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FIGHT CLASS  作者: 元馳 安
19/39

きっかけ




 ある日の技術家庭科の授業中のことだった。


 この日は木工作業で木の板を彫刻刀で掘る作業中のことである。


 授業中、クラスのムードメーカーでトラブルメーカーでもある新垣が彫刻刀を持ったまま席を移動しようと、席を立ち体を反転させた。


 そこにたまたま吉田がいた。


 振り向いた瞬間、新垣が吉田の腕を彫刻刀で切り付けた。


 傷は意外と深く、鮮血が床に滴った。


 周りの生徒たちは騒然とした。様子を見て叫ぶ者までいた。勿論、故意ではなく偶然によるものであった。


 その日、たまたま授業を持たない副担任の神崎が病院まで同伴して連れて行った。吉田は十針を縫う怪我をした。



 病院から帰る途中、神崎の車の中で吉田が口を開いた。


「先生、僕の母には連絡しないで大丈夫ですよ」

「学校の保護監督の責任として、俺らにはこういった事例を保護者に伝える義務がある」

 神崎が御座なりに答える。


「母とは関わりたくないんです」

 神崎は軽くため息をついた。


「父親に言っても、母親には伝わるから、教師の俺からしたら何もできないよ」


「僕は母の言いなりでした。でも、ある日、母の部屋で……」


「吉田、お前の家庭の事情だろ? 俺は力になれない」

 吉田家の問題に巻き込まれたくない神崎は吉田の言葉を遮った。


「話を聞いてくれるだけでいいんです」


「俺は何も言えないよ」


「神崎先生は誰にも言わないので言わせてください」


「まぁ、お前の気が済むなら」


「僕の母は不倫をしています。母の部屋にある携帯を勝手に見ました。それ以来、母とは距離を置くようにしています」

 神崎は一拍置くと口を開いた。


「お前の心の問題なら、お前が母親を許すことができれば、お前のその悩みは解決するんだな」


「無理ですよ」


「……お前、自分の腕が縫われてるときに勃起してたろ?」

 神崎の言葉に吉田は気が動転した。


 神崎は吉田が処置を受けた時に病室に同伴していた。

 その時に神崎は吉田のある異変に気が付いていた。


「腕、彫刻刀で切られたんだって? その時も興奮してたんだろ?」


「そ、そんなこと! 違う! 僕は……」


「お前の性癖なんてどうでもいいんだよ」


「性癖なんてっ」


「話は変わるが、クラスメイトの何人かが顔が痣だらけだろ。お前、あれどう思う?」


「別にどうも思わないですよ」


「何でついたんだろうな」


「知らないです。道具じゃないんじゃないですか、素手とかじゃないですか。そんなこと……」


「お前には関係ないんだろうな。今の話、『何でついた』っていうのは普通、原因をあげる。『喧嘩が原因です』とか、『階段から転んだのが原因です』とか。お前は今、鈍的外傷の要因を挙げた。打撲、衝突、追突、外傷要因。何で傷つけられたか。

 これはお前の興味、趣味趣向が、目の付け所がそういうところに(あらわ)れてる」


「そんなの! 僕の勝手な考えじゃないですか! それは先生の勝手な言い分で、何の根拠もないじゃないですか!」

 吉田の顔が見る見る真っ赤に染まる。


「ムキになるな」


「くっ」


「話を戻すけど、お前の気持ちが変われば、母に対する問題は解決する。お前の気持ちも変えられる」


「無理ですよ」


「変えても、別の問題が出てくるだろうけどな」


「ふんっ、今の僕が変われば、そんなことどうでもいい。先生は今僕がどれだけ苦しんでるか分からないんです」


「分かった。俺が約束する。お前のそんなちっぽけな悩みを解決してやる。来週の土曜の夜、空けておけ。詳細は今度言う」



 後日、神崎から連絡を受けた戸森は教室で一人居残っていった。


 大抵は前日に連絡が入るが、この日のように当日ということもあった。メンバーの怪我の様子や、クラスの反応、神崎が見きれない管理を戸森が担っており、報告や雑用をするようになっていた。


 戸森は三中の嫌がらせ行為に対しては何も思っていなかった。多勢に無勢なら迎え撃つことができる。火の粉が掛かれば払うだけだと思った。

 それは単純に喧嘩であり、私闘である。神崎の教えを守っていた。


 最近の三中の目立った行為は耳にしないが、二中の生徒はやはり遊び場を選んでいるようだった。




 この待ち時間にすることのない戸森は勉強した。お陰で成績は上がる一方だった。

 しかし、普段なら来るはずの神崎が一向に姿を現さないことを不審に思った戸森は職員室に向かうために席を立った。


 すると、鞄の中にある携帯電話のバイブレーションが震えた。携帯電話を取ろうと鞄に手を伸ばすと、扉が開いた。

 ようやく神崎先生が来たかと思い、顔を上げた戸森は驚いた。


「戸森」


 そこにいたのは木内だった。


 携帯電話を取り出すと、神崎からメールが届いていた。


 内容は女子生徒が教室の扉の前にいるため、教室を出て職員室に来いという内容だった。

 木内は話し掛けるタイミングを計ってずっと待ち、戸森が席を立ったのを確認して扉を開けたのだ。


「木内」

 戸森は半ばうんざりするように言った。


「木内と話すことはないよ」

 鞄を持つと戸森はそのまま木内がいる扉とは反対の扉に向かった。


「ちょっと何で逃げんの?」

 慌てて止める木内。


「逃げてないよ。じゃあね」


「待って! まだ鈴本さんと付き合ってんの?」


「はっ?」

 同じ小学校出身の木内と戸森、鈴本という共通の知り合いは私立中学生に進学した鈴本 真佐美(まさみ)しかいない。


 唐突な彼女の質問に面食らうと戸森は足を止めていた。



「俺、彼女できたことないよ」


「嘘。だって真佐美ちゃん言ってたもん。戸森と付き合ってるって」


「鈴本とは卒業してから、一度も会ってないよ」


「えっ……そうなの?」


「じゃあ、俺、用事あるから」


「ちょっと……」

 戸森は足早に教室を出た。木内のどうでもいい質問など頭になかった。


「あんたのこと、好きなの!」

 戸森の体が固まった。そして、ゆっくりと教室を振り返った。


「えっ?」

 言葉が続かないのは頭が真っ白だからである。


「だから、戸森のことが好きなの。それだけ言いたかったの。じゃあね」


 足早に教室を出て行く木内を戸森は見つめていた。


 激しく鼓動を打つ心臓が邪魔に感じた。


 自分の気持ちを素直に表す心臓が疎ましかった。

 ファイトを経験して自分は変わったと思ってもやはり中学生なのだ。



 戸森は平静を装い職員室に向かった。




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