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「一時はどうなるかと心配しましたけど、彼女たちは心配いりませんでしたね。自分たちの意思と想いで残酷な現実と、向き合って乗り切る強さを持っていましたから」
メリアたちの様子に、思わず零したアレッサの言葉に俺も同意する。
俺たちが心配するまでもなく、彼女たちはじぶんたちの身に降りかかった残酷な現実と向き合い、乗り越えて行った。
今回の件は彼女たちを傷付けただろうけど、大きく成長もさせた。それだけが唯一の救いだろう。
正直、横領が行われていると判っていながら、人身売買にまで手を染めていると気付かなかったのは俺のミスだ。容姿に優れた、微笑時のメリアたちが無事に卒院している事から油断していたのもある。
この世界に来て、初めて本当の意味で人間の醜悪さを目の当たりにした。
これまでも侮りや妬み嫉みなどは数え切れない程に受けてきた。
それに、この世界が、ネーゼリアの人の社会も決してきれいごとだけで回っていない事も知っていた。
だが、知っていても、本当の意味で理解はしていなかったのだと痛感した。
人間の社会は決してきれいごとだけではすまされない。闇の部分、決して表に出ない裏の一面も無くては成り立たないと言ってもいい。
その程度の事は判っている。
人間が生きて行く上で、善意や良心だけで社会をなりたてていく事が出来るなどと夢想するほど愚かではないし、もし仮に、善意や良心、正義や慈悲だけで社会が成り立つ事が出来たとしても、そこにも必ず裏の一面が生まれ、強者と弱者、搾取する者とされる者、支配と隷属、様々な隔たりと差別が生まれる事は判りきっている。
完全に平等な社会など存在しえないし、全てに人が手を取り合って生きて行く事も出来はしない。
理想として掲げる事は出来ても、実現する事は出来ないし、もし実現したのならば社会はその瞬間に破綻し、人類の歴史も終わるだろう。
そんな事は判っている。
だけど、物事には許されるものと許されないものがある。
社会の為に必要悪として存在するモノと、存在そのものが社会の害悪になるモノがある。
まさかいきなり、社会の裏側と、人間の醜悪な現実と相対する事になるとは思っていなかったが、いずれは直面するであろうと判っていたハズの事だ。
それなのに油断していたのは、考えが及ばなかったのは俺の甘さが招いたミスだ。
それでも、今回はレイルとの関係もあって、直面した事態に最大限対応できたのは救いだろう。
今回の事件で、俺たちのマリージアの滞在はもう少し続く事になった。
それも当然だろう。マリージア側としては、俺に詳細を説明する必要があるのだ。
国全体の不正や腐敗の全容を把握し、処罰するまでには途方もない時間がかかるので、そこまでは滞在し続けるつもりは無いが、少なくても孤児院の一件からの犯罪が全て片付くまでは居る必要がある。
既に人身売買の罪で、貴族家が二つ取り潰され、商人も四人が拘束されている。更に研究者からも五人の逮捕者が出ている。
研究者から逮捕者が出た事が、事態をさらに深刻化させている。
人体実験の為のモルモット。
研究者たちが孤児を買いもとる多理由はそれに尽きた。
勿論、貴族などに買われていった子供たちも悲惨な目にあったことは間違いないが、モルモットとして実験を繰り返された子供たちの中には、当然、死んだ者や廃人になってしまった者も少なくなかった。
その事実に一番ショックを受けているのは、恐らくアレッサだろう。
今回の事件は、もし、アレッサがB-以上にランクアップ出来ていたならば、メリアたちと知り合い、事態を知った時点で告発できていた。
その事を理解しているからこそ、アレッサは自分にもっと力があればと思っている。
仮定の話と解っていても、考えずにはいられないのだろう。
もっとも、もしアレッサがB-以上になっていたのなら、冒険者を止めていなかっただろうし、そうするとギルドに務める事もなく、メリアたちと知り合ってもいなかっただろうから、考えても意味はないだろうけれども、
いずれにしても、今回の件で彼女たちはより一層力を求めるようになった。
どんな不条理な事があっても、自分たちの力で対応できるだけの力と地位が欲しい。必要だと実感したのだろう。
そして、彼女たちはそれを手に入れられる環境にいる。
その幸運を最大限生かす事を決めたのだろう。俺に対する反応も少し変わってきている。
