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FIGHT CLASS  作者: 元馳 安
20/39

意外なファイト参加者



 土曜日になるまで戸森は気が気ではなかった。いや、土曜日もどこか上の空であった。木内 恵梨香の突然の告白が戸森の心に残っていた。


 戸森はそのことを頭から振り解くように体を動かした。

 やがて、夕暮れが近付くと頭にはファイトのことだけになっていった。


 日は長いが、午後七時半を過ぎると暗闇が訪れる。

 駅から約一キロの距離、戸森はこの道すがらが歩いていて一番心を落ち着かせられた。


 知り合いの誰にも会わずに目的の場所まで行く。そこは自分の居場所である。


 地下に繋がる階段を下りて扉を開ける。


 暗い部屋、すえた臭い、静かで冷えた空間、全てが心地良かった。この場所に来ると戸森は安心感を覚える。


 その場には数人がすでに来ていた。


 戸森以外の者もこの場所が好きだった。


 その神聖な場所に似合わない者がいた。


 メンバー全員が目を丸くしている。


「何で吉田がいんだよ」

 新垣が声を掛けた。

 その場にいる全員が吉田を見ていた。


「神崎先生に呼ばれた」


「はっ?」

 吉田の言葉にその場の全員が目を丸くする。


「あの人だけは本当に分からない」


「お前、ここがどういう所か分かってんの?」

 杉田の言葉に吉田は首を横に振った。


「ルールは知ってるか?」

 首を横に振る吉田。


「前半は端折(はしょ)ります。吉田に関係ないから。大事なのは、『このことは誰にも言うな』。分かった?」

 吉田が曖昧に頷いた。


「絶対ぇ誰にも言うなよ」

 新垣よりは口の堅さを信頼できる。

 新垣の視線が吉田の腕に移った。吉田の腕に巻かれた包帯が痛々しかった。



 暫くすると神崎が姿を現した。


「みんないるか」

「先生、吉田呼んだんですか?」

「あぁ」

「大丈夫なんですか?」

 新垣の言葉の意味を分かりかねた神崎が眉根を寄せた。


「何が?」

「その……怪我するし、バレる」

 新垣の言葉に神崎が薄く笑う。


「バレねぇよ。心配すんな。じゃあ、お前らルールからな。

 ルールその一、一対一(タイマン)の喧嘩はすんな。二人以上の相手とやれ。

 ルールその二、仲間と二人の時は四人以上とやれ。

 ルールその三、五人が五人以上の喧嘩は認める。どんなやり方でもいい。

 ルールその四、このことは絶対に誰にも話すな。吉田、分かったか?」


 いきなり声を掛けられた吉田は小刻みに首を頷いた。


「新垣と須藤、グローブ付けろ」


「いきなり俺。まぁ、いいけど」


 おもむろに神崎が吉田に近付くと口を開いた。


「よく見てろ」


 吉田はこの時もこの後も、何が起きたのかはっきりとは思い出せなかった。


 神崎の「やれ」だか、「始めろ」だかの掛け声とともに、目の前でグローブを着けた新垣と須藤が突然殴り合った。


 二人が殴り合いを始めると、目の前の光景の刺激が強過ぎて脳がフリーズした。


 新垣と須藤の二人は慣れていた。それだけでなく、吉田以外の周りの者たちみんなが慣れていた。

 周りを取り巻く皆が真剣な眼差しを注ぎ、怒声のような声を上げる。


 周りの熱気に吉田の体も熱くなった。


 暗く、陰鬱な室内は寒々しいほどに何もない。

 黴臭さく、光なんて入らないそこは誰もが立ち入りことを躊躇うそんな場所だった。


 そこにある暴力は暗く、血を流しながら殴り合うそいつらは完全に狂っていた。


 けれどそれは、その場にこれ以上ないと言うほどハマる光景だった。


 新垣の小さく打つショートアッパーが、須藤の顎に入ると須藤は膝から崩れ落ちた。

 その姿に周りは一層熱の籠った声を上げた。

 吉田もいつの間にか声を上げていた。


「次、勝田と三上、グローブ付けろ」

 勝田の力強いファイトに圧倒されると、吉田は拳を握り締めてその中に大量の手汗をかいていた。


「本木と杉田」

 

