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FIGHT CLASS  作者: 元馳 安
27/39

大将戦




 素手、裸拳での闘いは危ない。それは怪我の確率が飛躍的に上がるためである。


 喧嘩でグローブを着けるということは考えにくいが、タオルを巻くなどの工夫は拳を守るためには必要である。


 そして、素手の喧嘩で危険なのは何も手の骨折だけではない。


 ボクサーの拳は凶器と同じと言われるているように、ボクサーが素人相手に本気でストレートを放てば顔の骨が折れる。


 当たりどころが悪く、骨の硬い部分ならば、手の骨が折れるが、ボクサーの当て感と素人の防御力を考えれば、手の骨が折れることは滅多にない。


 殴る方も殴られる方も、素手では危険が飛躍的に上がるのである。


 そして、これらは全て「打撃」に限った話である。



 この日、戸森は今までに経験したことのないことを経験する。



 戸森と中村、素手同士のタイマンの喧嘩だが、中村の一番の凶器は「地面」だった。



 人を殺傷・制圧するための技術が発展した武道は今まで誰も見たことがない戸森の底に眠る感情を呼び覚ました。



 戸森はいつものファイトのように気を静めていた。

 中村は百七十三センチの戸森よりも頭一つ分ほど大きかった。

 体重に至っては二十キロ以上も重い。


 戸森は自分でも打撃しかないと思っていた。

 冷静に自分ができることを分析し、相手と出来るであろうことと、出来ないであろうことを分析する。



 中村には飛び道具はない。


 掴まれなければ倒せる。



 戸森のセンスは中学生のそれとは違った。頭で考えて最善の策を見出し、自分の土俵で闘う術をこの時すでに身に付けていた。

 それだけではない。


 四ヶ月前とはまるで違う身体のフィジカル、

反射神経や動体視力、俊敏性などの運動能力は中学生のものとは思えないほどだった。


 二勝二敗である、しかし、最早(もはや)、三中にしても塚田のことなどどうでも良かった。


 皆が見守る中、対峙する二人の均衡が破れた。均衡を破ったのは戸森だった。


 静かに戸森が動き出す。


 眼前に両手を構える中村が迎え討つ。



 戸森は頭一つ分背の高い中村に対して身を屈めるように前傾姿勢を取っている。


 軽くジャンプするように跳ねると、そのまま小刻みにステップを踏みながら近付いた。


 フットワークだった。


 一瞬で間合いを詰めると中村の正面から外れて、真横からジャブを放ち、続け様にストレートを放った。


 しかし、中村には当たらなかった。


 ジャブ・ストレートと素速いワン・ツーがいとも容易く叩き落とされた。


「速いな」

 中村がニヒルに笑う。


 捕まる前に距離を取る戸森は肩で息をしていた。

 暑さのせいではない。大量の汗が戸森の体中から吹き出ている。


 それでも、戸森はステップを止めずにフットワークを使って動き回っていた。

 体格差のある相手に対して止まることは危険であると、本能で分かっていた。


 中村が不意を突くように戸森に近付くと、いきなり大振りのフックを見舞った。


 見え見えのテレフォンパンチに戸森はガードしようとはせずに、フックを()なしてカウンターを取ろうとした。


 左手で中村の右拳をそのまま左から右に受け流そうとした時だった。


 中村の右拳に接触した左手は腕ごと巻き込み、戸森の体ごと吹き飛ばした。


 戸森は背中に冷たいものを感じた。


 柔道家のフックは他の格闘家と一線を画す。


 組み合って試合をする柔道は取り分け胸筋が鍛え込まれる。その鍛えられた胸筋から放たれるフックの威力は相当なもので、腰が入り体重が乗った柔道家のフックは想像を絶する威力を持つ。

 中村のフックがそれだった。


 三中の生徒は声を大にして沸いた。


 戸森はすぐに立ち上がりステップを踏んだ。



 強い。



 戸森が息を深く吸い込んだ。

 

