ぐと戸森は激痛に顔を歪めた。


 近接で瞬時に反応する冨樫は受けも天才だった。

 戸森の果敢な攻めを(ことごと)く打ち破った。



 神崎は悔しさで奥歯を噛み締めていた。

 戸森に闘い方を教えたのは神崎だ。中学生とは思えない闘い振りだった。戸森は十分だった。教えたこと以上のことをした。

 しかし、上には上がいた。



 戸森の中で何かが蠢めいていた。

 戸森が(わら)った。


 戸森のファイトに神崎は純粋な殺意を見た。

 まだ諦めていない。「(かけり)」が当たれば、まだ勝機はある。

 一度も見たことのない技を見切る冨樫である、一度見切った技を、当てることなど無いに等しい確率であるが、それでも神崎は戸森を信じたかった。


 何が勝たせてやるだ。神崎は軽はずみな言動だったと後悔した。


 戸森は負ける。そう思っていたのは神崎だけではなかった。


 距離を置かれると、戸森はなす術がないように思われた。

 新垣たちの目に戸森が笑ったことは強がりにしか見えなかった。


 肘打ちでダメージを負った足は上がらない。

 追い足を失った戸森は前傾姿勢になった。カウンターを狙っていることは誰の目から見ても明らかだった。


 冨樫が構わずに接近すると連打を見舞った。

 ガードを固めて丸くなると、好き放題打たれた。

 見切りの力がある冨樫は最小限の動きで体勢を崩さずに最大のダメージを与える。

 戸森のハンドスピードも異常だが、冨樫は速く、安定感があった。


 脇腹を打たれると戸森は思わずガードを下げていた。

 隙を突いて顔面を打たれる。


 戸森は動けずに立つのもやっとの状態だった。

 神崎がじっと戸森の様子を見ている。


 周りの者たちは声を失っていた。ファイトをこれ以上見ていたくなかった。



 満足した冨樫がファイトを終わらせようと止めを刺す。


 接近した冨樫が放ったのは左のトリプルだった。


 レバー、ストマックを打たれると戸森はまえのめりになった。しかし、それでも顔面を守る右手は下げなかった。

 ボクシンググローブ越しにガードの上からテンプルを痛打された。


 左のトリプルを返す冨樫。

 次に狙ったのは戸森の首だった。


 首相撲などしたことのない冨樫が見様見真似で戸森の首を両手で極める。


 固定された頭部に打ち込んだのはあの技だった。


 冨樫の口角が卑屈に上がる。


 神崎は見逃さなかった。戸森の口元がにやりと動くのを。



 「晴明流柔術 当身技 湶」を知らない冨樫、放ったのは膝蹴りである。

 戸森へのお返しだった。


 戸森の頭部を冨樫の膝が襲う。


 戸森の下半身はサウスポーのスタンスを取っている。


 冨樫の膝が突き上がる刹那、戸森は下を向いた上半身を一気に反転させ、床を見ていた顔が天井を見上げるまで反転した。


 体の中心を軸とし、独楽のように一瞬でクルッと回る。

 その反動で右腕を冨樫の顎目掛けて突き上げた。

 一瞬でタメを作り、一瞬で爆発させた。


「晴明流柔術 当身技 (せん)


 天空に光る稲妻のように一瞬で、揺れ動く炎のように煌く技。


 超近接距離からのカウンターショートアッパーであった。




「「(せん)」は「(せん)」で破る」

 神崎との特訓の際に戸森は「(せん)」を教えられた。


「まぁ、膝蹴りのカウンターだから、お前が冨樫に使うのは「(かけり)」か「(せん)」だよ。何回も言うけど、肘打ちは喧嘩でも使うなよ」



 あの時、一度だけ教わった技が「閃」であった。

 狭い空間の隙間を通ったのは一回り小さい8オンスのグローブだった。


 冨樫の上顎が跳ね上げられると、周りの者たちは声を上げた。


「戸森の野郎、やりやがった」

 神崎の両の拳に力が入る。その手には大量の汗がかかれていた。


 一気に熱が上がり、空気が沸き上がった。


「うぉーー!」

 新垣が叫ぶ。


 ショートアッパーを食らった冨樫は意識が朦朧としていた。

 膝が折れて前のめりに倒れる冨樫。


 そこから戸森は冨樫の顎目掛けて膝蹴り見舞った。


 グシャ!


 見事に冨樫の顎を打ち抜くと冨樫は仰向けに倒れて失神した。



 神崎との激しい組手で得られたものは打撃に耐え得るタフネスだけでなく、闘い続けられる体力だった。

 そう簡単に戸森は崩れない。

 戸森が疲れを装い、何か狙っていること神崎には分かっていた。


 左のトリプルも冨樫を相手取った挑発行為である。プライドを傷付けるように「やられたら、やり返す」をやり返させるための挑発行為だった。

 その後の膝蹴りから攻めなかったのは膝のダメージが原因でなく、冨樫からの打撃を受けて動きが鈍くなったことも、全てが冨樫に「閃」を決めるための布石だった。



 大の字に倒れる冨樫を見た新垣たちは大声で戸森の勝利を叫んだ。


 ふらふらの戸森は終わったことにほっとしていた。


 嬉しいなどという気持ちはなかった。

 みんなの喜ぶ様を見て、「良かった」と思うだけで、戸森は深い溜息とともに体を地面に下ろした。



 終わったのだ。


「戸森、やっぱお前は凄ぇよ!」

 駆け寄る新垣の笑顔が嬉しかった。


「強過ぎる」

 伊藤の言葉に全員が頷く。


「カズ、またみんなでやろう」


「おう、そうだな。俺も戸森のファイト見ててまたやりたくなったわ」

 新垣の言葉に戸森は頷いた。




 暫く経ち、冨樫が目を覚ますと何が起きたのか分からないかのように辺りを見渡した。

 そこに一条の姿はない。


「大丈夫か?」

 神崎の言葉に冨樫は全てを思い出した。


 呆然とした冨樫はじっと戸森を見つめていた。

 まるで今にも襲い掛かってきそうな勢いに戸森は身構える。


 暫く冨樫が戸森を見つめると、苦虫を噛み潰したような顔をして背中を向けた。

 ゆっくりと出口に向かう冨樫の肩が震えているように戸森は思った。


「泣いてんじゃねぇよ」

 新垣が呟く。



 何でもない、ただボクシングを始めて二週間の男に殴り合いで勝っただけだ。


 これで終わらない。戸森はそんな気がした。


 この日以来、冨樫がこの会に来ることはなかった。





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