俺としては、先ずは師弟の信頼関係であっても、彼女たちとの間に深い絆を築けて行けれはそれに越した事はないので、大歓迎だ。それ以上の感情を築く事が出来るかどうかは、これからゆっくりと時間をかけて、お互いをよく知ってからの話だろう。
「アドル。デートしよう」
だから、突然そんな事をメリッサから言われた時には驚いたが、あんな事があったばかりなのだから、気晴らしや気分転換がしたいのだろうと付き合う事にした。
「へえ、良く似合っているよ」
「そっ、そうかな。うん。似合っているなら嬉しいよ」
何時もの紅く輝く、俺が用意したセイヴァー・ルージュの装備ではなく、外行きの青にワンピース姿のメリアの姿は、何時もの凛々しさとは違う、可憐でお淑やかな印象を与える。
「それで何所に行こうか? マリーレイラに来てもう一か月以上になるけど、正直まだこの街の事を詳しく知らないから、何所に行けばいいのか判らないんだけど・・・」
これは良い訳でもなく、仕方がない事だと言っておく。この街に来てからの忙しさを考えれば、呑気に街の探索などしている暇はなかったのは当然だろう。
更には、前世から女性とデート、一緒に出掛ける様な事も無かったので、こんな時はどんな所に行けばいいのかも全く分からない。
「あっ、そっちは任せてよ。私たちもこの街に来て一年以上になるし、いい場所もちゃんと知っているからねっ!」
明るく声が弾んでいる様子に、デートの誘いを受けで良かったと思う。
俺自身初めての体験で、恋人同士のモノでは無くても楽しみだったのは間違いない。
メリアの案内で歩くマリーレイラの街はとても楽しく、美しかった。
魔域に接したマリーレイラは防衛拠点ではあるが、同時に美しい海に面した観光地でもある。
当然、多くの名所や観光スポットがあり、それらを周るだけでも十分に楽しめる。
「ねえっ、私たちでどんな風に見えるのかな?」
「そうたな、まあ、年の離れた姉妹と言う所だろう。残念ながら、その位にしか見えないのは自覚しているよ」
諦めたように答えた俺の様子に、メリアは心の底から楽しそうに笑う。
実際、そうとしか見えない事は判っている。
初見で俺の性別を間違えないのはほぼ皆無だし、俺自身も何時もとは違う、外行きの服を着ているが、ボーイッシュな服装の少女にしか見えないのは、俺が一番良く判っている。
・・・どんな服装をしても、男らしく見える事はないので、それについてはもう諦めている。
正直言って、メリアと並んで歩いている姿を見て、男女のデートだと判る者は百パーセント居ないだろう。
「まあ、それは仕方ないね。アベルて本当に可愛いから」
「そんな事を言われても、嬉しくもなんともないんだが」
「ねえ、何時も思っていたんだけど、やっぱりその口調、後、俺っていうのも似合わないよ。今だけでいいから変えてみない?」
「それだけは、絶対に断る」
そう言えば、彼女と出会ってもう一か月以上になるのに、こんな他愛のない話を二人でするのは初めてかも知れない。
まあ、救くても魔域の活性化が終わるまではそんな暇などなかったんだから、仕方がないとは言え、もったいない事をしていたものだと思う。
「どうしてもダメ?」
「どうしてもと頼むなら、しても良いが責任は持てない。俺の家族は絶句してもう二度とその口調で話さないようにと念を押してきた・・・」
俺と自分を表するのも、この口調もせめてもの抵抗だが、この容姿に合う言葉遣いも出来なくはない。
出来なくはないが、それを唯一視て俺の家族は、半狂乱になってもう二度とするなと固く念を押してきた。
・・・一体どうしたのだと、俺は不思議に思って尋ねたのだが、両親も兄も姉も口をつぐんで語らず、それ以来、話題に上る事すら一切なかった。
「そう言われると余計に聞きたくなるんだけど、恐ろしくて止めた方が良い気もするわね」
メリアも真剣に迷った末、結局は諦めたようだ。
俺としては、どうしてあそこまで取り乱したのか気になるので、感想が聞けるのならしても良いかなと思わなくも無かったのだが・・・。
他愛のない話をしながら、ウインドショッピングを楽しみ、いくつかの服や小物を買い、その度に意見を求められて四苦八苦しながらも、初めてのデートとしては及第点の対応が出来たと思うし、十分に楽しめたし、メリアも満足してくれたと思う。
夕暮れも近くなって、デートも終わりに近くなったところでお茶にする。この店だけは俺が事前に調べて予約しておいた場所で、この街でも最高ランクの店で、レイルから聞いたお気に入りのスイーツが並ぶ洒落た店内には、如何にも上流階級と言う、上位貴族たちの姿がある。
「私はちょっと場違いな気がするけど・・・」
