煙草
「新垣」
新垣は自分を呼ぶその声にドキリとした。
塚田が突然訊ねてくることに新垣は驚いた。
そして、宮本の一件がなかったことのように振る舞う塚田が不気味だった。
「お前、顔、また酷くなってるぞ。どうした?」
塚田が心配そうに新垣の顔を覗き込む。
「なんでもないっスよ」
「なんでもなくねぇだろ。言えよ。三中か?」
瑞江第三中学校は近くにある学校である。
「お前くらい強い奴がやられるなんて三中くらいだろ。正直に言えよ」
正直に言えない新垣は話を逸らした。
「三中って強い奴いんスか?」
「俺の知り合いに中村って奴がいるんだけど、そいつが三中シメてんだよ」
瑞江第三中学校のことなどどうでもいい新垣は二、三度軽く頷くだけだった。
「何かあったら言えよ」と言い残すと塚田は踵を返した。
何のために来たのか、全く行動が読めない新垣はずっと塚田を見ていた。
「あ、そうだ」
振り向く塚田が声を掛ける。
「はい?」
「戸森って奴に言っといたからよ」
「はい? 戸森?」
突然の言葉に新垣は虚をつかれた。
「おう、戸森って虐められっ子、俺がガッツリ言っといたからよ。ぶん殴ろうと思ったけど、お前がやって俺もやったら、可哀想だろ? たがら、言うだけにしてやった」
新垣は「ヤったらヤられてたよ」とは言わなかった。
「何、言ったんスか?」
「お前、前まで戸森で遊んでたんだろ? それがいきなり虐めなくなったってあれだろ? あの野郎がセンコーにチクったんだろ? 親にもチクってっかもしんねぇけど、面倒臭ぇことになったからだろ? 戸森にお前、そんな根性無しなことするなよって言ったら、ブルってたから、殴らねぇでやったよ」
「はぁ」
塚田が新垣に気を遣っているのは新垣も分かっていた。自分よりも強いとは言え、後輩に迎合すれば、面子が潰れる。
そんな塚田がとった行動が新垣に恩を売ることであり、目を付けたのが新垣の態度、特にクラス内の変化であった。
虐められっ子である戸森の話は新垣のクラスメイトからの情報であり、そこから邪推した結果である。
塚田の精一杯の気遣いだった。
「だから、また虐められるぞ、あのデブ」
ファイトを始めて一ヶ月が経つ。自主的にトレーニングを欠かさず行っている戸森は厚みのある体だが太ってはいなかった。
「そうっスね」
喜ぶと思っていた新垣の反応が冷たいことが塚田は面白くなかった。
距離を縮めたい、慕われたい、塚田のその思いが新垣にはひしひしと伝わっていた。
塚田が不良として図に乗れるのは、誼みの先輩が暴走族であり、繋がりがあるからであった。
後輩に舐められる先輩だと知られれば、上が黙っていない。
「戸森にも聞いたんだけどよ、新垣の顔の傷どうした? って聞いたら、知らねぇって」
「……転んだだけっスから」
月に二回、第二土曜日と第四土曜日に集まった。
神崎先生は学校で“品定め”をしてから、新垣と戸森に口添えや、巧言、提言をして言葉巧みに誘い出す提案をした。不思議と神崎教諭が指名する奴は必ず誘いに乗った。
少しずつ、メンバーは増えていった。
四度目のファイトの夜だった。五月も終わろうとするこの日は特に暑いと感じ、参加者全員が上半身裸だった。夏はもっと暑くなるんだ、戸森はファイトに余裕が出ていた。勝田との再戦、そんなこともぼんやりと考えていた。そんな夜だった。
神崎が何かを手に持ち、杉田に近付く。
「杉田、これやるよ」
神崎が杉田に渡した銀色の入れ物はシガーケースだった。中には全身が茶色の煙草が十本入っていた。
「えっ?!」
「煙草吸わせるんですか?」
戸森は驚いた。
「うん」
「いいんですか?」
杉田は嬉しそうだ。
「こっちの方が吸いやすいよ。これはクラブマスター・ミニチョコレートって葉巻だ。肺に入れないで香りを楽しめ」
「葉巻?」
「それが吸い終わる頃に煙草を吸ってみな。美味いと思うようになる」
神崎が言うならと本人には勿論、その場にいた全員が思ったに違いない。
「先生が中学生に煙草勧めていいんですか」
新垣がからかう様に言った。
「日本の法律には未成年者喫煙防止法っていうのがあんだよ。煙草吸わせちゃいけませんよっていうやつ」
「学校の先生が法律を知ってて……まぁ、神崎先生らしいですね」
戸森も半ば呆れていたが、やはり神崎のそういうところが好きだった。
「日本だと何歳から吸えるか分かるか?」
「ハタチ」
「そうだな。でも、ほとんどの国で十八歳以上の喫煙が認められてる。俺は何で日本は? なんて思わない。バングラデシュは十五歳以下の購入を認めないっていう法律がある。十六歳以上は買っていいですよって認めてる。でも、吸うのは何歳からなの? って思うだろ。スリランカもそう。バングラデシュなんて、十五歳だぜ?
各国の法律に「未成年」って意味の "Minor"って言葉も、日本じゃ、「成年」「未成年」の別で飲酒・喫煙の可否が決定されるが、他の国では、飲酒、喫煙それぞれに成年・未成年の別とは関わりない年齢を設けて規制している場合があって、複雑になってる。煙草は駄目だけど酒はいいよ。逆に、酒は駄目だけど煙草はいいよって感じ。例えば米国では18才未満が法的に「未成年 (minor)」だけど、飲酒に関しては21才未満に禁止しる、こんな時、規制年齢に達しているか否かに着目して"legal drinking" "underage drinking"って表現されてる。話は飛んだけど俺が言いたいのは、体に悪いのは分かるけど、なんでこんないい加減なの? ってこと。子供が吸ってて、もし俺が注意するとしたら、日本での決まり事だから子供は吸うなって言うしかないけど、同じこと考えてる奴に法律は正しいの? とか、決まり事は正しいの? って言われたら、俺は返す言葉がない。だから、俺の前では吸っていいよ」
神崎の破天荒さにみんな笑った。