「伊藤と阿部」


「谷垣と大谷」



 名前を呼ばれた者たちが次々に殴り合いを始める。まるで全員が名前を呼ばれたがっているように見えた。

 全員のファイトを目にする吉田も例外ではなく、名前を呼ばれたがっていた。

 見る側から殴り合う側へ次第に目の色を変えていった。



「吉田、やってみるか?」

 神崎の突然の言葉に吉田は面喰らったように動けなかった。

 目の前には最高の舞台が用意されている。相手など関係ない。


 吉田は力強く頷いていた。


 吉田のその様子に満足した神崎が視線を戸森に移す。


「戸森、吉田、グローブ付けろ」

 戸森の目が見開かれると、吉田がじっと戸森を見据えているのが視界に入った。


 吉田を殴る。それはまるで、幼稚園児を殴るような感覚、繊細な物を手に掛けるような感覚に襲われた。決して手を出してはいけない。拳を当てただけで壊れるような感覚だった。

 自分の拳がいかに危険かを戸森は分かっているつもりだった。


 戸森の心配を他所に吉田は新垣の助けを借りてグローブをはめている。


 戸森は自分でグローブをはめた。


 握り締めて「ギュッ」革が擦れ合う音を聞きながらグローブの感覚を確かめた。


「いいか、勝った負けたじゃねぇぞ。殴って殴られてすっきりしろ」


 神崎の言葉に頷く吉田。戸森と吉田が向かい合った。


「やれ!」


 吉田が不格好なファイティグポーズで戸森に殴りかかって来た。

 がむしゃらで弱々しいパンチはどこを狙っているのか、全く見当違いのところへ繰り出された大振りだった。

 当たらずにそのまま体ごと流れた吉田の顔面を目掛けて戸森が軽くジャブを繰り出す。


 出した左拳はスピードが乗っておらず、タイミング、角度、力の具合が、完全に相手を舐めきっていたものだった。

 しかし、そんな拙いジャブで十分だった。


 ガードなど知らない吉田は戸森のジャブをまともに食らった。

 周りから声が上がる。


「吉田、ガードを上げろ」


 戸森は一拍置いて再度ジャブを放った。


 ガードの隙間を潜り抜けると吉田の鼻にヒットした。吉田の頭部が弾かれる。


 戸森は一瞬中断しそうになった。あまりに吉田が弱かったからである。


 戸森が横目で神崎に視線を送る。


 その時、頬に衝撃が走った。更に、続けて吉田のストレートが戸森の顔面にクリーンヒットした。

 気を抜き、体の力が緩んだ時にまともに食らったパンチは十分に戸森の体にダメージを与えた。

 パンチを食らった戸森の目の前には星が舞った。

 戸森は冷静に距離を取った。


 あのパンチが勝田のものだったら……強くなった新垣や杉田、伊藤のものだったら……自分は一発で倒されていた。そう思った戸森は自分が冷静だと思えた。


 戸森に油断はなくなった。


「戸森イケー!」

「吉田やれ!」

「いいぞー!」

 その場の空気をなんとも思わなくなった。見られても自分のファイトを崩すことも、飾り付けることもない。


 戸森は目の前の相手に集中した。


 素早いフットワークで吉田に接近する。


 左フックから右フック、左ジャブから右のストレートアッパー。


 手加減したとはいえ、その速い戸森のパンチは全てが当たった。


 吉田は想像以上に打たれ強かった。まるで殴られても痛みを感じないかのように打ち返した。


 戸森にとって吉田の攻撃は簡単に避けれた。ガードするも良し、スウェーバックも良し、パーリングも、ダッキングも、回避するのは何でも良かった。しかし、戸森は避けなかった。