「気のせい、気のせい。俺の弟子になった時点で当然こういう場所にも、これからもよく来る事になるから慣れないと」
メリアは少し気後れしているようだが、これからの事を考えると慣れてもらうしかない。
俺自身、最高ランクの高級店に慣れている訳ではないが、既に次男とは言え伯爵に昇爵確実な子爵家の一員で、しかもSクラスでもあるのだから、当然、使用する店も相応のランク以上のモノが多くなる。
これまでずっと滞在している宿にしても、マリーレイラで最高でホテルのスイートルームだ。
「立場が上がれば、それに見合った気遣いや行動も必要になるから、メリアも今の内から慣れておいた方が良い」
「立場に見合ったていっても・・・」
「忘れているようだけど、メリアたちももうすぐB-にランクアップする。そうなれば上位貴族と同等の立場を手にすることになるんだから、今からでも慣れておかないと」
自分が上位貴族にすら匹敵する社会的地位を持つ事になる実感がわかないのだろう。メリアは困ったようなか曖昧な顔をしている。
「まあ、すぐに慣れろと言っても難しいだろう。少しずつ慣れて行けばいい」
「うん。出来るだけ頑張るね」
D-になるのも数年後と言われていた彼女たちだ、もうすぐB-になるのだから心構えをと言われてもどうしたらいいのか判らないのだろう。
「それでいい。別に無理をする必要はないからな、それに隣に俺がいるんだから、何か困った事があれば頼ればいい」
「はい。お世話になります。・・・頼りないお姉さんでゴメンね」
メリアとしては、判っていてもやっぱり年下に頼りきりになるのは抵抗があるのだろう、しゅんとして表情を見せるが、それこそ気にする事じゃあない。
「まあ、こういうのは慣れだから、俺も元々、下級とはいえ貴族の出だから、こういった事にも慣れているんだよ」
まあ、自身を鍛えるのが最優先で、貴族社会の付き合いなどまるで無視していたのだけど、それでも、ある程度の経験と知識はある。
・・・と言うか、冷静に考えるとネーゼリアに転生してからの俺の人間関係もかなり酷いモノがある。
そもそも、学校は飛び級でさっさと卒業してしまったので、学友や同世代の友人など作りもしなかったし、実戦を含む訓練に、魔工学や錬金術など、興味のある分野の習熟に熱中して、ベルゼリアでは家族以外とろくに付き合った記憶もない。
思いっ切り趣味に、自分の好きに生きていると言えば確かにその通りだが、冷静に振り返ってみれば、もう少し他にあるだろうと思う。
とは言え、幼年期など既に前世で一度過ごしているので、特にやりたい事がある訳でもなく、友人をつくるにしても実力によって生きる時間が違ってくるこの世界では、幼い頃からの無二の親友であったとしても、生涯の友になり得るかは判らない。
そうすると、やはり好きな様に生きていたのだからあれでよかったのかも知れない。
「何考えてるの?」
「なに、少し子供の頃の事をね」
「今でも子供でしょうに・・・」
不意に黙った俺にメリアは不思議そうに尋ねてくるので、正直に答えると呆れた様に返されるが、どんな風だったのか、興味津々と言った様子で尋ねてくる。
子供の頃の話を聞かれるのはじゃ間恥ずかしいモノだと思いながらも、自分の事に興味を持ってくれたのは素直に嬉しいので、正直に応えていく。
「アベルらしいと言えば、アベルらしいと言うか・・・」
「家族、少なくても兄弟揃ってではではあるけどな」
別に俺だけが浮いていた訳ではないと弁明しておく。
姉のメリルなどは魔工学と錬金術に夢中で、それ以外には興味も示さない程の徹底ぶりだったし、兄のベルンにしても、騎士として強くなる事に賭ける情熱は相当なものだった。
それに、ぶっちゃけ騎士の家に生まれた者は強くなる事が至上命題で、脇目もふらずそれだけにまい進するのも珍しくはなかった。
「そうなんだ。貴族って結構大変なんだね。想像していたのと違うかも」
「貴族にしろ王族にしろ、国を守る強さが求められるからね、そう気易いモノでもないよ」
何度も言っている気もするが、ぶっちゃけ、前世の貴族の常識など通用しない程に厳しい世界だ。
「だから、アベルは冒険者になって国を出たの?」
「そう言う訳でもないな。元々、俺は世界中を旅して周りたかったんだ。だから国に囲い込まれてしまう前に旅に出たと言うのはあるけど」
メリアは義務や責務に雁字搦めの貴族社会を嫌って、俺が冒険者として旅に出たと思ったようだけど、そうではない。
Sクラスである事がバレて国に囲い込まれてしまう前に旅に出たのは確かだけど、
