馴れ
神崎からルールを言い渡された次の日、話し合いに参加した者たちは落ち着かない様子だった。
新垣は宮本たちとの一件があるため特に浮き足立っていた。
新垣は昨晩、杉田と伊藤に直ぐに連絡し、 宮本との間に起きた諍い事を話してしばらく三人一緒にいた。
塚田からの連絡を待っていたわけではないが、携帯電話を肌身離さず持っていた。結局、連絡はなかった。
一日経った今も会っていない。宮本の怪我の程度すら分からなかった。
この日も何事もなく、平和に終わろうとしていた。木曜日だった。
神崎の様子をおかしく思った戸森は一日経ったこの日、神崎を待つために放課後に一人教室で残っていた。
ガラッ。
戸森が数学の教科書を開いて予習と復習をしているときだった。教室の扉の開く音で顔を上げた。
「と、戸森……くん」
戸森は軽い溜息を漏らした。
そこにいたのは小学校から同じの木内 絵里香だった。
「何? どうしたの?」
「戸森……くんは新垣君たちと仲良いの?」
木内 絵里香は戸森に対して妙に他人行儀だった。
戸森のあだ名は小学校三年生までは『ともっちゃん』だった。小学校六年生には呼び方は呼び捨てになっていた。絵里香も戸森のことを『ともり』と呼んでいた。
絵里香自身が一旦広げてしまった距離感をどうしていいのか分からない様子だった。
今の戸森には絵里香のことを一緒になり無視していた奴という認識しかなかった。戸森にとってはどうでもいいことだ。
「普通」
「最近っていうか、ちょっと前くらいからよく話すよね」
「そうかもね。何か用?」
「用って言うか……ていうか、最近、怪我してない? たまに傷だらけじゃん。どうしたの?」
「別に」
「別にって、何かあるじゃん」
「何もないよ」
「イジメ?」
そう口にする
「そうだよ」
絵里香の言葉に何の気なしに答える。
「えっ?でも、新垣君とはそんな風には見えないし、もしかして、他の誰か?」
絵里香は戸森に対する虐めを目の前で見てきた。そして、助けどころか一緒になって戸森を無視していた。それが、仲間ができた今になって戸森に話しかけてきた。
「木内には関係ないよ。もう行かなくちゃ」
「ちょっと」
「じゃあね」
戸森は逃げるように教室を出ていった。
もう神崎を待つ気が失せた戸森は下駄箱へ着くと乱暴に靴箱の扉を開けようとした時、視線に気付い戸森は顔を上げた。
そこには如何にもと言った出で立ちの不良がいた。
新垣に纏わりつく塚田たちであった。
「お前が戸森?」
塚田が戸森に訊ねる。
「そうです」
「ちょっとツラ貸せよ」
脅すように声を掛ける塚田。
体の線が細く、重心が傾いているように不恰好に歩くその様は如何にも弱そうだった。
体の隅々まで注視する戸森の眼は塚田にどう映ったのか。怯える眼差しに見えたのかもしれない。
相手から情報を得ようとする戸森は無意識に相手の弱点を探す癖が付いていた。
それだけではない。今自分がいるその場にいつ何が起きようとも対処できるように常に気を張っていた。
そのため、気が立ち、注意が散漫になりそうな状態であっても、戸森は塚田の視線に気が付くことかできた。
常在戦場、今の戸森にぴったりの言葉だ。
虐められた過去が活きている。
過去の経験が今の性格を形成し、そのおかげで、塚田が弱いことを戸森は一瞬で見抜いていた。その周りの取り巻きも強くない。
「分かりました」
私闘は禁止されているが、多勢に無勢ならと戸森は気合を入れた。普段なら有り得ない戸森の行動だった。
この時の戸森は気が立っていた。
「新垣の言ってた通り本当に弱そうだな」
塚田の言葉だった。
戸森は笑いそうなのを堪えた。
人気の無い校舎裏まで連れて行かれた。前と後ろ、三人は戸森を囲みながら歩いていた。
逃がさないという目的もあるが、それ以上に逃げられないことと、
心理的圧力を掛けた。
前を歩く塚田の足が止まる。
「お前さぁ、新垣に虐められてたんだろ?」
振り返った塚田が不躾に戸森に訊ねる。
「はい」
戸森は自分から仕掛けようとは思わなかった。三人のうち、誰が仕掛けても対処できるように
「今も?」
「いえ」
「何で?」
隙だらけの塚田と他の二人、それに比べ、戸森はいつでも動けるようにしている。
靴を履き替えた時にいつもよりも固く靴紐を結び、拳に巻けるようにハンカチを開いた状態で無造作にポケットに入れている。
塚田たちは何が格好良いのか、靴の踵を踏み潰し、ズボンは腰履きである。
「飽きたんじゃないですか?」
「違ぇだろ? お前、センコーにチクったんだろ?」
戸森は思わず笑いそうになった。まともな教師に言って解決するなら世の中の虐めはなくなっている。
しかし、まともではない神崎に虐めを告白したことで戸森は救われた。
塚田はあながちハズレとは言えない。
「いえ……あ、はい」
「やっぱり……てめぇ、誰かに泣きついて助けてもらおうなんて根性無さ過ぎなんだよ」
戸森何も言えなかった。
確かに的を得た塚田の言い分だった。あの時の戸森には根性が無かった。
「お前ぇ、誰かに泣きついてんじゃねぇよ。カッコ悪ぃよ」
戸森はこの時、殴られたら甘んじて受けようと思った。
塚田たちは何か捨台詞を吐いてその場を去った。
初めてファイトした日が四月の第四週目の土曜日、二度目が五月の第二週目、その二週間後の土曜日に三度目のファイトが行われた。
参加者は十五人に増え、二年生三クラスの全てのクラスに参加者がいた。
戸森はこの日、初めて、一日に二度のファイトをした。
戸森はこの日相手だった二人とも殴り倒した。
『勝ち負けは関係ない』
神崎の教えは戸森と勝田には理解されなかった。
戸森は勝田に負けてから、自主的にトレーニングするようになっていた。ボクシングなどの格闘技を独学で学び、トレーニングに取り入れていた。戸森はその強さを遺憾なく発揮していた。
地下室が異様な熱気に包まれている。
人の垣根で大きな円を囲み、その中央で二人が殴り合う。
ファイトの最中だった。
人垣から少し離れて、戸森と新垣たちが腰を下ろしてファイトを見守っていると、杉田が神崎の様子を確認しながら、ポケットから煙草を取り出した。
神崎は杉田を見ているが、何も言おうとはしなかった。
本人は注意されないか、内心冷や冷やしていたが、神崎の真似事をしているのだと戸森には分かった。真っ白な煙草を一本くわえて火を点けようとする。
「何だこれ! 火がつかねぇ。湿気てんのかな」
杉田は何度も先端を火で炙った。
「お前、煙草吸うの初めてだろ?」
神崎が口を開いた。
「えっ?! そんな」
図星の杉田は焦った。
「吸いながら火を点けないと、点かないよ」
神崎の言葉に戸森は苦笑いした。教師らしくない神崎先生の言葉がしっくりくる。
杉田は神崎の言う通りにした。
「ゴホっゴホっ!! おえっ! オッホン!」
煙を初めて吸った杉田は猛烈な勢いで噎せた。
「ははっ!」
神崎が笑うと、その場の全員が意外そうに神崎を見た。
神崎の煙草を吸う姿に憧れを持った杉田が煙草を真似たのだ。




