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FIGHT CLASS  作者: 元馳 安
11/39

神崎



 二度目のファイトの二日後の月曜日、放課後遅くまで神崎を待った戸森だが、その日は音沙汰がなく過ぎた。


 翌日の火曜日の朝に次の日の放課後、先日のファイトに参加した十人を二年三組に呼ぶように神崎から戸森に指示があった。


 水曜日の放課後、神崎が二年三組を訪れたのは十七時を回ったころだった。



「待たせたな」

 扉を開けて十人がいることを確認すると教卓に腰を下ろした。


「先生、話ってなんですか?」

 戸森が口を開く。


「次のファイトは来週の土曜日だ。お前ら来れるか?」

「待ってました!!!」

 新垣が大声で答える。


「絶対行く」

「モチロン」

 その場にいる全員が参加する意思をはっきりと示している。


「場所と時間はいつも通り。親に言い訳考えておけよ。あと、お前らをここに呼んだのはルールを作ったからだ」

 教卓の上に紙を広げると、戸森や新垣達が教卓に集まり、紙を覗き込んだ。


「ルールその1、私闘において、一人は二人以上を相手とすること。何だこれ?」

 新垣が読み上げるが内容を理解していなかった。


「私闘って何?」

 伊藤と杉田が話している。


「ルールその2、私闘において、二人は四人以上を相手とすること。ルールその3、私闘において、五人が五人を相手とすることは認める。その場合、双方の争い方は問わない」


「ルールその4、絶対に口外しないこと」


「最後のしか、意味分かんない」


「意味はそのうち分かる。喧嘩すんなよってことと、虐めすんなよってこと。寄って集って、弱い者虐めするのは見苦しいってこと」


「私闘って?」

 勝田が口を開く。


「お前らがこの間、やったのはファイト。あれは私闘じゃない。私闘は個人的な利害や感情で行うもの。寄って集っての虐めも駄目だ。とりあえず、遺恨を残すものはやめろよ」

「喧嘩できないじゃん」

 新垣の言葉だった。


「バカ、喧嘩しないための規則だよ」

 勝田の横で本木が毒づくが新垣は気にしなかった。


「いや、今のお前らは喧嘩しない。そもそも、売ってもなかなか買う奴はいない。これは虐めをなくすための規則だ」


「イジメって……」

 勝田は言いながら本木と目が合うと、無意識に戸森に目が行っていた。それはこの場にいる全員がそうだった。戸森も気が付いていたが、今の戸森からしてみれば、どうということはなかった。戸森は昔のことを完全に克服していた。


「俺らのクラスじゃねぇよ。私闘にしたって、近い将来のための喧嘩禁止の保険だ。俺らがやりたいのは私闘じゃない。俺らのやりたいことが私闘のせいで出来なくなるのはもったいない」