 意を決して戸森が中村に不用意に近付いた。


 中村の右手が戸森の胸元目掛けて飛んでくると、その右手をアッパーで跳ね上げ、腰を回転させて左ストレートを放った。

 中村の鼻を打ち抜くと、鼻から血が流れた。


 新垣たちは声を上げた。

 誰も目が離せなかった。


 戸森は止まらない。


 そのまま身を屈めた戸森がボディに左右ブローを叩き込むと、中村が苦しそうにボディをガードした。


「くそがぁっ!」

 中村が戸森を捕まえようとするが、戸森はもういなかった。


 戸森は離れて距離を置くと、酸素を貪った。

 無呼吸で連打を浴びせた。


 速いパンチを連打し続けるには体力が足りな過ぎた。


 それでもなんとか打開策を見出したかった。中村の体力を削り取り、肘が膝で決めたかった。

 鼻血で上手く呼吸ができない中村の次の手は短期決戦に持ち込むことだと戸森は考えた。


 自分も長くは闘えないと分かっていた。しかし、ここが正念場だと戸森は思った。


 粘って勝つしかない。



 少しも治まる気配がなく、息が上がり続ける戸森は呼吸が出来ないほどに苦しかった。


 フットワークだけでも相当な疲労が溜まる。神経を削り相手の攻撃を避けながら、殴り続けるのだ。

 自身の体力など、ファイトで測れない戸森は今までに経験したことのない疲労を経験している。それでも足を止めようとはしなかった。

 しかし、体力の限界だった。


 戸森が再度、息を深く吸い込み、フットワークを使って中村に近付いた。



 組手争いと呼ばれる柔道特有の攻防は「相手に取らせずに自分の有利なところを取る」というもので、それはただ「襟を掴む」、「袖を掴む」だけの単純なものだ。


 しかし、その単純な攻防が試合において如何に重要であるか、どれほどの効力を発揮するのかは経験者でないと分からない。


 襟を掴まれた素人は手首を振られただけでも真っ直ぐに立っていられないほどの衝撃を受ける。

 相手の姿勢や体勢を崩すことを得意とする柔道は、投げることの第一段階として崩しを行う。


 殴るでもなく、突くでもなく、払うでもない。中村が本気で襟を取りにきた時のハンドスピードと相手の虚を突くタイミングは素人には到底防げるものではなかった。

 即座に反応した戸森だが、中村を止めることはできなかった。


 中村の手は素早かった。


 戸森の襟元を掴むと同時に引き落とすと、戸森は体の体は何倍の重力を受けたように動けなくなり、中村の力に抗えなくなった。


 中村が戸森の襟を掴んだだけで、三中は声を上げていた。

 風に煽られる葉の様に戸森の体は舞った。


 見事な払い腰だった。


 「素人は掴まれたら終わり」ということを体現した瞬間だった。


 戸森は投げられた瞬間、中村に体を乗られたまま地面に叩きつけられた。



 ドンッ! という音が辺りに響く様な衝撃だった。



「がはっ! ……っっっはっ……うっ……」

 戸森の腹部に走った衝撃は今まで経験したこのないものだった。

 内臓を直接殴られたような痛みに体を丸めた。


 呼吸が出来ずに苦しむ戸森。

 気怠(けだる)さと嘔吐感が体中を支配し、鉄の味が口の中に広がった。



 苦しみもがく戸森を中村は冷めた目で見ていた。


 中村はガラ空きとなった戸森の首元を締めた。

 柔道は危険なスポーツである。

 土の上に投げられた戸森はまだいい方だが、コンクリートの上で投げられることは直接、致死性の傷害に繋がる。


 しかし、それは立ち技だけに限ったことではない。


 人を殺せる殺傷能力の高い技は立ち技よりもむしろ寝技であり、柔道の寝技は危険極まりないものである。


 「送り襟締め」という技だった。立派な柔道の技である。


 相手の背後に回り、脇の下から手を差し入れて襟の(ゆる)みをなくして締め上げる技である。頸動脈が締まり、上手く入れば数秒で相手を失神させることができる。


 動かそうにも体が動かなかった。

 「う゛ぅ゛う゛」という声にならない呻きが喉の奥から込み上げた。

 中村が更に締め上げると気管が締まり、喉を潰された戸森は地獄の苦しみ味わった。


 戸森は死を感じた。


「ひぃ……」


 …………。



 悲鳴も上げられず、情けない声が漏れると戸森は気を失った。

 しかし、目の前が真っ白になる瞬間、戸森は体の奥底にある何かを確かに感じた。



 周りの者は締め続ける中村と動かない戸森を見守っている。


 いつの間にか辺りは静かだった。



 戸森が失神しても中村は手を弛めなかった。

 それは失神すると力が抜けるのだが、中村の腕の中の戸森が脱力する様子がなかったからだ。


 それどころか、暫くすると、戸森の体が熱くなり、震えるように動き出した。


 中村は信じられなかった。完全に締めが決まっているはずの状態から有り得ない力が働いた。


 ぶちっ!