「別に貴族だけが義務を負っている訳じゃあない。俺には戦う力があるし、それによって多くの人の命を守る事が出来る。そして、それを成す使命と義務がある。別にそれから逃げ出すつもりは無いし、投げ出すつもりも無い。ただ、自由にありたいと思っただけだよ」
そう苦笑して紅茶を一口飲む。最高の茶葉を最高の技術で入れたお茶は、鼻孔をくすぐる最高の香りと味を楽しませてくれる。
「自由にあるため・・・」
「そう自由。自分の力や地位に付随する義務や責任は果たすけれど、それ以上縛られるのはごめんだから」
まあ、そうはいかない場合も多いのだけど、
レイルなどはその最たる例だろう。王子の立場では、面倒くさいからと言って柵を放り出す事も出来ないし、更に、彼にとっては不本意な事だろうが、今回の事件でレイルは第一王子を差し置いて、王太子候補筆頭になってしまった。
更に、レイルはこのまま修練を続けて行けば、いずれはSクラスにも至る事が出来る才覚を持っているので、本人にとっては甚だ不本意な事だろうが、これからも彼は多くの柵が増え続け、厄介事や面倒事が次から次へと舞い込んでくる事になるのは確定だ。
「レイルの様になるのはゴメンだったと言う訳だよ」
一連の事件の対応で休む暇もないレイルを例えに挙げると、メリアの素直に納得して頷く。
王族や貴族と言っても、遊んで暮らしている訳ではないのは判っていても、まさかあそこまで大変だとは思ってもいなかったのだろう。日に日に憔悴していくレイルの様子を思い浮かべたメリアの頬を冷汗が伝っている。
「あれは、正直無理だよね・・・」
「そう言う事、国に所属するSクラスの多忙さは判りきっていたからな。少なくても後二百年はゴメンだ」
二百年たって宮使いしても良いと思う様になるかも甚だ疑問ではあるが、少なくても、せっかくの異世界転生を楽しむ機会を自分から手放すつもりは無い。
ぶっちゃけ俺の事などどうでもいい。
それよりもメリアの事を聞きたいのだけれども、中々キッカケがない。
「そんな事より、そう言えばメリアはコーヒーが苦手なのかな?」
向かい合って美味しそうに紅茶を楽しむメリアを見ていて、思い付いた事を尋ねてみる。
そう言えば、出会ってから彼女がコーヒーを飲んでいるのを見た事がない。
「バレた? 正直苦手なんだ。紅茶は好きだし、わざわざ苦手なのを無理して飲む事も無いでしょ?」
「確かに、俺もコーヒーより紅茶の方が好きだし」
「ホントっ? 良かった一緒だね」
俺もコーヒーよりも紅茶だと知ると、メリアは嬉しそうに笑う。何か、その笑顔が単に紅茶好きが一緒で嬉しいだけではない別の感情もある気もしたが、気のせいだろう。
ちなみに、俺の紅茶好きは、前世の、コーヒー嫌い紅茶好きの某提督の影響だったりもする。
「男の子と二人きりなんて私もはじめてだったからドキドキしたけど、すごく楽しくて幸せだったよ。アベルありがとう」
「どういたしまして。お嬢様」
メリアに満足してもらえて様で、俺はホッとしながら一礼して返してみせる。
そんな俺にメリアは楽しそうに笑ってみせる。
やはり、美少女には笑顔が一番似合う。
正直、どうして良いのか判らず大分苦労したが、それだけの価値はあった。俺でも女の子を喜ばせる事が出来たのは嬉しい限りだ。
何度も続けろと言われると厳しいが、たまにはこういうのも悪くないと思う。
「喜んでもらってなによりだけど、まだ終わりじゃないよ。俺からのプレゼントもあるしね」
「プレゼント? いいの?」
「せっかくのデートなんだから、プレゼントくらいは基本だろう?」
プレゼントがあるのに驚いたようだが、デートにプレゼントくらいは当然だと手渡すと、心から嬉しそうに受け取ってくれる。
「うわあっ!」
中身を空けて感歎する様子から、どうやら気に入ってくれたのも判る。
「気に入ってくれたようで良かった」
「ありがとう。でも、本当にいいの? こんな・・・」
「値段の事は気にしない。それに、それは俺が自分でつくったものだから、思うほど高くはないよ」
メリアのイメージに合わせて造った指輪と首飾り。
普段のメリアをイメージしたので、今のメリアとは少し合わない角心配したが、どうやら杞憂の様で、むしろ更にぴったりと似合っていてホッとする。
「アベルが私の為に作ってくれたの?」
「ああ、メリアをイメージしてな。うん。似合っていてホッとしたよ」
「ありがとう。大切にするね」
メリアは心から嬉しそうにしている。喜んでくれて本当に良かった。
少しはメリアとの心の距離も近くなれたと思うし、無事にテートを終えられて本当に良かった。