 そう言ってから神崎は思い込むように黙った。


「先生、これはファイトする人全員に伝えますよね?」


「勿論」


「毎回、初参加の人がいたら、毎回説明するんですか?」

 戸森の質問に神崎が頷く。戸森のこの質問には別の意図があった。


「そうだ。お前らにも何回も説明して、何度も何度も頭に刷り込む」


「今は他クラスの人まで参加してるけど、これってドコまで広げるんですか?」

 戸森が聞きたかったことはまさにそこだった。


 他クラスから広げ、他学年、果ては、他校の全く関係ない者までファイトに参加させる。規模が大きくなれば大きくなるほど、そのリスクが増す。

 神崎の教師という立場だけでなく、様々な危険が出てくる。戸森はこの“集まり”の存在を危惧した。


「どこまででも」

 神崎の考えを理解できる者は誰もいなかった。他学年や他校だけではない。年齢や人種さえもどんな垣根さえも越えて更にその先を見ているのかもしれない。


「お前ら、学校は楽しいか?」

 神崎の唐突な言葉だった。


「いきなり何の話ですか?」

「新垣は楽しいか?」

 神崎の言葉に新垣は首を傾げた。


「別に、普通」

 新垣の答えに神崎が何度か小さく頷く。

 新垣は自分の意見を言った後に必ず戸森を見るようになっていた。意識しているのである。


「戸森は?」

 神崎が戸森に訊ねる。


「ファイトの方が楽しい」

 戸森の言葉にその場の数人が頷いた。


「学校の鬱憤を晴らせる場所ができたな」

 勝田が本木に言うと本木も相槌を打った。


「いつも、お前らは何となく、時間を過ごしてんだと思う。ゲームしたり、テレビ見たり、夢中になれる何かを探してんだよ。でも、それがなかったら、探しても見つからなかったら、探してる最中はストレスが溜まる。学校の過ごし方に面白さを探して、見つからないから、暇潰しに誰かを虐めたりする」

 戸森はほんの数か月前までのこと思い返していた。


「虐めなんていつの時代にもあった。生徒が生徒を虐める前は先生が生徒を虐めてたんだぜ」


「えっ!」


「1980年代には体罰容認が広がった時代もあった。教師の体罰で重傷を負ったり、体罰で死んだりって事件もあった」


「死ぬ?」


「あぁ、その時代には体罰事件で起訴された教師が無罪になったってケースもある。教師の体罰で自殺した生徒もいた」


「酷ぇ」


「1980年ってことは、当時子供だった奴は今は三十代半ばなんだよ」

 神崎は二十代後半である。1980年代を中学生として過ごしたはずの神崎にも何かあったのではないか、あえて三十代半ばという言葉を使い、自分から遠ざけているのではないかと、戸森は思った。


「先生が生徒を、生徒が先生を、生徒が生徒を追い込む。誰が悪いかなんて分からない。ただ、みんな何かに追われてるのかもしれない」

 全員が神崎の言葉を受け止めている。しかし、神崎の真意のほどは誰にも分からなかった。


 虐められることが悪だと諭された戸森はかつての教師に絶望した。そこに現れた神崎にどれほど救われたことか。


「お前らは虐めをしてるうちは、何も考えずにそれに打ち込める。虐めが楽しいと感じる。何かに没頭するっていうのはエネルギーが必要なんだよ。たとえ虐めであっても。人が集まるとそこにエネルギーも集まる。集まりやすかったんだな。でも、今はファイトに夢中になってる」


「そのお陰で僕は虐められなくなりました」

 戸森の言葉に新垣の顔が悲痛に歪む。しかし、その表情はすぐに消えた。


「ファイトが僕の居場所になりました」


「っていうか、お前らが夢中になってくれて嬉しいのは、俺の方なんだけどね」


「どういう意味ですか?」


「この間、友人と所用である場所に行ってきたんだよ。そこはお偉いさんが事務所を構えるっていうか、隠すのも面倒臭いから言うけど、国会議事堂の真裏に建てられた議員会館って所に行ったんだけど、そこはいろんな人が出入りする。陳情だったり挨拶だったり。良いスーツを着た品のいい若者がインフォメーションの係りに対して、ぞんざいな対応をしてるのをたまたま目撃したんだよ。自分が物を聞く立場のはずが、上から目線で会議室の場所を訊ねてた。勿論、敬語なんて使わない」


「はぁ」

 神崎の話が読めない全員が対応に困った。


「俺とは違う種類の教師は、目立つ奴だったり、駄目だって言われてる生徒と、よく言うことを聞くような優等生みたいな生徒とを依怙贔屓(えこひいき)する。おちゃらけて不真面目な者は駄目で、その悪ふざけに対して、見向きもしない冷めた奴が良く評価されたり。議員会館にいた金持ってそうな若者はどっちなんだろうな。人の心が本当に分かったりするのはどっちなんだろうな。教師は子供たちに何を教えなきゃならないんだろうな」