 吉田の攻撃を顔面で受けた。


 その様子に周りは叫び声を上げた。

 「避けろ」や「何やってんだ」と戸森を叱咤するものや、「やれ」や「打ち続けろ」などの吉田を鼓舞するものなど、様々な声が飛んだ。


 戸森のファイトには華がある。攻撃だけでなく、受けにも相手に持たす華がある。


 戸森はわざと吉田に打たせていた。この時、戸森は吉田から受ける攻撃に対してのダメージは全くなかった。


 インパクトの瞬間に絶妙なタイミングで首を捻ってダメージを逃していたのだ。

 そのことに気が付いていたのは神崎だけであった。


 戸森はハンドスピードが速く、中学生離れしたタフネスを持つ。そして、技をすぐに覚える才能があり、何より鍛錬することを(いと)わなかった。そして、極めつけに目が良い。戸森の反射神経、反射速度の良さは生まれつきのものだった。

 戸森は闘うことが好きな闘うために生まれてきた男だと神崎は思った。



 吉田が次第に肩で息をするようになると、いよいよ腕も上がらなくなっていた。それに対して、周りの者から見たら戸森は好調に見えた。


 しかし、戸森の調子は悪かった。動きがぎこちないと自分で思った。日中にずっと体を動かしていたことが影響しているのである。


 疲労困憊の戸森はそれでも吉田を労っていたのだ。


「戸森、苦しいだけだぞ」

 神崎の言葉にゾッとした。


 目の前にはボコボコに顔を腫らした吉田がいた。


 唇は切れて血を垂らし、瞼は腫れ上がり、頬は紫色に変色している。

 痛々しいを通り越してグロテスクな醜い顔になっていた。


「吉田、大丈夫か?」

 戸森の掛け声に吉田は頷いた。


「はぁ、はぁ、はぁ……大丈夫……」

 答える吉田の呼吸が荒い。


 左ジャブを吉田のガード上から放つと、吉田の右腕が弾かれたように飛んだ。


 戸森が続けて左ジャブを二連打すると二発とも吉田の顔面に当たった。


 吉田はガードを上げようとしたが、その腕も上げ続けるのは限界であった。吉田は最後の力を振り絞るかのように防御に回った。


 自然と吉田の頭が下がる。


 意識を上に逸らせて戸森が放ったのは腰が入り、体重が乗った最高のボディブローだった。


 (えぐ)るように吉田の腹に突き刺さる戸森の拳。


 悶絶した吉田は前のめりに倒れた。


 倒れる体を支える意識などなく、地面が自分に向かって来るかのような不思議な感覚に襲われた。


 そのまま地面に倒れた吉田は意識を失う直前に頬に伝わる地面の感触を冷たくて気持ち良いと感じていた。

 吉田は誰にも気付かれずに性的な興奮を味わっていた。

 正確には神崎だけは吉田の様子に気付いていた。


「吉田ってタフだな」

 誰かの言葉に数人が頷く。


「やっぱ戸森は強ぇ」

 誰かが言った言葉に全員が頷いた。






 気が付くと吉田はファイトが終わったみんなから少し離れた場所で横になっていた。

 吉田の側には戸森がいた。


 吉田が起きると戸森は吉田の顔を覗き込んだ。ボコボコの腫れ上がった顔を見る戸森の眼差しには仲間を労わる優しさがあった。


 吉田の表情も和らいだ。


「最高だろ?」

 戸森の言葉にハッとし眼を細める吉田。


「みんながのめり込むのが分かる気がする」

 吉田はコンクリートが剥き出しの天井を見つめるように横たわった。冷たい地面が気持ち良かった。



 神崎が近付き吉田の無事な様子を確認すると静かに口を開いた。


「俺が言った通りだったろ」


「……はい、母が不倫してようが何してようがどうでもよくなりました」


「違ぇよ。前貼りだよ」

 神崎の言葉に吉田が赤面すると戸森が不思議そうな顔した。


 二人は何も言わなかった。



 痛みが快感となって感じる吉田は戸森のパンチを受けている最中、ずっと勃起しており、最後は大量の精子を射精していた。


 見た目には何も変わらないように股間に前貼りを貼り、その上からオムツを穿いていたのだ。全て神崎の指示だった。



 吉田にとって最高の夜だった。






 吉田が初めて殴り合いに参加して二日が経つと生まれて初めてボコボコの顔で学校に登校した。


「おはよう」

 戸森の声に吉田が驚く。


「お、おはよう」


 たったそれだけの挨拶だった。


 たったそれだけの挨拶で吉田は仲間になった。


 吉田は殴り合いの会にのめり込むようになった。


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