心配事
職員室の外線電話が鳴り響き、神崎が電話をとった。
「はい、神崎です」
「もしもし、私、杉田 英の母です。先生に相談したいことがありまして、お電話差し上げました」
「どうされました?」
「うちの子が顔に殴られたような痣がよく見受けられるんですが、先生はご存じでしょうか」
「はい。私も杉田君の顔の傷を不審に思い、本人に聞いてみたんですが、『階段で転んだ』としか、最近では何も言わないんです」
「私にもそれしか言わないんです。何か隠してると思うんですけど」
母親が息子を思う気持ちは分かる。
杉田の母親は言葉が続かない様子だった。
「そうですか……私からのお願いなんですが、お母様、本人に気付かれないように身体にも傷や痣がないか見てもらえませんか? 一時のものであれば、子供の喧嘩と思い気にも留めないのですが、度々ありますと、何か事件に巻き込まれているという可能性もゼロではないので」
「えっ!! 事件ですか!」
「まだ分かりません。本人に言うと警戒されますので、着替えている最中や寝てる時に服の下を確認していただけますか」
「分かりました」
「何かありましたら、またご連絡ください。こちらも分かり次第ご連絡差し上げます」
「先生、よろしくお願いします」
神崎は杉田の母親から電話を受け取った日の放課後、杉田を呼び出した。
神崎が放課後に教室を訪れると、教室には杉田が一人で自席に座っていた。
「悪いな」
神崎が教室に入ると、杉田に緊張が走った。
「何ですか?」
杉田が恐る恐る訊ねる。
「お前の母親がかなり怪しんでる。絶対に体を見られるな」
「えっ?」
「今朝、お前の母親から電話があった。顔中痣だらけになるときが頻繁にあるんですけど、何か知りませんかって。お前の親には体に傷があるか確かめてくださいって言っておいた。だから、お前は傷を隠し通せ。風呂に入るときは勿論、着替えや、寝込みを狙う可能性もある」
「寝込みですか?」
学校では悪ぶっている杉田は呆れながら、神崎の言葉に渋々肯った。
学校で不良ぶっている奴が、家では、母親が過保護で息子がマザコンでは話にならないと杉田は冷や冷やしていた。
「母親から電話があったことは誰にも言わねぇよ。絶対見られるな。一週間我慢しろ」
「はい」
神崎はわざと母親の心配を煽るような行為をした。それは先を見越しての神崎の行動だった。
相手方が納得するような決着の仕方で問題が解決をしたとき、相手が心配をすればするほど、不安を抱けば抱くほど、安心したときに‘次に’無理ができると考えた。
落とし所を今作ることで、次は多少の無理が利くようにと考えていた。そして、息子の打撲程度で慌てふためく母親に、神崎は先が思い遣られていた。
問題は戸森家にも起きていた。
「勇気、あんた何か隠してるでしょ」
リビングには戸森 勇気と母親の二人だけしかいなかった。
「何も隠してないよ」
「あんた、何でいつも傷作ってるの?」
「だから、転んだんだって」
「そんな嘘分かってるんだから、言えないようなことしてるんでしょ?」
「例えばどんな?」
戸森の言葉に母は一瞬言葉を詰まらせた。
「…イジメに遭ってるとか」
戸森は鼻で笑った。虐めを受けている時は気付かずに、虐めがなくなったときに疑い出す母の呑気な性格に安心した。
「母さん、虐めには遭ってないよ。それに傷は本当に危険な目には遭ってないよ。何かあったら、その時に話すから。本当に今は何もないよ。俺は危なっかしい加害者でもないし、虐めを受ける被害者でもないよ。今は本当に充実してるから心配しないで」
息子を見る母の目に安堵の色が浮かぶ。
「……分かった」
非行に走るということはない。群れている仲間がいるが、そいつらも非行に走ってはいない。そいつらと殴り合いをしているが、それは非行ではない。
戸森が一番に思うのは誰にも迷惑を掛けていないということだった。
心配は多少なりとも掛けているが、それだけであると戸森は思った。
心は健全であるという自負のような思いさえあった。
戸森は仲間との絆が深まれば深まるほど、凛々しくなっていた。
落ち着いた雰囲気は頼もしくあり、周りの者は戸森を信頼していた。
気位が増すと自然とファイトクラブに参加している戸森たちは流れに棹さすように調子が上がると、一時とは言え、確かに人生が豊かになっていた。
調子が上がる者もいれば、下がる者もいた。
戸森たちが住む瑞江の駅に程近いビルにカラオケ店がある。
塚田たちは新垣と宮本との一件以来、溜まり場に集まることはなくなっていた。
派閥とまではいかないが、塚田に組み従う塚田派と宮本に付いていく宮本派、そして、もう一つ、全部で三つのグループがあった。
後輩に痛い目に遭わされた宮本は求心力がなくなると孤立した。
その場にいて何もできなかった塚田を目にし、塚田から離れていく者もいた。
仲間が自分のもとから離れても塚田は何もできなかった。
鬱憤さえ晴らすことができない。
後輩のご機嫌取りなど取れるはずもない塚田は恩を売ろうとした。しかし、それすらも叶わなかった。
塚田は暇な時間を潰すために、残った数人で駅近くのカラオケ店に足を運ぶようになった。
毎日がつまらなかった。
カラオケ店で数時間過ごすも心は晴れない。次の日も、またその次の日も晴れることはないのだろうと、塚田の気は滅入っていた。
「帰っか」
数時間過ごした塚田が部屋を出ると、目にしたのは瑞江第三中学校の生徒だった。
受付で談笑する三人の濃紺の学ランを着た男子学生と受付の女の子が目に入ると、塚田は一気に不機嫌になった。
塚田たちが受付に近付くとそれを見た三人の学生がその場を離れた。
塚田が雑にプレートを受付に放ると女の子は驚いた。
乱暴な態度を無視しながら、機械的に会計を済ませる女の子。
「さっきのあれ三中?」
突然の塚田の質問に女の子は首を傾げるも、談笑していた三人の学ランのことだと分かると直ぐに頷いた。
「そうだよ。私の後輩」
「お前、三中かよ?」
乱暴な物言いに受付の女の子は眉根を顰める。
「ツカ、行こうぜ」
怪しい雰囲気に仲間が塚田に声を掛けるも塚田の耳には届いてなかった。
「はっ? あんた何?」
「てめぇ、客に向かって「あんた」って何だよ?」
「中坊が何いきがってんだよ」
その言葉に塚田は目の前にあるペン立てを投げつけた。
「調子に乗んなっ!」
「きゃあっ」
女の子には当たらなかったが壁にぶつかったペン立てとペンが散乱し、物音と悲鳴にも似た女の子の声に慌てて奥の部屋から店員が出てきた。
塚田の友人が誤って倒したと事情を説明するも、受付の女の子が反論し、互いの異なった意見がぶつかり合うと収まりがつかなくなり、その場は塚田たちの日頃の態度が悪いということもあり、今日のことは無かったことにすると言い、今後は出入り禁止となった。
しかし、それだけでは終わらなかった。