「先生……何言ってんの?」

「殴り合いで何が分かるとは言えないが、少なくとも、夢中になれる何かに触れさせることはできた。お前らは大人になっても、つまらねぇ人間になるな」


「……」


「雑誌やテレビのCMで、ブランド品、ゲームや、物質的な何かの宣伝を見る。今持ってる好きなブランド品だったり、ゲーム機だったり、そのソフト、手元にある何かはお前らにとって、本当に必要か? それがなきゃ生きられないのか?」

 室内はほんの一瞬、静まりかえった。


「ゲームはよくやるけど……何がいけないの?」

 静寂を破ったのは戸森だった。


「俺も服にはこだわるよ」

 新垣が言葉を継ぐ。


「物に支配されて生活してるお前らはまだ子供だ。それが何も変わらないままで、ただ年喰っていったらどうなる? どんな大人になる?」


「分からない。先生が何を言いたいのか分からない」


「お前らが生きてきた短い人生の中で気に入らねぇと思う事があるように、俺にも気に入らねぇ事があんだよ」

 その場にいる全員が初めて神崎の心に触れた気がした。


「教師は生徒に教育を施す。お前らに人としてのあり方を教えてやりたい。殴り合いで何が分かるかなんて分からないけど、他人の心を見向きもしない冷めた奴になるな。どんなに頭が良くても、そんな奴になるな。大人でもいる。まともな大人じゃねぇ。そんな奴が一人でもいると、空気は冷てぇ、世間は冷たくなる。そんな奴になってほしくない。だから」

 神崎の目にはこれまでない真剣な思いがこもっていた。


「だから、この居場所を戸森が言ったみたいにお前らの居場所にしたい。このルールだけは守れ」

 神崎はそう言うと、日程を確認するだけで、必要なことは後日と言い残してその場を後にした。


 残された者は唖然とするだけだった。


 神崎が感情的になるのを見た全員が、神崎が本当に言いたかったことを理解できずにいた。ただ一つ、ルールを破ってはいけないということだけ。





「遅ぇよ。早く来い」

 この日も新垣が少し遅れて塚田たちの待つ溜まり場に着くと、塚田は嬉しそうに声を掛けた。

 その言葉に新垣が頷くだけだった。


 素っ気ない新垣の態度が塚田には面白くなかった。


「一成がよぉ、顔の傷誰にやられたか言わねぇんだよ」

 新垣は黙っていた。


「まさか虐められっ子にやられたんじゃねぇだろうな、はははっ!」


 意地悪から言った冗談が当たるとは思わなかった。新垣も一瞬言葉を詰まらせた。


 周りの先輩は塚田に同調して笑っていた。


「そんなんじゃないっスよ」


 新垣は不貞腐れていた。


 居場所はここじゃない。思わないようにすればするほど、新垣の態度は冷たくなっていった。


 尊敬していたはずの塚田は新垣の目にはただの強がりな弱い子供にしか見えなくなっていた。本当に強い拳はここにはない。


「新垣お前さ、塚田のこと強くねぇくせにいきがんなって言ったんだって?」


 新垣が昨日に言った言葉だ。

 先輩の宮本の突然の言葉に新垣は固まった。

 何故今?


