冨樫 進
「冨樫 進君だ」
にこにこと笑う大人しそうな冨樫を見た者たちの受けた第一印象は「華奢」だった。
戸森たちよりも一歳年上だという冨樫は、神崎の友人にファイトに連れられて来たのだ。
二日前のことである。
夏休みが明け、神崎に声を掛けられた戸森は放課後に教室で神崎を待った。
中村との喧嘩で自身の体力のなさを痛感した戸森は夏休みの間に徹底的に体を鍛え抜いた。
トレーニングに励んでいる最中、ずっと中村との喧嘩を思い出していた。戸森は締められてからのことを覚えていない。
気付いたら、中村に馬乗りになっていた。
後から新垣たちから聞いた話では戸森は背後から締められて自力で脱出したとのことだった。戸森自身信じられなかったが、驚いたことに中村を投げ飛ばしたとのことだった。
何も思い出せなかったが、意識が無くなる前に心の奥底で何かが湧き上がった気がした。
一人残る教室で勉強をしていると神崎が現れた。
「待たせたな」
「いえ」
返事をする戸森を見つめる神崎は戸森の雰囲気が変わったことに気が付いた。
「戸森、何かあったか?」
神崎の言葉に内心ドキりとしたが戸森は素直に話した。
「三中の三年と五対五で喧嘩しました」
「……お前の体格が夏休みに入る前と違う。あと雰囲気も変わったな。素手だと勝手が違うだろ? 警察に捕まるなよ」
「はい」
「戸森……」
「はい?」
神崎は詰まるように言葉を飲み込んだ。
「……次のファイトは明後日だ。急だが大丈夫か?」
「大丈夫です。みんなにも連絡します」
「頼んだ。それと、俺の知り合いが次のファイトに来る。そいつはファイトに参加しないが、そいつが連れてくる奴が丁度、戸森たちと同じくらいの奴で、なんでもファイトをさせたいらしい」
「分かりました」
「頼んだ」
話が終わると神崎は早々に教室を出た。
神崎が本当は何が言いたかったのか、この時に戸森は知る由もなかった。
土曜日、いつものメンバーが集まると久々のファイトに戸森たちは興奮していた。
暗い地下室は黴臭く、殺風景で何もない。
そんな場所を全員が好んでいた。
扉が開かれる度に誰かが来るのを楽しみにしていた。この場所での仲間との再会は特別なものだ。
時折、笑顔を見せながら全員が神崎を待っていた。
しかし、扉が開き、そこに現れたのは神崎ではなかった。
神崎と同い年ほどの男が現われると新垣たちは唖然とした。
隣には自分たちと同年代くらいの少年の姿がある。
二人が現れてすぐに神崎も来た。
「みんないるか」
「先生、その人は誰ですか?」
新垣の言葉に全員が反応した。全員の視線が二人に注がれる。
「古い友人で一条という。一条の隣にいるのが、冨樫 進君だ」
一条という男が「よろしく」と言うと、冨樫が軽く会釈をした。
冨樫という少年はにこにことして、中性的な顔立ちをしていた。
細い腕はすらっと長く、いかにも貧弱そうだった。
「冨樫君がファイトに参加したいそうだ」
神崎の乗り気でない様子に戸森は意外さを感じた。
無理矢理何かを押し付けられたのだろうか。それとも何かがあるのか。
「勝田やってみろよ」
ニヤける新垣の言葉に勝田は首を横に振った。
「俺は手加減できないから」
手を振りながらやんわりと断る勝田を神崎は何も言わずに見ていた。
勝田のこの言葉に冨樫の表情は一変した。
負けたことがない勝田に悪気はない。
「やろう! ていうか、みんなとやるつもりだからそんな君に時間は割けないけど」
まるで、やったら勝つような口振りに新垣たちが鼻で笑った。
口喧嘩をするつもりもないので、新垣は静かに口を開いた。
「ごはんが進君、『おかわり』はないよ。一回のファイトで終わりだよ」
冨樫が新垣を指差す。
「やろうよ」
冨樫は笑っていなかった。
「俺はいいよ」
新垣が断るが冨樫は諦めなかった。
「逃げるの?」
冨樫の言葉にその場の雰囲気が変わった。
「わーったよ。やってやるよ」
面倒臭そうにグローブをはめる新垣に対して神崎は何も言わず、「須藤と谷垣、準備しとけ」と小さい声で言った。
ボクシンググローブが冨樫には似合っていた。華奢な体つきで14オンスという大きなグローブを自由自在に動かしている。
双方が中央で対峙した。
「おいで」
新垣が挑発するように声を掛ける。
新垣が構えると冨樫が歩み寄り、ファイトが始まった。
様子見などはせずに冨樫は新垣の顔面目掛けてジャブを放った。
矢のようなジャブがガードをすり抜けて新垣の顔面にあたる。
冨樫が放つジャブの速さにも、威力にも周りの者たちは驚嘆した。
追撃を避ける新垣が慌ててストレートを放つと、冨樫はかい潜るように新垣に突っ込んだ。
左のトリプルだった。
レバー、ストマック(胃)、テンプルと華麗な打撃を一瞬で当てた。
「当て感が良い」というレベルではない。中学生の動きではない。
レベルの違い過ぎるファイトに周りの者たちは声を失った。
左のトリプルからの右フック、四連続の打撃が当たると新垣は膝から崩れた。
冨樫のファイトを目の当たりにすると、誰も声を出せなかった。
「次は誰?」
誰もやりたがるはずがなかった。
「一日一回のファイトだ。他にもやりたい奴がいる。みんなとはできないよ」
「じゃあ、俺が全員とやるよ。それなら全員できるでしょ?」
「調子に乗んなよ」
神崎が咎めるのは珍しいことだった。
「進、今日は止めとけ」
一条の言葉に冨樫が渋々頷く。
「「今日は」じゃなくて、これからもだよ」
それからのファイトはみんなどこかぎこちなく、ファイトを楽しむ様子はなかった。
戸森も楽しめなかった。