 中村の手が戸森のTシャツを引き裂いた。


 極めている動かないはずの戸森の左腕が無理矢理ロックをぶち破ったのだ。


 左脇下から左腕を差し入れた中村は戸森の左腕を極めていた。

 動かないはずだった。


 戸森は左腕のロックを力ずくでブチ破ると、座っている状態から中村の体を乱暴に投げ飛ばした。

 戸森の体重では有り得ない馬鹿力だった。


 地面に転がる中村の上に馬乗りになる戸森。



 焦点が合わずに虚ろな眼差しをする戸森に狂気を感じた中村は体が固まった。


 保けていた戸森が覚醒しつつあった。


 中村はマウントポジョンを取られた状態から戸森の襟を引き落とした。

 前のめりになる戸森。


 中村はそのまま再度襟を締めた。

 「両手締め」という柔道の締め技であった。


 両手を交差させて頸動脈を締め上げる技で、中村は身動きの取れない戸森から膝を抜こうとしていた。

 マウントポジョンからガードポジションに移行して今度こそ失神させようと考えた。


 戸森の手が中村の指に絡まる。


「止めろ!」


 中村には人差し指が上がる癖がある。柔道の試合では五指全てを使わずに、中指と薬指、小指を使って組手をする癖があった。


 戸森は上がった人差し指を掴むとそのまま捻るように折った。



「うがぁぁっ!」

 中村の叫び声が辺りに響いた。


 柔道の試合では百パーセント掛けられない技がある。それが指関節である。

 喧嘩では視野に入れなければならないのは中村にも分かっていた。



 締めが緩むと戸森は貪るように酸素を求めた。


 脳味噌に酸素が行き渡るのを実感していた。戸森は完全に覚醒していた。


 戸森は馬乗りのまま体を後方に反らせて、タメを作った。

 そして、そのまま勢いをつけて頭部を中村の顔面に叩き落とした。


 ごつっっ!


 頭突きがまともに中村の顔面を捉えると鈍い音が戸森の頭に響いた。


 中村の鼻が曲がり、顔面は血塗(ちまみ)れになった。


 追撃するように再度、体を反らす。


 慌てて中村が跨いでいる戸森の太腿叩いた。


 それは降参の意思を表すタップだった。



 最後まで柔道で勝負する中村を戸森は心底尊敬した。


 戸森は中村から離れると深い息を吐いた。


「中村さんが手を弛めずに絞め続けてたら倒されていたのは俺でした」

 中村は手など弛めてはいない。中村の完敗だった。


「いや、俺の負けだ。いい喧嘩だった……お前、強いな」


「……ありがとうございました」


 戸森は勝った。津村と熊田にはそのことが信じられなかった。


「いよっしゃっーー!!」

 新垣たちは声を上げて戸森に近付いた。


 三勝二敗、なんとか勝ちを守りきった。







 約束は約束、塚田のことは追わないと三中は言った。


 戸森が口を開いた。


「塚田は連れて来ます。被害に遭った女の子に必ず謝らせます。だから、塚田を許してやってください」

 戸森が頭を下げると新垣たちも頭を下げた。


 その様子に中村は驚いた。そして、薄く笑った。


「分かった。約束する」

 中村の言葉に新垣が津村に近付く。


「先輩、分かったら、塚田呼んでください。リンチは受けない。しかも悪いのは塚田だ」

 新垣と津村を見守るのは二中の生徒だけではなかった。三中の生徒たちももう何もしないと約束した。

 ただ詫びを入れればそれでいいと。


 激闘の後で三中にはリンチする力も残っていないので当然と言えば当然だった。


 その場で電話を掛ける津村。


 何度目かのコール音の後に塚田は電話に出た。


「二年が……新垣たちが解決してくれた」と言うと、塚田は疑いながらも渋々了承し、すぐに学校で落ち合った。


 その足で駅前のカラオケ店に行き、女の子に会うと塚田はみんなの前で土下座した。

 その様子に全員が苦笑した。


 中村も笑っていた。


 その子は中村がお世話になった先輩の彼女だという、訳ありな事情があったために中村は固執していた。


 上下関係を大事にする中村の人情味に戸森はやはり好感が持てた。




 それが夏休みに起きたことであり、いつの間にか夏休みが終わった。





 二中対三中の幕は閉じた。





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