「はぁっ? てめぇ、そんなこと言ってんのかよ?」

 塚田の顔がみるみる赤くなっていく。


「いや、なんかの間違いっスよ」


「いや、俺は聞いたよ。お前と伊藤と杉田が廊下で話してたろ」


「おい! 新垣お前マジで言ってたんかよ」


 新垣は黙っていた。嘘をつくことも言い訳のしようもなかった。


 塚田は新垣に裏切られたのだ。その事実がどういうことか理解すると塚田は新垣に詰め寄った。


「やっちゃうよ? マジで」

 塚田が凄むが何も怖くない。


「やれやれ」


「塚田マジでやっちゃえよ」


「後輩に教えてやれ」

 周りは二人を煽った。


 やるしかない。そう思う新垣の闘志に火がついた。


 喧嘩は御法度である。できたばかりのルールをこんなにも早く破るとは思わなかった。


 塚田は新垣の顔つきが変わるのを見逃さなかった。


「お前らも生意気な後輩に教えてやろうぜ」


 新垣の心中を察する塚田は、まさか新垣がやる気になるとは思わなかった。


 袋叩きに遭う。新垣の心の中に少しの恐怖が芽生えるも、多対一ならいいんだっけと思い、その心には僅かばかりの余裕があった。


「ほら、堀内、お前もやんぞ」

 塚田たちが(つる)むメンバーの中でイジられている部類に入る堀内は戸惑いを隠せなかった。


「塚田がやんじゃないの?」

 三年生の三宅が真顔で塚田に言う。


「塚田、新垣と一対一じゃね?」


 宮本は新垣も塚田の喧嘩が見たいだけだった。だから、この時まで塚田に伏せていた。そして、塚田以外のメンバーに口裏を合わせてタイマンをさせようとしていたのだ。宮本の思惑は見事にハマった。


「タイマンでしょ」

 周りの者が一対一を煽ると塚田は逃げ出せなくなっていた。


 塚田は新垣に勝てる自信がなかった。


 睨むかのような新垣の視線が塚田に突き刺さる。


 黙り込む新垣は塚田の出方を伺っていた。


 そして、静かに塚田が口を開いた。


「許してやる」


 肩透かしを食らったのは新垣だけではなかった。その場の全員が拍子抜けした。


 新垣が何と言ったのか正確には分からないが、塚田を(けな)したのは間違いなかった。


「え?」

 宮本が唖然として塚田を見つめる。


「こいつが言う訳ねぇ。言ったとしても何かの間違いだ」


「間違いじゃねぇよ。俺は聞いたんだよ。塚田、お前、舐められてんだぞ?」


「新垣、お前、俺のこと舐めてんのかよ?」


「舐めてないっスよ」


 ちょっと舐めた言い方だった。


 そして、塚田をちょっと舐めた新垣が宮本をニヤつきながら見ると、宮本は我慢出来ずに新垣に詰め寄った。


「てめぇ、舐めてんじゃねぇか!」

 怒りで直ぐに我を忘れる宮本は周りから恐れられていた。


 その癇癪持ちの様子から宮本は危ない奴とされ、何をするか分からない宮本は後輩からも恐れられていた。


 立ち上がり詰め寄った宮本が新垣に対して殴り掛かる。


  新垣は初めから宮本を見続けていた。宮本から目を離さなかった。


 宮本は弱い。新垣は見抜いていた。コソコソ裏で動き、誰かをハメようと姑息な手を使う卑怯者である。 

 塚田が新垣に倒されるようなら、いきがっている塚田を貶めて使いっ走りにすればいい、ハメられた新垣が負ければ、更にみんなで袋叩きにするのも良い、どちらにしても自分の手を汚さずに楽しめる。


 そんな卑しい宮本の考えを新垣は見抜いていた。


 弱いのに強がって矢面に立つ塚田の方がまだマシだと思った。


 そんな弱い奴の動きをまじまじと見ていた。


 戸森の動きの方が早く、戸森の動きの方が無駄がない。そして、戸森の拳の方が恐怖である。


 新垣は向かってくる宮本の拳目掛けて頭突きを見舞った。


 パキッ!


 硬い物がぶつかった鈍い音と枝を折ったような甲高い音が周りの者にも聞こえるほどに響いた。


「があぁぁぁぁー!」


 宮本が拳を押さえながら(うずくま)る。


 その場の全員が新垣を見ていた。その目には恐怖の色が宿っている。


 新垣は冷たい目で宮本を見下ろしていた。


「ちょっと、用事思い出したんで帰ります」


 新垣は逃げるように帰った。




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